[ことば日本史] 座敷

「ことば日本史」からの引用です。室町時代から

座敷
平安時代に登場した寝殿造の建物では、
部屋の間仕切りはなく、床は板敷だった。
室町時代半ばになると、寝殿造を母胎として、
生活様式の変化にあわせた変容と改良が加えられ、
書院造が登場する。
書院造では、部屋は細かく分けられ、
畳が敷き詰められた座敷が設けられる。

畳は、もともとは菅などを手編みにしたムシロ、ゴザ類の総称で、
それを幾重にも重ねたものを床にして寝ていた。
つまり、寝具だった。
また座るための敷物として使われることもあったが、
使わないときには、巻いたりたたんだりして片付けるものだった。
畳んだので畳なのだ。

ちなみに、掛け布団にあたるものは、衾(ふすま)といい、
麻布をつぎあわせたものだった。

十五世紀後半には、部屋全体に畳を敷きつめるようになり、
その部屋を座敷と呼ぶようになるが、
もとは来客のときに畳などの座具を敷いて座れるようにする部屋のことを座敷といっていた。

座敷が、畳敷に加えて、床の間や違棚(ちがいだな)、付書院(つけしょいん)などの座敷飾りをそなえ、
縁側を隔てて庭に面するという形式の部屋を意味するようになったのは、
十六世紀末以後のことになる。
座敷に、厚い畳が敷きっぱなしにされ、
室内を装飾する意匠を集約する場として床の間が設けられたことは、
日本人のライフスタイルと美意識に転換をもたらした。

たとえば安土桃山時代には、「畳割り」といって、
畳の大きさの単位にあわせて建具どの規格や部屋の大きさが決められるようになる。
畳は、家屋や建具の大きさを決定する単位として機能するようになったのだ。

町屋でも畳が敷かれるようになるのは江戸時代のことだが、
元禄時代ともなれば、大坂で畳や「畳割り」の建具、
天井などの大量生産が行われるようになる。

こうして日本人の室内空間についての感覚は、
畳を単位とするようになった。

ただし江戸では、「柱割り」といって、
柱と柱のあいだの距離を基準として部屋の大きさが決められており、
このことが、今日でも「江戸間(田舎間)」と「京間」の違いとして残っている。

座敷が登場する以前は、
茶の作法も、禅寺でのスタイルである椅子を用いた形が基本だった。
畳に座して茶会が行われるようになると、
座法も代わり、茶の作法も礼法もそれに対応するものが生まれ、
調度品も座敷にふさわしいものが好まれるようになる。
当然、美意識も変わる。

畳に座って床の間に目を向けるときの「視座の低位化」など、
「畳の出現と普及は、日本人の振舞=行動様式や美意識のあり方を、
畳との密接な関わり方のなかで育てることになった」のである。
それは「生活空間の微小化、生活感覚の微細化」としても現れた。

たとえば四畳半
次回は、四畳半についてもう少しお話しします

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

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