世界に普及したテレビアンテナは日本の大発明

戦前の日本の発明品シリーズです。

前回は、電子式テレビの初めては日本人の発明だとお話ししましたね

今日は、テレビに関連してテレビアンテナです

八木アンテナ
昭和3(1928)年、東北帝国大学の八木秀次教授を中心とした研究グループは
テレビアンテナの原型となる、八木アンテナを開発

ところが、発明された当時、日本の学会からは無視されていた
電力に関わる研究はもてはやされていたんですが
通信に関わるものが人気がなかったみたい

気にせず八木さんたちは立て続けにガンガン論文を発表する
すると、学会は

東北帝国大学は、しばらくの間論文提出を遠慮してもらえないかな

そもそも、学会には、通信技術を理解している人がいなかったから
それがどれだけの価値を持っているか分からない

とすると、ただのごっそりある煩わしい紙屑

また、
西洋を凌駕するような技術を日本人が開発する筈ないとの思い込み

西洋では
ところがその価値をよーく分かっていらっしゃる人たちがいた
英米の人達

その技術を基礎として、第二次大戦の時のあるものを開発した

レーダーです。

結果はご存じの通りですね

大戦後、イギリスの艦隊の中に
YAGI ARMY
と書かれた機器が積まれていた。
耳慣れない単語
なんだろ、このYAGIって
辞書にものっていない

よくよく調べて、八木のことだと分かる
そうだったのね

戦後
戦後、八木アンテナは、テレビアンテナとして世界に爆発的に普及していく
テレビアンテナの代名詞
というか、VHSのテレビの電波は、そもそも八木アンテナ以外では受けられない

ところが
日本では、八木のお陰で戦争に負けたと
八木さんにつらくあたる
特許を認めなかった

一緒に開発した宇田さんに内緒で
八木さんが単独で特許申請していたりした
というちょっとしたゴタゴタも重なってね

世界的に特許取ってればえらいことになってたと思うけど

日本の誇る大発明
いいぞっ、八木さん

テレビアンテナといえば
テレビアンテナといえば子供の頃
父さんと屋根に登ってアンテナを直したのを思い出した

台風の後とかだったんだろうか
アンテナの向きが変わっちゃって、テレビ映りが悪くなる

父さんに、手伝って、って言われて
一緒に屋根に登る

滅多にない非日常なので、よーく覚えている
ここ押さえといて、とか言われて
あまり会話をしなかった父さんの
お仕事の役に立っているんだ
これは共同作業なんだという何とも言えない誇らしい気持ち

さらには、母さんが下でテレビを見ていて
もうちょっとー
私が中継して、
もうちょっとだってー

家族なんだなぁってね

もちろん
屋根の上からの景色は大興奮

またやろうね

CM
アンテナといえば
我々の世代、コマーシャルじゃないですか?

見えすぎちゃって困るの~

ああ
良いコマーシャルだったなあ

もっと困らせてちょうだいっ

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