後伏見天皇
持明院統 1298~1301年
後伏見天皇は、永仁6年(1298)7月に、11歳で天皇となる。
そしてその1ヵ月後、8月10日に後宇多上皇の皇子邦治親王を皇太子にした
なんと天皇より3歳歳上の皇太子
まだまだ続く大覚寺統と持明院統の抗争。
両統は矢つぎばやに、鎌倉への特使を派遣した。
そして、自統からの即位と、他統の天皇の譲位をうながす。
それを見た京都の人々は、嘲笑していった。
「関東への馬くらべ」
幕府に働きかける競馬(くらべうま)のようだ、という意味である。
その催促を受けて、鎌倉幕府の返答はこう。
即位については、持明院・大覚寺の両統から皇太子を交互に立てて天皇とすること。
譲位については、当代の天皇の判断によってきめること。
だから、皇太子の方が歳上というイレギュラーな形になっちゃう訳です。
それでも、皇太子がお約束通り大覚寺統になった訳ですから
待っていればまた大覚寺統の方に移る
ところが翌年正月に、内裏安置の内侍所のしめ縄がおちた
まあ、そういう事もあるでしょう。
これはえらいこっちゃ。
不吉極まりない。
天皇を交替するしか解決方法がない
えっ、しめ縄落ちただけでそうなりますか
また、馬くらべである。
亀山法皇は、関東に猛運動して、藤原永康を遣わしたり、
関東申次の西園寺実兼の娘を後宮に入れたりした。
関東使者の二階堂行貞が上洛して、2年6ヵ月間で後伏見天皇は譲位、
邦治親王が後二条天皇となった。