[ことば日本史]4 さんすけ。一助、二助、三助、風呂を沸かしてちょうだい

さんすけ

銭湯で湯をわかしたり、入浴客の身体を洗う人を三助と呼ぶ。

この仕事が生まれたのは江戸時代のことだが、
呼び名自体は、光明皇后の伝説に由来しているとも言われる。

光明皇后は、藤原不比等の三女で、首皇子(聖武天皇)の妃となり、
天平元(729)年、それまでの慣例を破って臣下の出身でありながら皇后となった。
聖武天皇は仏教を深く信仰し、
東大寺の大仏造営、国分寺の建立などの事業を行ったが、
それらは光明皇后の勧めによって行われたともいわれる

皇后の信仰心は深く、病人に薬を施す施薬院や
孤児を収容する悲田院を設けるなど、社会救済事業にも熱心にとりくんだ。

ある時、こんな心願を立てた

千人の貧者の身体を洗って垢を落としますわ

そのとき下男の一助、二助、三助という兄弟が風呂焚きをしたという。

銭湯の三助とは、この故事にちなんで名づけられたもの

この伝説自体、江戸時代に作られたのではと思われる怪しさ満点の伝説なのですが

江戸時代には、下男など奉公人の通称を三助といい、
とくに台所で働く下女が「お三」と呼ばれたのと対にして、
飯炊き男が三助と呼ばれたというから、それと合体したのでしょう。

このお三や三助の語源をみると
台所仕事が「おさんどん」と呼ばれることと関連がありそうです。
そもそも、食事が三食になったのは江戸時代後半ですので
三度と関係するとすると、江戸時代後半に作られた言葉でしょう

もうひとつの説として、竈(かまど)を漢語では「さん」と呼ぶので
そちらから来ているとするともう少し前

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

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