[歳時記]3/8 忠犬ハチ公の命日。ワン!

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東京でいちばんポピュラーな待ち合わせスポットといえば、
なんといっても山手線渋谷駅 のマスコットのハチ公像前だろう。

その像のモデルとなった忠犬ハチ公は、
東京帝大教授の上野博士に飼われていた秋田犬で、
博士にとてもなついていた。

ところが、あるとき、博士は大学で倒れてそのまま帰らぬ人となってしまった。

ハチは博士の通夜、葬儀の間、一切の食べ物を口にしなかった。
それはしばらく続いた。博士が最後に着ていた着衣を置いた物置にこもり、
ハチは3日間何も口にしなかったのだ。
それからも毎日、博士を待ち続けるハチ。

博士の死後も毎日駅に通い博士の帰りを待ち続けた。

駅員さんが
お前の飼い主はもう二度とここへは来ないんだよ。もう会えないんだよ。

ワン!

博士の逝去後、ハチは博士の内縁の妻であった八重子と世田谷で暮らすようになったという説と、
日本橋伝馬町へ引き取られたという説がある。

いずれにしても渋谷からは離れてしまった。
しかし、転居先からもハチは愛する上野博士を待つためにまた渋谷駅へ戻った。
雨の日も雪の日も、ハチは博士を待ち続けた。
列車を見ながら、最愛の飼い主である博士が降りてくるのを“今か今か”と待ちながら。

ワン!

その後、浅草の親戚に引き取られたハチ。
しかしそこからも一人渋谷へ遠くから毎日通うハチの姿を不憫に思ったのか、
その後ハチは、上野博士の自宅からほど近い富ヶ谷の小林菊次郎宅へと移された。
上野博士宅の庭の手入れをしていた植木職人である。

そこからもハチは博士に会うために朝9時頃に渋谷駅へ行き、
そして夕方4時頃また渋谷駅へ行く日々を繰り返す。

ある日、いつものように博士を待っていると、突然野犬がやって来て襲われてしまう。
その際、耳に大怪我をし、その傷がもとで左耳が垂れ下がるようになった。

ウーー ワン!

そんなハチ公をたまたま見かけた記者がこの話を新聞に載せたところ、
たちまち大反響となった。

帰らぬ主人を待ち続けるけなげな犬のエピソードは、
人びとの感動を呼び、教科書にも掲載された。
そして、とうとう渋谷駅頭に銅像まで建てられる騒ぎになったのだ。

そのハチ公が死んだのが、銅像が建てられた1年後の1935(昭和10)年の3月8日。
渋谷の路地で死んでいるのを発見されたという。
お葬式は亡き上野博士の墓前で行なわれ、
全国から花輪や手紙、香典、はては四斗樽まで贈られたというから、
人の葬式よりも豪勢だった。

その後も関心は衰えず、1周忌には雨の中をお参りにくる人があとを絶たなかった。

オリジナルのハチ公像は、第2次大戦中の戦力資源のために撤去され、
現在の銅 像は戦後に再建されたもの。
また、ハチ公自身の剥製は上野の国立科学博物館にある。

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)

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