久々の天皇シリーズです。
崇光(すこう)天皇
北朝3
時期的にはこのあたり
足利尊氏によって始まったはずの新しい時代
三代義満登場までは、まだ室町時代とは呼べず
南北朝時代
一番の大乱「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」の真っ最中
ぐっちゃぐちゃの状態です
崇光天皇は、北朝一代だった光厳天皇の皇子。
15歳の時即位して、皇太子には、九十五代花園天皇の子(直仁親王)を立てた。
擁立してもらったこともあって、足利氏に翻弄された天皇。
正平五年(観応二=1350年)に、
足利尊氏と同直義の対立すなわち観応の擾乱の際、
天皇は幕府の要請で持明院殿へ行幸したり、土御門殿に還幸したこともあった。
すごく行政能力があった尊氏の弟直義
一方、政治に興味がなく、性格的にちょっと変な尊氏
でもやたらにカリスマ性があり、戦となると
尊氏さえ登場すれば一気に士気が高まって強力部隊になる
そんな二人だから途中まではうまく補完しあい
尊氏は政治を直義に預けて、うまく行っていたんですが
決定的に対立しちゃったのが観応の擾乱
室町幕府の働きかけが止まないので、天皇の安全も定まらない。
尊氏・直義兄弟の対立は正平六年(一三五一)のころがもっとも激しく、
その年の内裏では、正月の行事どころではなかったという。
正月の十四日には騒乱のために、天皇は持明院に避難したとさえ伝わる。
やがて、南北朝は和睦するが、足利義詮のために、この天皇も皇太子も退けられてしまった。
北朝にあった神器さえも、南朝の後村上天皇の手に移る。
室町幕府に実権を握られて、動揺が絶え間ない崇光天皇だった