文明開花は人力車と共に

今、ちょっと凝ってるのが文明開花
昔は、幕末限定で興味があったんだけど、今は日本史の興味は全時代に広がった。

おそらく皆さんが好きであろう戦国時代は元からいまいち。
カミさんは、愛知県出身と言うこともあり戦国時代は大得意。
大河ドラマは戦国時代の場合だけ見ていた。
私も横で見て、質問すると怒り出す
分からんくせに見るなと

私は極端なくらい平和主義者
人がいっぱい死ぬ時代にどうも馴染めない。

だから戦国時代より、幕末だったんだけど
その視点でいうと、もっと良い時代がそのすぐ後に有ったんですね。

文明開花というとってもいいテーマ
もちろん、西南戦争に代表される士族の反乱や百姓の打ち壊しなんてのも裏にありつつだけど
大改革がこれでもかこれでもかと行われ
民衆は目を見張る変わりように、ついていく。取り入れる。
面白がってる感じがとてもある。

明治10年までってどんだけ濃いい10年なのって思う
この10年の間に生きてた人って幸せだったろうなあ

ということで、今日のテーマへ

人力車
ご存じでした?
人力車って日本人が発明したんです。
何と明治元年に日本人3人
和泉要助、高山幸助、鈴木徳次郎の3名
発明者として日本政府からお墨付きをもらう。

って、最初に読んだ資料では書いてあったので、
すごいっ、と思ったんだけど
調べていくと諸説あった。

まあ、あれだけ単純な構造
思い付かない訳がない
ただ、明らかに言えるのは、
ビジネスとして定着させることができたのは、日本だけ。
そして、それが輸出され、アジア各国に定着していった。

明治の錦絵、いわゆる開花絵を見ると必ずと言って良いほど人力車が描かれている。

最初こそ苦労してさくらを雇って乗ってもらったりしたらしいけど
広まり出すとものすごかった
見る資料によって2万台から20万台まで様々なんだけど
絵や写真を見る限りではものすごい台数。

かなりの数有った籠かきは、見事に一切なくなってしまったらしい。

次の乗り物へ
そのまま普及し続けたと思いきや、次の乗り物に取って変わられていく

新橋横浜間を蒸気機関車が走ったのが明治5年。
陸蒸気(おかじょうき)ってやつ

大きく言えば、その蒸気機関車に変わっていくわけだけど
都市の中をあんなごっついものが走れないので
都市内の交通としては、まずは鉄道馬車

道路上に敷かれたレールの上を馬車が走る。

明治15年に新橋日本橋間で開業。
またたくまに広がっていきます。

人力車の強力なライバルになるのですが、
何故かと言うとその安さ
1等客車が3銭、2等客車は2銭であり、人力車より安い値段でした。
利用するにはタクシーのように手を上げると乗ることができる。

何で、普通の乗り合い馬車じゃないのかですが、
レールを敷かないと、車輪が地面に埋め込まれるため
それほど多くの人を乗せられない。
一人当たりの運賃が安くならないんです。
普通の乗り合い馬車は実は人力車より先に登場するのですが
ほとんど普及しなかった。

鉄道馬車は便利だね 一区二銭
白い旗なら出るんだよ
赤い旗なら待つんだよ

人力車と鉄道馬車はとても仲が悪く、何かと言うと因縁をお互いにつけて
喧嘩ばかりしていたらしい。

ただ、馬糞で町中がとても臭くなる
明治末期には路面電車に取って変わられていく

文明開花は人力車と共に」への1件のフィードバック

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