[足利将軍]6 義教。くじ引きで選ばれた将軍

義教

義兼が17歳で将軍を継ぐが、2年後には亡くなってしまう
その後、後継が決まらぬまま、前将軍義持が政治を行う
その情況が3年も

義持としては、信ずる八幡神からのお告げがあって、自分に男の子が授かると

義持が病に伏すことになり、周りは焦る
何としても後継を決めてもらわねば

義持の護持僧満済が良い案を思い付いた

義持の四人の兄弟(青蓮院義円・大覚寺義昭・梶井義承・相国寺永隆)のうちから一人を八幡の神前でくじ引きで決めてはいかがでしょう

八幡神が決めていただけるというのであれば良かろう
くじ引きは私が亡くなったあとでやってくれ

将軍をくじ引きで決めるなんて前代未聞ではあるけれど
意外にこの方法重要な局面で使われてきている
神様が決めたことになるから、負けた方も言い訳が立ちやすい

長男以外はもめ事が起こらぬよう出家するのが通例
お坊さんが集められた

「義円」

還俗(げんぞく)して第6代将軍、義教となる

これに不満を持つ人物がいた
くじ引きに呼ばれなかった足利持氏

京都には幕府が置かれているが、それに次ぐ重要拠点、関東の鎌倉には
鎌倉公方(くぼう)が置かれ
代々足利の兄弟クラスの重要人物がその職に着いている

持氏は次期将軍には自分こそふさわしいと思っているし
鎌倉公方としての実績もある
少なくともくじ引きには呼ばれてしかるべし

ここから京都と鎌倉の大バトルが始まります

義教
義教はやる気まんまん
ただ、選ばれ方が前代未聞だし、少し前までお坊さんだった
もともと、室町幕府の構造的な問題として
直轄の武士がほとんどおらず
主たる大名たちに支えてもらわなければ何ともならない
馴染みの大名が一人もいないところに飛び込んでいく事になる

くじ引き後1年2ヶ月で何とか髪の毛を伸ばし、元服と将軍宣下を執り行う

大名たちには、協力的なものとそうでないものに分かれていくが
そうこうしているうちに、鎌倉公方の持氏が反乱の準備を始める

そうなると、非協力的な大名たちがなだれを打って持氏支持に回るかも知れない

義教は富士山見物の旅行を計画する
そんな大変な時に何を悠長な、と思いますが
目的は、富士山綺麗だなあ、って事だけではない
お供を大名に命ずることによる言わば踏み絵
大軍を引き連れて、鎌倉近くまで行くことは
持氏に対する示威行為となる
行列は20kmにも及んだ

では、ものものしい雰囲気であったかというとそうではなかった
あちこちでみんなで和歌を読むなどの、文化的に楽しむ側面が強調された
ある意味「余裕」を見せつけたのかも知れない

そんな義教が変化していき
最終的には悲しい結末を迎えるのだが
後半はシリーズの次回

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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