[岩宿]4 戦争とおばさん

[岩宿] 相沢忠洋というひと
[岩宿] 一家団らん
[岩宿]3 少年の孤独
の続きです
考古学の歴史を抜本的に塗り替える大発見をした、相沢忠洋さんの自伝「岩宿の発見」から

志願兵として
相沢忠洋少年も、青年となり
日本は戦争へと突入していく

相沢青年は、志願兵となり、横須賀へ

駆逐艦「蔦」を作る仕事を担当
大工部門を受け持っている工員さんと仲良くなる

「兵隊さん、下宿は決めましたか?」

「まだです」

「どうです。広くはないが家でよかったら来ませんか」

休みには何度か泊まらせていただいた

3度目に訪ねたとき、おばさん(工員さんの奥さん)もおられて
こころづくしのごちそうをいただき、賑やかに雑談した
たまたま鎌倉の話になった

「鎌倉は子供の頃に住んでいたので知っていますが、あまり行きたくない」

「鎌倉のどこに住んでいたのですか?」

「浄明寺です」

「・・兵隊さん、お名前は?」

「相沢です」

おばさんは一瞬驚いたようだったが、取り繕うように別の話題に移った

あくる朝、帰るとき、おばさんも同じ方向に用事があるので一緒に行きましょう、ということになった

鎮守府正門近くになった時、おばさんが突然立ち止まった

「洋(ひろ)ちゃん、元気で大きくなったわね・・・」

おばさんは、11歳の時別れたお母さんだった

まったく戸惑ってしまい、その後何を話したか覚えていない

その後は上陸が許されない日々が続く
いよいよ出港が近くなった日、短時間だったが上陸が許された

急いで、工員さんの家を訪ねる
不在
思いきって、お母さんの職場先を訪ねてみた

近くの防波堤の上に並んで腰をおろした
「出港なんだね」
包みの中から大きなおむすびを取ってくれた
生まれて初めてのなんとも表現のできない味だった

この時、お互いに何を話したかも覚えていない
ひどく長い時間だったようにも思えるし、ひどく短かったようにも思える

「くれぐれも体に気をつけて」

当時、出港してしまえば、再び生きて再会出来ることなど思いもよらなかった

出港の日、工員さんも見送りに来てくれた
親子であることはまだ知らない

出港後、甲板に立ち、逸見の山の方を眺めた
その一角にお母さんがいる

季節が巡り夏になった
「蔦」は山口県の小さな漁村の海岸に敵機の攻撃を避け擬装接岸していた
8月6日、北東方の一角で異様な閃光が起こった
その方向に入道雲のようなものが広がっていた

全員が甲板に集められ
出撃命令が出されるであろうことが告げられる
それからの10日間は慌ただしかった

8月15日「総員集合」で甲板に整列
スピーカーから玉音放送が流れた

呉港へ終結せよとの命令が出る
自爆か、突撃出港かのいずれかだと思った

呉で伝達があった
「即時帰郷準備をするように」

戦争が、終わった
帰れる

19歳の夏だった

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

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