8代吉宗は、あれれ、なんで三段跳び?

吉宗は有名なんてもんじゃないですね。
大物過ぎますので2回に分けます。
前半は将軍になるまでです。

なんで将軍になれたの?
まずは、将軍になるまで

徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれます。
ラッキーにも、四男でありながら、紀州藩主になります。
そこでも、手腕を発揮。
財政を立て直します。

さあ、家継がわずか8歳で亡くなり、いよいよ徳川宗家にお世継ぎがなくなります。
いよいよ、スペアとして作っておいた御三家から起用せざるを得なくなります。

では、誰を。

格で言うと、まずは尾張です。

結論で言うと、前回お話した、天英院の推しで紀州の吉宗に決まります。

天英院の言うには
前将軍、家宣の遺命

これは、嘘です。

実は、家宣は自分がもう長くないと悟った時
新井白石にこう言っています。

息子の家継はあまりにも幼い。
一旦、尾張の吉通(よしみち)に譲ろう
家継が成長した時に戻してもらうようにお願いしよう。

結局、この案は新井白石の反対で取り下げられるが
尾張と考えていたのは明らか。

天英院がなぜ吉宗を推したかはよく分からない。
月光院が尾張を推したからという理由な気がする。

いずれにしても、その後も影響力を持つには
自分が推した者が次の将軍になってもらい
自分の派閥を維持する事が不可欠。

不思議なことが起きます。
第一の候補、尾張の吉道が不思議な死に方をします。

食事をした後、急に血を吐いて悶絶
そばにいた医師も何も施さなかったというから、これも不思議。
遠く離れた江戸から、尾張に何かを仕向けたというのは
考え過ぎかもしれないですけど
その子供の五郎太もその後すぐになくなってしまう。
結局、尾張は吉通の弟、継友(つぐとも)が当主となる

当主になったばかりより、
前から当主で実績も出している方が良いですねとみんなを説得。

でもね
やっぱり吉宗は大したもんだと思うのは
天英院派の吉宗、みたいな感じにはならないという事
月光院ともうまくやる

あの二人怪しいんじゃないの
って言われるくらい親しい

まあ、江戸に来る前に、正室も一人目の側室も死んじゃって
独り身として江戸に乗り込む
そっち方面では色々噂も出ますよね

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