我が家の歴史を訪ねて

鶴林寺の話でいっぱいとっちゃいました。

いよいよそのあと佐々木家が以前住んでいた場所の
探検の旅です。
去年の正月、西宮を探索したので第二弾です。

尾の上の松駅
鶴林寺から20分ほど歩くと尾の上の松駅です。
さあ、ここからみんなの記憶を合わせてたどります。
何せ、住んでいたのは、私で言うと、幼稚園から小学校一年生か二年生かというくらい

覚えているのはいくつかしかない。

一番見たかったのはトンネル
家の目の前が山陽電鉄の線路で土手になっている。
その下を通れるように穴が空いている

その壁にボールを当てて良く遊んだ。
トンネルを超えた先は、田んぼが広がっていて
春は一面レンゲが見事に咲き誇って、とても綺麗かった
そこに赤土の盛り土をしてあるところがあった。

ある日、そこに日立の広告の気球船が止まって大興奮

ピタリコーン、のついた、日立キードーカーラーアー
という歌を空から流しながらゆっくり空を動き回る
もう、授業どころではないので
先生も一緒になって気球船をおいかけまわした。

小さい頃のアルバム見るとどれだけその写真があるか。

土手
土手の思い出はつくし。
春のつくしの季節になるとつくしを家族総出で取って回って
佃煮を作る

駅から
駅の近くの一番近いトンネル
中の壁がでこぼこ
これではボール遊びは出来そうにない

そしてトンネルをくぐった向こうに神社が。
神社?
神社の記憶は全くない
トンネルから道への距離もみんなの記憶と違いすぎる。

道が区画整理で
変わったんだろうか

スッキリしない状態ではあったものの
ここなのかな

駅が変
父さんが一番引っ掛かっていたのが

駅ほんとにこれ?
もっと土手の上の高いところにあったと思う。

父さんはやっぱりひっかかかると
もうひとつ向こうの穴も見に行こう。

次の穴はもっとでっかい穴だった
車が2車線で行き交える

ええっ
こんなでかいの
いくらなんでも、こんな大きくはないだろう。

やっぱり、さっきのとこかなあ

次の目的地、高砂神社に行くか

もうちょっと
父さんが
もうちょっと向こうまで行ってみよう

ええっ、そんなにまで向こうに?

ああっ、あそこにもトンネルが

ここのトンネル
壁が平らだ
大きさもちょうどこれくらい。
道路のすぐ前

となると
この駐車場になっている一角に長屋があったのか
長屋の大きさとしてもちょうどいい

父さんが

野村さんだ!

その隣の表札
父さんがお隣さんを覚えていた。

裏の小さな川だ
ああ、ひろとも君の落ちた、あの川だ

揃った。
決定!

トンネルをくぐった

目をつぶる
広がる
今はレンゲ畑はないけれど
目さえつぶれば
自由自在

つくしだって、赤土だって、
キドカラーの気球船すら。
目の前に広がる

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最後のピース
ジグソーパズルの最後のピースが残っていた

駅からこんなに遠かったんだろうか

父さんには
最初から引っ掛かっていた駅の問題
さっき見た、あれは駅じゃない。

駅が移転したんじゃないか
大胆な推理。

歩いていくと
土手に、不自然な石垣のようなもの
階段の様にも見える
ここじゃないか。
ここに駅があった。
そう、駅は高いところにあった。

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とすると、全てが合う。

スッキリした。

ようし、次に行こう

高砂神社
百人一首をブログで紹介していますね

その中に、こんな歌がありました。

誰をかも 知るひとにせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに

この松は故郷の高砂神社の松

見に行こう

あった。
一つの根から雄株と雌株が出ている
相生の松なので、縁起がよく
昔から、縁結びや夫婦和合の象徴
三代目は天然記念物なんだけど、今は枯れてしまって幹だけ
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五代目の相生の松が育っていっています。
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百人一首だけじゃなく
結婚式の時の謡い
高砂や、この浦船に、帆をあげて
も、この高砂神社

夫婦和合の
お前百までわしゃ九十九まで
もこの高砂神社。
由緒正しき三連チャンです

高砂海浜公園
せっかくなので
高砂海浜公園まで足を伸ばしました
海はいいなあ

気持ちがスカッとします。
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電話
ああ、楽しかったねえ
鶴林寺、トンネル、高砂神社、海浜公園

まったりしていると
姉ちゃんから電話があった

調べたよ。
やっぱり、駅は移動していた。
元はあの土手の上にあったんだ。
でもね

メールで、インターネットで調べたところを送ったから
見てから電話ちょうだい。

確かに、移転していた。
でも、移転した時期がなんと
1965年。
私が幼稚園の時ということになる

すなわち、我々が住んでいる期間内に移転していた。

それはまた、面白い事実。

逆に記憶と合っている。
父さんは駅は土手の上にあった記憶
妹は、トンネルくぐったあとかなり駅まで歩いた記憶
姉ちゃんは
そう言われれば、ということらしいんだけど
土手の上だった記憶も、遠くまで歩いた記憶もどっちもあるという。

実は、私は、駅に関する記憶は、見事に全くないんですけどね。

住んでいる期間内に駅が移転なんて
一大事の重大イベントを誰も覚えていないというもどうかと思うが
みんなの記憶と辻褄は合う。

ああ、良かった。
ピースが埋まった。

佐々木の家の歴史のピースも
大きな二つ目が埋まった。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

我が家の歴史を訪ねて」への2件のフィードバック

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