[迷信]行きはよくても帰りはこわい「とおりゃんせ」

「科学で読み解く迷信・言い伝え」の本から

とおりゃんせ
「とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここはどこの細道じゃ」で始まるわらべ歌には、
もの悲しいメロディのせいか、あるいは少し不気味な歌詞のせいか、不穏なイメージがある。

とおりゃんせの歌詞を読み解くと、キーワードとして
「天神さまの細道」と「七つのお祝い」が浮かんでくる。

天神さまの道とは、福岡県の太宰府天満宮や東京の湯島天満宮などの
天神を祀った神社の参道のことで、七つのお祝いは七五三のこと。

つまり、七五三のお参りに天神様に行くというおめでたい情景を譲ったものなのだが、
では「行きはよいよい帰りはこわい」のはなぜなのだろうか

ここで注目したいのが、近代までの七五三が持つ意味である。

子供の成長を祝う年中行事として受け継がれてきたものだが、
5歳で行う男児のお祝いを「袴着(はかまぎ)」、
7歳で行う女児のお祝いは「帯解き」と呼ばれ、子供の着物から卒業する儀式だった。
江戸時代の平均寿命は30~40歳といわれており、乳幼児のうちに命を落とした者も多かった。

子供が無事に成長することがどれだけむずかしかったかは、
厚生労働省が公開しているデータからも明らかだ。

統計が公開されているもっとも古い年は1899(明治32)年で、
その年の乳児死亡率は15.38%である。
10人に1人以上の乳児が命を落としていた。
乳児とは生まれて1年以内の子供のことをさす。

2019年の同死亡率は1.9%であったことから考えても、
100年前の日本の子供は、今とは比較にならないほど死と隣り合わせといえる状況だった。

日照りや水害などの天災、それにともなう飢餓、日頃からの栄養事情の悪さ、
さらには疱瘡(天然痘)や麻疹などの致命傷となる疫病は、
体も小さく体力もない子供の命を簡単に奪ってしまう

そんな社会状況からなのか、「7歳までは神のうち」という言葉も生まれた。
7歳未満の子供はまだ人間ではなく神の子であるから、
いつ神のもとに帰ってもおかしくはないという意味だ。

「とおりゃんせ」で謳われている情景を思い浮かべてみれば、
七つのお祝いに天神様に参ったら、その帰り道で手を引く子供は人間の子である。

神の子であるその生も死も天命だが、
帰りの鳥居をくぐって神社を出れば、
その子に降りかかる厄災から守るのは家族の役目だ。

天神様、今までありがとうございました。
無事にここまで育ちました。
これからは私がこの子をなんとしても育ててまいります。

天災や疫病など、7つを過ぎても子供を取り巻く環境はじつに過酷。
7歳を迎えたのは「よい」のだが、その先の人生は「こわい」

「こわい」は「覚悟」
こわいながらも とおりゃんせ

[迷信]シリーズはこちら(少し下げてね)

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