[足利将軍]3-3 足利義満。手紙持っていっただけなんですけど

[足利将軍]3-1 足利義満。言うだけの事はある
[足利将軍]3-2 足利義満。室町時代の始まりの大行事
の続きです。

足利義満
「拝賀」という大行事を行い
自らの権威を見せつけた。

公家たちは、なぜ将軍に直接支配されないといけないのか、と
釈然としない気持ちは持っているので
抵抗はしてみる

ところが、そう試みた者は例外なく没落していくのをみるにつけ
あきらめ、そして積極的に機嫌をとって気に入られる方が得策だと考えるようになる

そして、いよいよその風潮が天皇にまで影響するようになる

火元は三条公忠だった

義満に要望を出す
京都に一町ほどの土地をいただけないか

三条公忠としては忠誠を誓う見返りというほどの事だったのだろうが
大きく間違いをおかしていた。

京都の中の土地は天皇の専権事項

義満自身もビックリした。
おいおい、そんなことも知らんのか

仕方ない、天皇に対して推薦状を書いた

三条公忠が京都に一町の土地を欲しいようです。
与えてやったらどうでしょう。

この推薦状を厳子(げんし)即ち三条公忠の娘であり、後円融天皇の奥さんに持たせた。

ところが、8日間なしのつぶてだったあげくに、厳子を通じての返信が不許可

京都の中の土地は天皇の専権事項なので、そんな風にいわれても困ります。

まあ、そうですね

義満としてもそりゃ分かってはいるわけですが面白くない

三条公忠いらんことしてしまいました。

ところが、二日後にこの不許可が覆ります。

やっぱり、土地はあげることにしますが、厳子は追放します。

そりゃまたどうして?
厳子は手紙持っていっただけなんですけど。

天皇としては、言う通りにしないとまずいと思い直したけれども
公忠に対しては頭に来た。
公忠にとって死活問題の嫌がらせ

公忠にとって今の地位にいられるのは娘の厳子が天皇の奥さんだから
えらいことになった。

大慌ての公忠は、土地下さい、の要望を撤回
義満に対しても
やっぱり撤回します、忘れてください。

この件自体は、本人が撤回した以上、義満としてもどうしようもないが
面白くない、という意識は残っている

別のちょっとした人事に関わる要望を天皇に出した。

拒否はしなかったが、なしのつぶて
今で言う、既読スルー

義満がご立腹と聞いて、慌てて許可したが事遅し

義満が右大臣を辞任してしまった
辞めてやる攻撃です。

結局は、義満も撤回してなんとかなったのですが

天皇の方も頭に来ており
二ヶ月後、全く訳の分からないお触れを出します。

京都の土地は全て没収し、元々の持ち主のところに戻します。

そんなことできるはずのないあり得ないお触れ

これを皮切りに、徐々に後円融天皇の精神が壊れていきます。

続きはまた次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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