[ことば日本史]しっぺ返し

ことば日本史、鎌倉時代からです。

禅宗からのことばになります。

しっぺ返し
禅宗では、座禅のときに見られるように、師家(しけ)が修行者を指導するとき、
竹篦(しっぺい)で打つことがある。

修行者がなにかしかけてきたとき、間髪いれず師家がこれで打つことで返す。
すると修行者は、ハッとすると同時に悟る。

そのような導きのための行為が「しっぺ返し」だった。

竹篦は、長さ四、五十センチくらいの竹を割り
への字形にして、籐を巻き漆を塗ったもの。
いつしかその名が、人差し指と中指をそろえて人の手の甲や手首を打つことに転用され、
「しっぺ」と縮んだ。

それで打たれて打ち返すことが「しっぺ返し」、
そして、たんにすばやい仕返しという意味にまで日用化した。

座禅
私にとって座禅といえば玉寶山長光寺
新宿にある曹洞宗のお寺です。
10年近く前になりますが、初心者もOKの座禅会というのが行われていて、参加した。
そのあともう一回行った

丁寧に説明してくれて
静かな部屋で座禅を組む

想像以上に痛いし、すごい音がする

ご指摘を受けて調べると厳密には座禅の時に使われる竹の真っ直ぐなのは「警策」で
漆が塗られていて曲がっているのが竹篦
若干使われる場面が違うかも

面白いもので、叩いて欲しい人と叩いて欲しくない人に大きく二分されるらしく
順番に回りますから、近づいてきた気配を感じたら
叩いて欲しい人は静かに手を上げてくださいとの事

私は当然手をあげました

このブログを書くにおいて、久しぶりに長光寺のホームページにアクセスしてみた

コロナにより、当分の間座禅会はお休みしていますとのこと
とてもとても残念

そのあと住職さんがしてくれた法話がものすごく良かった

「人人具足」
人は生まれながらにして100%具わっている

当時、職場でとんでもなく合わない人がいた
彼とうまくいかない事があるたびに
心の中で、
なんなんだよあいつは
まあ、悪い奴じゃないんだろうけど
なんであんな風にするんだろう
こういうふうにすれば彼も良くなるだろうに

違う
知らず知らずのうちに、自分が上に立ち
心の中ではあるけれど、上から目線で、教育的指導をしている

人は生まれながらにして100%備わっている
ここをこうすれば、みたいに条件付きで存在しているのではない
一人一人違うだけ
違っていたとしても、やはりそれぞれが生まれながらにして100%なんだ
変える必要もないし、変えさせる必要もない

変えさせようとするから合わないと感じることになる

なんなんだあいつは、と心の中で思いそうになると
人人具足、人人具足、人は生まれながらにして具わっている
彼は彼のそのままで100%、と心の中でつぶやく

嫌な奴には、人人人人言い続ける事になっちゃうんですけどね

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

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