安倍仲麻呂、天の原〜

今回の百人一首は、安倍仲麻呂(あべのなかまろ)です

天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に いでし月かも

広々として、はてしなき大空をふり仰いで見ると
月が美しくのぼっている。
ああ、あの月は、私が故郷で見た、
春日の三笠の山に出た月と同じものなのだなあ。

解説
安倍仲麻呂は遣唐使で中国に渡りました。
遣唐使のメンバーに選ばれた訳ですから、かなりのエリートです。
最澄や空海もそうでしたね。
とは言え、当時の航海技術では、命がけの事だったようです。
そして、この安倍仲麻呂
行くには行けたが帰ってこれなかったんです。

そんな、安倍仲麻呂にとって、春日や三笠山というのは
特別の意味のある地名です。
春日は自分のふるさと。奈良県奈良市の春日大社のある場所です。
そして、三笠山は旅の無事を祈願した場所

となると、
ああ、帰れない、哀しい
って歌かなと思いきや、そうではない。
この歌が詠まれた時期です。

仲麻呂が唐で30年もの長き時を過ごし、
ようやく帰国が決まった時
あるいは、帰国途中の船の上と言われています。

喜びの歌です。
もうすぐ、帰国して三笠山であの月を見れるのだなあ。

いでしのしは、体験的回想を表すんですって
ああ、30年もの長い間よく頑張ったなあ
でもその苦労も報われるんだなあ

長い時間を今につなげるもの
し、の一文字で長い時間への思いを表してるって言うんですから
和歌ってほんとにすごいですね

ところが
船が遭難しかけ
やむなく、唐に引き返す。
そして、最後まで帰れることなく、唐で一生を過ごす。

この事実を知ってから、もう一度読み返してみると
哀しみの歌と思いつつ感じるより
喜びの歌のはずだったのにと、哀しさが押し寄せる。
この歌を百人一首に選んだ、藤原定家こそが
一番すごいなと思うんですけど、どうでしょう。

後日談
ただ、本人に聞いてみないと分からないんですが
引き返したのが、50歳の時
その後、唐の高級官僚として、要職を歴任し
なんと72歳まで生きたらしい。

異国の地では大成功。
どうだったんでしょうかね
結局は幸せだったと思いながら人生を全うしたのかな

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