8代吉宗は、ぶさいくが好き?

吉宗の後半です。
将軍になってから

やったこと
これは、あまりにも有名で
様々な改革を成し遂げます。
破綻しかけていた財政の復興などをしたことから中興の祖と呼ばれています。

皆さんご存知だと思いますので、ごそっと省略
私は、ちっちゃなエピソードを中心に紹介することにしましょう

奥さん
吉宗の正室はやっぱり宮家からもらう
真宮理子(さなのみやまさこ)

ただ、お世継ぎに恵まれることもなく、
早くになくなってしまう。
その後、正室はもうもらうことはありません。

お世継ぎを産んだのは側室のお須磨
長福丸、後の家重です。

ところが、その後早くにお須磨さんも亡くなってしまう。
こりゃいかんということで
また側室を探そうと思いますが
家重を育てるという事があるので
お須磨さんと親戚関係の人が良いでしょうという事になります。

頑張って探します。
ようやく見つかった女性がお古牟(おこむ)さん
ところが、吉宗への報告に躊躇します。

いくらなんでもというお顔立ち。
言い方を変えますと
へちゃむくれ

恐る恐る
あのぅ

構わんよ
貞淑で嫉妬深くなければそれで良い。
顔なんぞは2の次

次男小次郎(のちの田安宗武)を産む

いよっ
さすがは吉宗。

美女探し
いよいよ、将軍になれることになり
江戸へ向かうときのこと。

器量良しを探しておくように

これはっ。
いよいよ、本格的に側室選定かっ

みんな色めき立ちます。

すったもんだあったでしょうね
50人がリストアップされます。

これは、自信がございます。
いずれ劣らぬ器量よしでございます。

そうかご苦労であった。
それほど器量よしか。
では、その者達に、明日から暇をつかわせ

ええーっ、そりゃまたなんでー

吉宗の大改革が始まった訳です。
まずは大奥の大リストラ。
大幅人員削減です。

器量よしであれば、
大奥におらずともどこでもやっていけるであろう。
ただ、そうでなければ、嫁にもいけるまい。

本人たちもこれには参りますね
あんた美人だからクビ
って言われちゃあ
文句の言いようがない

そこをなんとか
そんな吉宗にも、気に入った女中が現れます。

御年寄を通じて打診。

ところがです。
うまく行かないもので

折角のお申し出ではございますが
私には、国に、この人とといういいなずけがございます。

御年寄も再三の説得を試みますが首を縦に振りません。

仕方なく正直に話すと
怒るどころか
それはめでたいと
暇をつかわしてお祝い金を300両

素晴らしいですね。

御三卿
御三家とは別に御三卿(ごさんきょう)というのを作ります。
この理屈が私も最近まで分かりにくかったので、ちょっと解説

徳川は、長男が継いでいくので
次男以降は外に出ちゃいます。
よく、松平って出てきますけど、
あの姓がそれ。
松平になっちゃうと次期将軍候補ではなくなっちゃう。

吉宗としては、自分の跡が途絶えても、紀州系で繋ぎたかった。
そこで、先程話が出た、次男の小次郎に、松平ではない、別の姓を作り出した。
田安家として田安宗武
さらに、三男にも一橋家というのを作って、一橋宗尹(むねただ)

そうなると、例えば会社の組織で言うと
第一部(徳川宋家)
これは、自分が養子に入ったので実質、紀州家
 ここに課を作る
  第一課 これは自分と直系の子孫
  第二課 田安家
  第三課 一橋家
  第四課 清水家 これは次の家重の時に更に追加します。
第二部 尾張家
第三部 紀州家
第四部 水戸家

そうすると、自分の一課が途絶えても
第二部の尾張家より、第一部の第二課田安家や第三課の一橋家の方が近いことになる。
この二課三課四課が御三卿と呼ばれます。

実際に、10代家治のあと、また途絶えてからは
11代家斉が第三課の一橋家から
14代家茂は第三部の紀州から
15代慶喜は第四部の水戸家から第三課の一橋家に養子に入って継いでおり
 その一橋家からという事になります。

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