皇極天皇、私やめても良いかしら

女性天皇、推古天皇の後は皇極(こうぎょく)天皇、斉明(さいめい)天皇です

皇極天皇とは
皇極天皇は史上2人目の女性天皇です。
推古天皇からすると孫の世代です。

夫は舒明(じょめい)天皇
推古天皇の次に天皇になったのが舒明天皇です。
実は、舒明天皇の前に、用明天皇の孫である高向王(たかむくのおおきみ)と結婚し、漢王子(あやのみこ)という子をもうけている。
再婚したということ。
舒明天皇との間にも子供をもうけるが、それがあの有名な天智天皇と、天武天皇。
なんとあの二人の母親な訳です。

2つの初めて物語
初めての女性天皇は推古天皇ですね
皇極天皇は2人目
でも、皇極天皇は史上初めてという事を2つもやっている

■譲位
それまで死亡しか天皇が変わる要件がなかったのだが、自分の意思で天皇を譲るという事をやった。
ここから、大きく歴史が変わる

■重祚(ちょうそ)
2回天皇になること
譲位したあと、やっぱりもう一回やっていい?

譲位は弟の孝徳(こうとく)天皇に譲るんだけど
孝徳天皇没後、もう一回天皇の地位についたときの名前が斉明天皇。

なぜ天皇になることが出来たのか
推古天皇が女性でありながら皇位につけた背景には
蘇我馬子が起こしたクーデターが関わっていました。

今度の皇極天皇もクーデターが大きく関わります。
舒明天皇没後、蘇我馬子の孫、蘇我入鹿が山背大兄王子(やましろのおおえのおうじ)を殺す
山背大兄王子は聖徳太子の子供です。

山背大兄王子は舒明天皇の子供の古人大兄王子(ふるひとのおおえのおうじ)や天智天皇や天武天皇にとって1世代上で、共通の敵

蘇我入鹿一人の単独行動ではなく、みんなの意思が関わっていたと思われます。
ところが、肝心のその次の調整がうまくいかなかった。
次の候補3人ともまだ若いというのもあり、
ある意味、時間稼ぎを3人とも、したかったのだろう。

ここで、推古天皇の、前例、が効いた。
皇后の経験がものをいった。
ここはひとつ、前皇后お願いしますとなった。

微妙なパワーバランスの中で、一触即発状態が3年続く。
そしていよいよあの事件が起きることになる

乙巳の変(いっしのへん)
我々の世代は、大化の改新と言っていた気がしますが
大化の改新はその後の様々な改革を言い、
事件そのものは乙巳の変というようです。

天智天皇が蘇我入鹿を殺害。

この事件は公の場で、天智天皇自体が実行犯となる
天智天皇が母である皇極天皇に耳打ち。
皇極天皇は、良いですよと言わんばかりに、席を外す。
後はご自由に、の合図。

譲位
となると、皇極天皇は、もういいですね、と譲位。
弟に譲る。

あれっ、不思議ですね
天智天皇が蘇我氏を滅ぼした。
普通に考えると、譲位する相手は、勝者である自分の子、天智天皇。

ここです。
ここが最大の謎。

とりあえず、年齢が若かったというのは一つの理由。
聖徳太子の時も同じ理由

本当にそれって、当時、絶対的な条件なんでしょうか
まあ、仮にみんなに共通の認識だったとすると
それを分かっていて、次に自分のところに回ってこないということが分かっているのに
なぜ、天智天皇は自分の手を血に染めてまで、事に及んだのか。

年齢というのは単にひとつの要素で、後付けの理由だった気がする

おそらく、読み間違えた
今まで政争で殺したり殺されたりはいっぱいおきている
ただ、ほとんどが誰かにやらせる
ないしは自害するように仕向ける
自分自身が実行犯というのはほぼ初めてのケース

言わば、殺人者
殺人者を天皇にしていいのかという、抵抗感を回りのみんなが持ってしまった。
ほとぼりが冷めるまで、かなりの時間を要した。

もっと不思議なこと
実は私がもっとふしぎだと思うことがある。
もうひとつあった、とてもシンプルな選択肢をとらなかったのはなぜか
なぜあえて、前例なきことにチャレンジしてまで、困難な道を選んだのか
そして、その結果が普通に考えるとより不利なことなのに、です。

何が言いたいか

最も楽な選択肢は、そのまま、自分が続けることじゃないかと思うんです。
弟に譲ってしまうと、もはや、自分の息子のところに戻ってこないかも知れない

私が読んだ2つの本では、
なぜ息子に譲れなかったかは論じられているのですが
なぜそのまま続けなかったのかについて論じられていない。

であれば、他に当たってみるべきですが、
せっかくですので、ここは、敢えてそれをせず
私が、完全に独自に考えてみようと思います。
何の根拠も裏付けもない、素人の説としてお聞きください。

天皇となるとやりたいはず、と思ってしまいがちですが、
たまたま天皇家に産まれたけど
そんなの嫌だと思っている人もいたんじゃないか、という説です。

ねえ、息子よ
乙巳の変では、大変だったわね
正直、邪魔者は消えたけど
私も読み間違えたわ
あなたに対してみんなから
こんなに抵抗感が強くなるとは思わなかった
私、疲れたわ
あなたには悪いけど、
ここはいったん諦めようと思うの
私、この仕事やっぱり好きにはなれないのよ
弟に譲るわ
時期を置けば潮目も変わるわ
又、時期がたってあなたにチャンスが回ってくるような事があったら
その時は目一杯応援するから

そして、その後、弟の孝徳天皇没後は
皇極天皇も、気持ちが落ち着いており
まだ残念ながら直接息子へは無理だと判断し
ここは、再度積極的に時間稼ぎのために自分が即位することにした

自説にとって都合よく人の気持ちが変わるという
ご都合主義の説でございました。
大変失礼いたしました。

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