小平市史跡巡り3

小平市史跡巡り2
の続きです

平櫛田中美術館
彫刻家では超有名な人なんですね
お恥ずかしい。全く知りませんでした
平櫛田中(ひらくしでんちゅう)と読む彫刻家の号
幼い頃は田中姓だったんだけど、平櫛家に養子に入ったから、二つの姓をくっつけて号にしたらしいです

とても長生きした人で、何と107歳まで生きた
その時の長寿記録保持者
同じ時に泉重千代さんという人がいて、120歳ということで、私も名前に記憶があるけれど
その後、出生年が疑わしいとのことで今は否定されているらしい
ということでくりあがり
玉川上水沿いの平櫛田中美術館の場所は、「九十八叟院(きゅうじゅうはちそういん)」と言って、98歳の時に移り住んだ邸宅
余生を楽しむためではなく、ここでもどんどん創作

一番有名なのが鏡獅子
そういえば見たことあるような
美術館内は撮影NGなので、
購入した絵葉書やネットからの引用で紹介していきます

鏡獅子
さすが代表作
戦争中で製作出来なかった時期を含むとはいえ、20年もかけて作り上げた超大作


平櫛田中の製作手法は星取り法というもので
石膏でまず作り、そのあと木彫りに移していく
その関係なのでしょうか、ひょっとしてオリジナル作品もいくつか作れるのかな
美術館にあったのはけっこう小さい
本当は、というか有名なのは、高さ2メートルの大迫力のもので
国立劇場に置いてある

六代目尾上菊五郎が全面協力
時には裸になってポーズをとった

出来上がった鏡獅子に感激した国立劇場が2億円で買いたいと申し入れた

これは菊五郎さんと一緒に作り上げたもの
そんなことしたら、先に天国で待ってくれている菊五郎さんに合わせる顔がありません
と、寄付をした

もちろん鏡獅子には引き込まれるものを感じたけど
私が一番心引かれたのは気楽坊(きらくぼう)

後水尾(ごみずのお)天皇は、徳川秀忠の娘と政略結婚させられたことに不満で、
「世の中は 気楽に暮らせ何ごとも 思えば思う 思わねばこそ」という歌をつくり、
気楽坊と名づけた指人形を作らせて、日々のやるせない気持ちを慰めた。
以前、ブログにも書いて、その思いが分かっていたから
後水尾天皇と聞いただけで、この指人形の意味することがよく分かった
ずっと見ていられる

人から求められることが多かったことから、
格好や彩色に様々な変化をもたせて数多く制作している。
絵葉書を買ったのは、色付きバージョン

もうひとつ絵葉書で買ったのはこちら
お坊さん二人が問答をしている様子
こんな良い表情よく表現できたなあ

以上3枚の絵葉書を寝室に押しピンで止めて毎日眺めている






邸宅「九十八叟院(きゅうじゅうはちそういん)」の庭園は
残念ながら、現在改修工事中で囲われちゃっていた
それでも伸び上がってこれだけは写真におさめた
100歳の時に、数年かけて大作に取り組むべく入手した大木

平櫛田中




海岸寺



ここの何が良いって、茅葺きの山門
でも、残念。改修工事中で、囲われちゃっていました

本来ならこんな感じというのをネットから拝借しました


[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

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