八幡さまは、常に政治の中心に

八幡さまって良く見かけますよね
稲荷社についで全国で二番目に多いんです。

有名どころでは鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の岩清水八幡宮、東京の富岡八幡宮

八幡社のトップに立つのは大分県宇佐市にある宇佐八幡宮
宇佐八幡宮に子供が現れて、
自分は応神天皇で、名前は護国霊威身神大自在菩薩である
とお告げを述べたらしい
さすがは神仏習合。
天皇でありつつ、仏教の菩薩とは

八幡宮は神社としての格が高く、大和朝廷が伊勢神宮と並ぶ皇室の祖神として崇拝した。
また、弓矢と武道の神様としても名高い

氏神さま
遡ると、八幡神のもとは、宇佐地方で繁栄していた大神氏か宇佐氏の氏神にあたるのではないかと言われている
柳田国男氏は、鍛冶の技術を持つ氏族集団の氏神様ではなかったかという

その氏族集団が日本全国に移り住んだ
全国に八幡の地名がついているのもその事と関係していると言う

なるほど、新日鉄の前進が「八幡製鉄」なのはそういうことなんですね

秦氏?
この氏族に関しては、渡来の大氏族、秦(はた)氏ではないかという説がある
やはたのはたは、秦氏のはたではないかと。
応神天皇と渡来が盛んになった時期が重なるので、秦氏が渡来の鉄の技術と繋がっているのは、かなり納得性が強い。

その後、推古天皇、聖徳太子の時代には、秦河勝が聖徳太子のブレーンとして活躍する

さらに、聖武天皇の時代に
東大寺の大仏を作ろうというときに
宇佐八幡宮から、お告げがあり、八幡神が大仏を鋳造しようと言ったと。
さすがは鉄の技術を持った神様
大仏を鋳造しちゃいましょうというこれまたすごい提案です。

道鏡
さらにその次の孝謙天皇(女帝)の時代に気に入られたのが道鏡
藤原氏を中心に、勢力争いがぐっちゃぐちゃになっていた頃
孝謙天皇は、生涯独身だったので男女の感情もあったのではと推測されるが、
異常なまでの重用のされよう。
次に皇位を譲った天皇、淳仁天皇に誰かが道鏡の悪口を告げ口すると、
危ないと思い、無理矢理天皇の座を奪い返す。
2回目の天皇の時は称徳天皇と名乗ります。
孝謙天皇(称徳天皇)は宇佐八幡宮から神託が有ったと、なんとなんと道鏡を天皇にしようとします。
世襲制、血縁を無視したものすごい試み
結局は阻まれるんですが、
こんなことの道具にされるくらいですから
天皇家にとってみれば、絶対的な権威なんでしょうね

源氏に支えられて
時代は変わり鎌倉時代
弓矢と武道の神様というところから、源氏が八幡宮を氏神としてあがめる
その少し前でいうと、京都の岩清水八幡宮は、荘園制度が広がったときに、膨大な荘園を獲得し、経済的政治的に強力な力を有してしてというのも背景に有る
源頼朝は鎌倉に幕府を開くと、京都の岩清水八幡宮を勧請し、鎌倉に鶴岡八幡宮を建てる。
以降、源氏が全国に八幡宮を積極的に広めていくことになる
そして、第三代将軍、源実朝が暗殺された場所も鶴岡八幡宮

秦氏、天皇家、源氏、と政治の中心に常に八幡宮が登場する
力が力を呼ぶ
そんな印象の有る八幡さまでした

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