湯島からのウォーキングその3

湯島からのウォーキング
湯島からのウォーキングの続き
の続きです

無縁坂
♪忍ぶ忍ばず無縁坂

■講安寺
寺院としてはとても珍しい土蔵造りの本堂

■東京大学
東京大学のなかを散策しましょう

■東京大学総合研究博物館
東京大学の医学部の中にある東京大学総合研究博物館
大学内での博物館はとても面白いものが多かったので期待大

結論的に言うと期待にたがわぬ面白さ
特に企画展の
骨が語る人の「生と死」 日本列島一万年の記録より
がとても面白かった
企画したのがあの海部陽介さん
古代人になって丸木舟で日本に渡る実験をした人
面白くないはずがありません
骨から、それぞれの時代の人々の特徴を探ろうというもの

企画展に紙面を割きたいので、常設展は丸っと割愛します

■縄文時代
上腕骨に注目
人類史上、最も上腕骨が発達しています

特に面白いのが、縄文人とひとくくりではなく、地域によって違うということ
内陸部より、海岸部の男性の方が発達している
特にその中でも、愛知県の保美貝塚からは特に極端に上腕骨が発達した骨が見つかる
その貝塚からは、他の貝塚にはない特徴があり
かなり遠洋まで出て、魚を取ったり、伊勢湾を往復して対岸の石器が大量に持ち込まれたりしている
この地域の人は特に丸木舟を使った漁業や交易に優れていたと思われます

海岸部の骸骨の耳の穴の部分に外耳道骨腫という病気のあとがある骨がありました
素潜りの影響で病気になったと思われます

現在でも骨が折れた場合にギブスとかて固定して、自然に骨が繋がる事がありますが
縄文人でも骨が折れているのに繋がっている骨があります
骨が折れて重症になったのに、生き続けたということが分かります
動物の場合、そのような重症になるとそのまま死んだり、他の動物の餌食になりますが
人間の場合は助け合う事で、その後も生き続けられるということの証明です

弥生時代と違って、縄文時代は集団同士の戦争が無かったと思われます
弥生時代にある人を殺すための武器が縄文時代では見つかっていません
ただ、個別の一体一の喧嘩はあったようで、頭蓋骨に穴が開いたり、やじりが突き刺さっている骨もあります
ただ、周辺にはそのような骨はないので、開くまでも集団的ではないようです

■抜糸の風習
縄文時代の骨に、同じ箇所の歯が抜けている集団があります
すなわち意図的に抜いたと思われます
成人や結婚等の時に通過儀礼として抜いたのではないかと思われます

また、東海地方等の一部だけなのですが
歯に刻みを入れている例があります
これも風習なのか
お洒落の一環なのかは分かりません

■歯と顔の変化
縄文人の歯は子供の頃は現代に近いのですが
成長するにつれ、歯がどんどんすり減って行きます
現代は、上の前歯が下の前歯より少し前に出ているのが普通ですが
縄文人の成人では前歯も完全に噛み合います
前歯をかなり多く使ったと思われます

ほりはとても深い顔立ちです

弥生時代になると、渡来人が多くやって来て
縄文人と混じり合うため、顔つきが変わり
ほりは浅くなります

鎌倉時代になると、かなり出っ歯の人が多くなります
炊いた穀物を食べるようになり、奥歯でのみ噛むようになる傾向になるためです
もうひとつ、箸の普及があります
食べ物を箸で奥まで運ぶようになり、前歯をあまり使わなくなりました
ただ、この時点では歯並びは綺麗です

江戸時代になると、歯並びが悪い人が目立ってきます
あまり噛まなくなり、下顎が発達しないため、
歯が生える物理的スペースが小さくなるためです
人類史上、最も小顔になる時期です。
そして、より噛まない武士や公家などでは下顎が発達しないため、顔が長くなっていきます
寿命は延びたが、身長が低くなったのもこの時代の特徴です

第二部の墓の形態の時代的変化も知らないことだらけでとても面白かったです
特に衝撃的だったのが
奈良から平安時代にかけて、人骨の発見例が極端に減るということ
仏教による火葬の普及、儒教の影響で葬送に金をかけることへの戒め、当時の庶民たちは墓を作らなかったこと等の影響に寄ると思われます

長くなりすぎたので、第二部の方は省略したいと思います

■東京大学キャンパス
戻りまして東京大学のキャンパス散策を続けましょう
赤門

東京大学マンホールあれこれ




法学部

安田講堂


三四郎池



■農学部
上野教授とハチ公像

ハチ公の心臓と肝臓

水戸藩の知恵袋、朱舜水終焉の地
後楽園を作った人です

このあと東京大学を抜けてまだまだウォーキングは続きます
続きは次回ね

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

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