江戸のお風呂はどうやっても混浴

お風呂好き
江戸時代の江戸っ子は風呂が大好き。
最低でも、朝の仕事前、夕方の仕事後の2回は入ります。
4~5回入るのも珍しくない。

入浴しすぎて、肌はパッサパサだったらしい。
江戸っ子はこれが自慢。
垢抜けしたとは、このこと。

銭湯
住宅事情がとても狭いので、よほどの金持ちでない限り自宅に風呂はない。

営業時間は朝8時から夜8時
平均して120円くらいなんだけど
良くいく人は「羽書」というフリーパスがあって、とってもお得。

混浴
当時は全国的に混浴。江戸もまたしかり。
でも、なんとあの松平定信がいらんことします。
寛政の改革ですね
混浴禁止。

庶民にえらい不評。
その時に流行ったのが、男湯の2階から女湯の洗い場が覗ける格子窓のある銭湯。

松平定信が失脚すると、
待ってました!

一気に混浴が復活します。
面白いですね。
男性だけでなく女性もその方が良いってことなんでしょうか

50年ほど経って、今度は水野忠邦
天保の改革ですね。
混浴の禁止。

またまた何ちゅうことを。
はい、失脚
はい、復活。

庶民はどうしても混浴が良いんですね。

そして、最終的に
明治二年、新政府が厳重な取り締まり。
少なくとも東京からは、混浴は根絶されます。

明治維新と言えば、
えらく反発された法律がある
今で言う軽犯罪法
その中に、裸で外を歩いちゃいけないというのがある。
これが、みんなに大不評。

現実にはすっ裸というのではなく
たとえば、下半身は、
尻っ端折り(しりっぱしょり)で、ほぼフンドシだけ
みたいなのがダメ。

てやんでえ
粋でいなせなこちとら江戸っ子でいっ
ちゃんちゃらおかしいやいっ。

話を戻して、江戸時代の混浴。
実は、混浴といっても思ったほどは良く見えない。
構造に特徴があるからです。

構造
今の銭湯と違うところがいくつか
湯船のちょっと手前にある、ざくろ口というもの
天井から大きな板が下がってきていて、
そこをくぐって入る

そのおかげで中は湯気がもうもう
電気もない時代
暗いので、人影がようやく判別できるくらい

危ないので、声をかけながら入っていく
前お話しした
冷えもんでござい
あるいは
田舎もんでござい
あるいは
枝がさわります

由美かおるさんは撮影用ですね
あのシーンが湯気もうもうなら、クレーム電話殺到ですね

脱衣所と洗い場が壁で仕切られていないのも違うところ
ってことになると
洗い場では見えると思うんだけど
そこは書いてなかったので良く分かりません。

なんと、銭湯が見合いの場に使われたこともあるというので
今とは感覚が違うのかもしれません。

脱毛
その頃の銭湯に必ず置いてあって、今は置いていないもの。

男性用の毛抜きと毛切り

先ほどお話しした、尻っ端折りの時にヘアのはみ出しを防ぐため。
それなりに大変だったんですね。

二階
銭湯と言えば、何と言っても二階

江戸って、江戸東京博物館や、深川の博物館へ行くと
つくづく実感として分かるんだけど
まあ家が狭い。

外国人から、うさぎ小屋って言われたこともあったけど
江戸に比べりゃ広いもん。

家にいると気が滅入るので
あまり家にいない

台所仕事は、最低限のことだけを家でやって
あとは、共同の井戸のところに集まって
ワイワイ良いながらみんなでやる
だから、井戸端会議。

男衆は、何かというと銭湯の二階。
サロンになってます。

喫茶コーナーがあって、かりんとうだのせんべいだのが置いてある
本を読んだり、居眠りしたり、囲碁を打ったり。
風呂屋の二階が生活の中心だった。

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