慶喜、クーデターで、さあどうする

徳川慶喜シリーズも大詰めです。
慶応3年の後半です。

諸侯会議
10/14の大政奉還で政権がガラッと変わった。
天皇を核とし、各藩が会議で物事を進めていきましょう。

10/21 各藩に、京都に来てください。
 でも出足が良くない。
10/25 重ねてお伝えします。出てきてください。
 期限は11月末ね

でも、結局、僅か16藩のみ

不思議です。
マンションの管理組合の総会とは訳が違います。
ああ、もったいない。

12/8に朝議をやろうと岩倉具視(いわくらともみ)が計画。
慶喜も、佐幕派の会津藩・松平容保(かたもり)、桑名藩・松平定敬(さだあき)も呼ばれていたが欠席。
野党の国会ボイコットみたいなもんですけど。
ああ、もったいない。
翌日にクーデターが予定されているとは思っていなかったんでしょう。

決定したのが、3つの復権。
長州、三条実美(さねとみ)、岩倉具視

そして、その翌日の12/9 薩摩藩兵が京都御所の全ての門を固める

王政復古の大号令
岩倉具視が王政復古令を明治天皇に奏上
明治天皇は前もって集めておいた親王、諸臣を集めて「王政復古の大号令」を発した。

あっけなく、クーデター成功。

今までの全ての役職は撤廃。
臨時に三職を置く。
総裁 有栖川宮熾仁親王
   和宮の元婚約者ですね
議定 松平春嶽、山内容堂、島津茂久…..
参与 岩倉具視…….

極端な倒幕派一色。

その後すぐ、三職で会議。
議題は、徳川家処分。

山内容堂は、
慶喜公も出席させるべきである
と怒鳴る
その後、失礼な言い方をしてしまい、
岩倉具視に一喝される。
松平春嶽はぐずぐず抵抗するが、力にならず。

いわゆる辞官納地
慶喜にすべての職を辞職させる。
徳川家でもなければ大名ですらない
どこの藩にも属さない、一介の浪人。
さらに、全ての領地を返上。
無一文になる。

大政奉還では、徳川家は残る筈だった。

決定。

これがクーデター。

伝えに行く役に春嶽が指名される

受けるか
もちろん、薩摩はその次を考えている。
慶喜が受けないとなると、戦しかない。
もともと、薩摩は実力行使での倒幕で決まっている。
大政奉還で土佐に先を越されたが、数ヵ月ずれただけのこと

戦の準備は終わっている。

既に伝わっていた。

春嶽到着。

勅諚ですか。
ならば着替える。

二時間待たせて瞑想。

将軍職を辞することは慎んでお請けつかまつる。
辞官納地についても依存なし。
しかし、今は即答できない。
いずれはお受けしますが、人心が沸騰している。

騙された。
ただ、薩摩に負けたというだけのこと。
挑発に乗っても勝ち目はない。

ただ、京にいる徳川軍1万弱。直属軍5000、会津3000、桑名1500
特に会津と桑名がことごとく開戦を叫んでいる。

説得を重ねる。
でも、どうにもこうにも言うことを聞かない。

松平容保と松平定敬が
このままだと爆発するでしょう。
まずは京を放れ、大阪に移りましょう。

これには、素直に従った。
決戦の準備と考えたからだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です