[ことば日本史] 神風

ことば日本史、鎌倉時代から

文永11(1274)年、対馬の西方海上は、蒙古軍船でうまっていた。

文永の役、まもなく佐須浦に数隻が接岸してきた。
地頭の軍勢は少なく、矢をかけあっていられたのもしばらくだった。
佐須浦の民家はすべて焼き払われ、対馬は蹂躙された。

それから8日後、壱岐島に二艘の船が現れて上陸、ここも制圧された。

博多に続々と武者たちが集まってきた。だが、蒙古と日本とでは、戦いのルールがあまりにもちがっていた。そのうえ火薬を用いた「鉄はう」にも驚かされる。

あきらかに劣勢だった。

神風
ところが、この危機は強風雨によって免れた
蒙古軍船は次々と難破

この時の強風雨は台風というほどの者ではなかったらしい
色々説はあるが、一回目は様子見的な意味合いだったかも知れない

これで終わるはずはない
日本も再来を防御すべく軍備の増強

弘安4年、再び蒙古軍がやって来た

今度は暴風雨

何とも不思議なことに2度目も逃げ帰ることになる

3度目は?

なかった

別の外交上の理由で、蒙古がそれどころではなくなっていた

ここで、あまりに有名な言葉「神風」が定着し
ずっとずっと先の、太平洋戦争まで生き続ける

元々存在していた言葉
伊勢に対する枕詞だった

ところが、言葉は共通の「意識」になる

日清日露戦争を経て
神に守られた特別な国なのだと

自然現象だったはずなのに
人間が命を投げ出して作り出すもの、に変貌する

神風特攻隊

歴史
歴史は「事実」なのか

歴史は意図をもって語られるものだということを忘れてはならない

風は吹いたが
それは「神風」だったのか

神風だったとして
太平洋戦争に勝てる、理由づけになるのだろうか

歴史は考えるための材料

どう使うか
われわれ一人一人に委ねられている

[日本語]シリーズはこちら(少し下げてね)

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