これが情熱の鎌倉古道か

ウォーキング同好会のイベント、鎌倉街道に参加しました。

古道研究家、宮田太郎先生をお招きし、詳しく詳しく説明して頂きました。

以前コラムでも書きましたが、いよいよ昨日が本番だったわけです。

関心しっぱなし
圧倒されっぱなしの一日でした。

昔の道を見つける。
言ってしまえばそれだけの事がここまで面白いことなのか

は行の感嘆詞が連続して口をついて出る。

はーーっ
へーーっ
ほーーっ
それぞれ30回は言ったと思う。

鎌倉古道
集合は、小田急線鶴川駅。
バスで別所というバス停まで移動。

ざっとした説明の後、緑豊かな丘陵の中へ

なんかそれっぽい所で立ち止まる

今日は、道がそれぞれいつのの時代にできたか見分ける方法を習得して頂きます。
ここは、こういうふうに横の土が崩れていってますね
こういうのは、明治か昭和の時代に農業用に作られた道なんです。
へーーっ

来たぞ。
配られた地図だとこの辺か
どーんと切通が広がる

地層が見えるところに集まって

この色を覚えてください。
この色は縄文時代です。
その上のこれ。
この硬さのこの色のこの地層が横に筋になっていますね。
これこそが、鎌倉古道の跡です。

皆さんが歩いてこられたところ
これはあとから作られた道で、鎌倉時代のものではありません
先ほどの地層から、こんな感じでつながって、
はい、皆さん、こちらの上まで上がってきてください。
これこそが鎌倉古道です。

みんなが口々に
ほーーっ

目の前に今まさに、鎌倉古道がまっすぐに伸びていった。

それから
それから先は、もうめくるめく世界。

この道は新選組の近藤勇が合計36回通り、土方歳三が11回、沖田総司が12回通りました。

はーーっ

沖田総司は、大変几帳面な性格で
朝起きたら必ず掃除をしていたんですね
へーーっ
間違えた。
ここは笑う所だ

この道は、徳川家康の遺骨を駿府から日光東照宮まで運ぶとき
1300人もの大行列が通ったところなんです。
この先の神社の横で
けっこう長い間休んだんです。
なぜなら、牛車の車輪が壊れて、それを近くの鍛冶屋を呼んできて
直すまでの間、ぼーっとしてたから

この場所のすごいところは
鎌倉時代、江戸時代、もっと前の古代と、色んな時代の道が色々存在することです。

色んな話をし出すとキリがないのでこの辺にしておきますが
すごいなあと思ったのが
この辺は、さっき見たところとおんなじような感じでしょう
というところが一切無かったこと。
すべての場所が新しい場所の発見

とにかく先生の話し方がジョークを交えつつ
グイグイ引き込んでいくし
コースの組み方が上手いんでしょうね。

この先がすごいんですよ
でも、今日は時間の関係で割愛します
というのがあちこちであって

ちょっとちょっとちょっとーっ

今日はよく皆さん歩かれましたね
もうちょっとで終わりますからね

みんなが
ええーっ?
もう?

もう一周しましょうよって感じ。

宮田先生という人
お地蔵さんの説明の時です。

さっきあったお地蔵さんは立ってましたでしょう。
あれは旅人に対してのお地蔵さん。
こちらは座ってますでしょう
これは、近くに寺があるという事。
でも見てきた2つの寺の跡とも遠いですよね。
不思議だなあ、と思って調べたんです。
そうするとね。
この近くにも、尼寺があったことが分かったんです。

そんなこと、どこかに文書で本当に残っていたのかな。
とても、引っかかりましたので質問しました。

先生、先程から、調べたんですって何回か言われてますけど
いったいどうやって調べるんですか

それは、聞き取り調査です。
ノートを持って、村の長老のところを何人も何回も通いましてね
ダーッと速記して行くんです。
繋ぎあわせて確証を得ていく
大学ノートがこんなになります。

また、別の説明の所で

私は聖績桜ヶ丘の出身でしてね。
近くの多摩ニュータウンで大規模開発が行われ
貴重なものがどんどん潰されていくのを見て
涙が止まらなかったんです。

オーバーな表現ではないと思いました。
この人なら、本当に大粒の涙を流しただろう。

本物だ。
数少ない、情熱だけで生きている人間だ。
目の前にいる、この人。

出会えて嬉しい楽しい人っていっぱいいる

でも、ひとランク上の
何かにつけて何度も思い出すであろう、宝物の経験を提供してくれた人

今日の出会いに感謝します。

これが情熱の鎌倉古道か」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 町田ウォーキングの続き | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です