[天皇]93 後伏見天皇。しめ縄が落ちた。えらいこっちゃ

後伏見天皇
持明院統 1298~1301年

後伏見天皇は、永仁6年(1298)7月に、11歳で天皇となる。
そしてその1ヵ月後、8月10日に後宇多上皇の皇子邦治親王を皇太子にした

なんと天皇より3歳歳上の皇太子

まだまだ続く大覚寺統と持明院統の抗争。

両統は矢つぎばやに、鎌倉への特使を派遣した。
そして、自統からの即位と、他統の天皇の譲位をうながす。

それを見た京都の人々は、嘲笑していった。
「関東への馬くらべ」
幕府に働きかける競馬(くらべうま)のようだ、という意味である。

その催促を受けて、鎌倉幕府の返答はこう。
即位については、持明院・大覚寺の両統から皇太子を交互に立てて天皇とすること。
譲位については、当代の天皇の判断によってきめること。

だから、皇太子の方が歳上というイレギュラーな形になっちゃう訳です。

それでも、皇太子がお約束通り大覚寺統になった訳ですから
待っていればまた大覚寺統の方に移る

ところが翌年正月に、内裏安置の内侍所のしめ縄がおちた
まあ、そういう事もあるでしょう。

これはえらいこっちゃ。
不吉極まりない。
天皇を交替するしか解決方法がない

えっ、しめ縄落ちただけでそうなりますか

また、馬くらべである。

亀山法皇は、関東に猛運動して、藤原永康を遣わしたり、
関東申次の西園寺実兼の娘を後宮に入れたりした。

関東使者の二階堂行貞が上洛して、2年6ヵ月間で後伏見天皇は譲位、
邦治親王が後二条天皇となった。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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