田沼意次にノーベル経済学賞あげたかったけど

田沼意次は父が紀州藩の足軽。
吉宗は江戸に行く時、紀州の家臣をごそっと連れて行くんだけど
意次のお父さんも連れて行ってもらえる

その後、意次は大出世を遂げます。
僅か600石の旗本から5万7,000石の大名にまで昇進。
側用人から老中になった初めての人物です。

でもここまで急激に出世すると、周りの目がね
あの野郎、田舎の足軽だったくせに、ってなりますね

性格は明るく
みんなでガンガンやろうぜって、タイプなので
好きな人と嫌いな人がはっきり分かれたでしょうね

田沼時代
吉宗以降、改革というのが繰り返されます。
そしてその間に、時代というのが入ります

享保の改革(吉宗)
田沼時代(田沼意次)
寛政の改革(松平定信)
大御所時代(家斉)
天保の改革(水野忠邦)

全て、改革とつくのは倹約中心
時代は、その逆の積極策です。

私は性格的に厳しいのよりイケイケの方が好きなので
時代、の方が好きなのです
ただ、家斉はちょっとどうなのよってね。
ずるいし、贅沢好きなだけじゃないのってところがあるので
田沼意次、大好きなんです

何をしたの?
株仲間の結成、銅座などの専売制の実施、鉱山の開発、蝦夷地の開発計画、俵物などの専売による外国との貿易の拡大、下総国印旛沼の干拓

教科書的過ぎましたね
いい事いっぱいですけど、失敗もあります。

ほんとにバクっとまとめちゃうと
経済の人

日本の資本主義の原型を作ったと言ってもいいんじゃないでしょうか
それまで幕府の収入って年貢一辺倒
財政が厳しくなると、どう、より多く年貢を取り立てるかという発想になる

田沼意次は吉宗の元で、強行な年貢の取り立てに対する一揆を見てきている
もう限界なんじゃない?
って考えた初めての人

農業が限界なら商業があるじゃないか
その頃の商業はかなり発達しているから
よーし、こっちから税金取ろう
でも、年貢取り立ての強化に対する一揆みたいになっちゃ意味がない
商業をより発展させつつ税金取ろう
賢いぞ、意次

あと、貨幣経済をちゃんと仕組みにしようとした人。
もうちょっとやれてれば、貨幣経済が根付いたはず。

不運が重なる
でも不運が重なったな
経済の人だから経済で失脚

天明の大飢饉が起きちゃった。
基本的に、江戸時代って、今より寒いんですね。
隅田川が凍ったくらい。
日本の近世史上では最大の飢饉。

そして、浅間山が大噴火。
災害の及ぶところ四十里、死者 3万5千余人に達したという。

しかも被害は噴火による直接被害に留まらず。
日射量低下による冷害傾向をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。
被害地は4~5年もの間、田畑の耕作すら出来なかったという

追い討ちをかけるように翌々天明6年には、関東地方で大豪雨による大洪水が起こり
利根川が氾濫し江戸を襲って新大橋、永代橋も流された。
溺死者無数という惨事を巻き起こした。

そうすると、経済は一気にあらぬ方向に。
田沼意次のおかげで、商人が力持ってます。
商人はここで米を買い占めて、価格を急騰させて儲けようとします。

で、農民が天明の打ち壊し。

でもね。
怒り狂って大パニックと思うじゃないですか。
ところが、涙が出そうになる記事があったんですよ。

「誠に丁寧礼儀正しく狼藉つかまつり候」

農民の目的は、あくまでも商人に対する抗議
店の者に暴力を振るうこともなく、金品の略奪もしなかった。
しかも、打ち壊す前に、火事になっちゃいけないと、火の始末をしてから打ち壊す。

何と、米をもって行くときは、若干のお金を置いていったというびっくりするような話まで。

前もお話ししましたが、警察(同心)って50万人の町人に対して、24人しかいないので
鎮圧なんてできるわけありません。

農民たちは、統制のとれた行動をしていて、さあそろそろやめましょうかね、と。
そのころを見計らって、警察がお出まし。
その時の言葉が
「誠に丁寧礼儀正しく狼藉つかまつり候」
どうもどうもありがとうって。

ええ国やね。
こういうのこそ、学校で教えるべきですね。

決定的事件
決定的事件が起きちゃいます。
田沼意知(おきとも)殺害事件

長男の意知が佐野善左衛門政言に江戸城内で殺される。
意知はかなりの切れ者で、早くから開国派だったらしい。
特にオランダ人等は、意知の死でかなり開国が遅れたと言っている。

個人的な恨みだったらしいんだけど、
佐野善左衛門は「世直し大明神」ともてはやされる。

最終的には、重用してくれた家治が亡くなると失脚。

賄賂
何だか、田沼意次って賄賂政治家ってレッテル貼られちゃって
歴史上の三大悪人と言われたこともあるようですね

次の反田沼派の大ボス、松平定信にコテンパンにやられるんだけど
色々、没収しようとしても、なーんも出てこなかったらしい。

賄賂が横行する時代になったのは嘘じゃなさそうだけど
こと、田沼意次個人についていえば
私腹なんてこやしていない。

結局政争に負けたってこと。
反田沼派が仕組んだ感がある。

もうちょっとやらしてあげたかったな。

おそらく、田沼意次なら
その難局をも、様々な手を打って解決できたかもって思う。
そしたら、堂々とノーベル経済学賞あげられたけどね。

さあ、次回はとってかわって松平定信。
全てが逆のタイプです。
さっきは、ちょっと悪く言っちゃったけど
これはこれで、また、大したもんなんですわ。
実はこの人にも好感持ってます。

田沼意次にノーベル経済学賞あげたかったけど」への1件のフィードバック

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