[百人一首]73 高砂の~ 違うの?

高砂(たかさご)の 尾上(おのえ)の桜 咲きにけり
外山(とやま)の霞 立たずもあらなむ

遥かな山の峯の上の桜が咲いたよ
里近い小山の霞よ 立たずにいておくれ

来ました来ました
実家の家族全員が大好きな歌です。

高砂
兵庫県の加古川市で
昔は、加古川市の中でも隣の高砂市にごく近い「尾上の松」というところに住んでいました。
超地元の歌やん。

我が家の歴史を訪ねて
残念!
地元の歌だと思い込んでいたのに
百人一首シリーズを始めて新たに調べてみました

高砂も尾上も地名としての高砂と尾上じゃなく
一般名詞としての高砂と尾上
高砂は高い山、尾上は山の頂上らしい。

高砂やぁ~ この浦舟に帆をあげてぇ~~♪

謡曲『高砂(たかさご)』で有名な、高砂神社
超有名な歌枕なのになあ

高砂って、砂が小高くなっているいわゆる砂丘
高砂神社は海のそば
その一帯、海風を防ぐ防風林として松が有名。
だから、尾上の松

そして、第34首
誰をかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに
藤原興風、誰をかも~
の高砂の松は、本当に高砂神社の松を詠っている。

高い山の上に砂なんて無いよ
岩ばっかり。

情景
文句言うのはやめて、歌に戻りましょう。

ということで、前半の
高砂の 尾上の桜 咲きにけり

は遠くて高い山に桜が咲いている情景

後半の
外山の霞 立たずもあらなむ
の外山って外というぐらいだから、遠くの方と思いきや、逆で
深山(みやま)に対する外山
手前側の山という意味。

桜は、里に近い外山から、咲き始め
徐々に、深山の方に移っていって、高砂の尾上に桜が咲き誇る時期になってくると
外山側では霞がたちぎみになる

その辺の時期的な変化を引っくるめて踏まえつつ
外山の霞たたないでね

さくらさくら、でいうと
♪弥生の空は 見渡すかぎり
かすみか 雲か
匂いぞ いづる……
という風情

すごいです
前半と後半を綺麗に分けて
対比を明確にし
時期的な変化を読むものにイメージさせる。

ただもんではありません。
文句言ってごめんなさい。

さすがは地元の誇り (違うって)

大江匡房
大江匡房(おおえのまさふさ)がただもんではないのは理由があります。

百人一首の作者の中では異色の存在。
学者さんなんです。

漢学者・詩文家として名高く、軍学にも長けていた

戦前は、学者と言えば大江匡房というふうに、学者の代名詞的に言われていたそうです

八幡太郎義家
あの八幡太郎義家(源義家)が、喫茶店(みたいなところ)で
友達といくさ話で盛り上がっていた。

近くでお茶していた大江匡房
聞こえてきた内容に、ついつい「兵法が分かっていないなあ」とひとりごとをつぶやいちゃった。

それを聞いた家来が、そのあと、義家に告げ口
義家は、なんだとぉ無礼者、となりそうですが、意外な行動に。

大江匡房のもとに行って、
弟子にしてください。

のちに永保の合戦で
群れた雁が田んぼに降りようとしたんだけど
なぜか降りず、群を崩して逃げ去った。

義家の頭に、匡房の教えがよぎる
伏兵のある時は、飛雁、列を乱す

隠れた敵を見破って見事勝利

お堅いの?
若い時、宮中の女房たちと同席

ああら、見て見て。学者さんよ。
どうせお堅いんでしょ
からかってみようかしら

匡房を近くに呼び寄せ、あずま琴を差し出す

良かったら弾いてくださらない?

(どうせ弾けるわけがない。
困った顔が見てみたいわ)

匡房はすぐに、歌で返した。

逢坂の 関のこなたも まだ見ねば
あづまのことも 知られざりけり
(逢坂の関より東には行ったことがないので
東のことはよく分かりません)

事と琴をかけたわけですね。

お姉さんがた、一本取られましたな。

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