清原元輔。契りきな~。津波の記憶

契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波こさじとは

かたく誓いましたよね
お互いに涙した袖をしぼり
「末の松山」が決して波を被らないように
二人の愛も変わらないと。

清原元輔
清原元輔(きよはらのもとすけ)は、清原深養父(きよはらのふかやぶ)の孫

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
雲のいづこに 月宿るらむ

という、私の大好きな歌でした。

そして、あの清少納言のお父さんです。

歌で生計をたてる、プロの歌人
特に即興で歌うのが得意で
平兼盛が長時間考え抜いた末に詠むのを見て

思い付いたまま詠めば良いじゃないか

鑑賞
この歌は代作になります。

プロの歌人、清原元輔に
よりを戻したい女性がいるので
ひとつよろしく

もとになっているのは古今集の歌

君をおきて あだし心を わが持たば
末の松山 波もこえなむ

あなたへの心変わりなんて絶対にあり得ませんよ
末の松山を波が越えないようにね

太陽が西から登るくらいに
あり得ないことの例えとして定着した。

それを引用している訳ですね。

末の松山
そんなにあり得ないことってどういうことなんでしょう。

869年に貞観(じょうがん)地震・津波という東北地方を襲う大災害がおきます。
今から1100年も前の平安時代のことになります。

末の松山とは、宮城県多賀城市にある宝国寺というお寺の裏山があるんだけど
松が生えている。その場所。

今は海岸線から2km内陸なんだけど
当時は海岸からもっと近かった。

津波の規模は東北大震災に匹敵すると思われ
壊滅的な被害を被った。
その中で、この裏山だけが孤島のごとくなりつつ
被害を免れた。

この話が伝わり、ずっと語り継がれることになる。
そこまで人の心を打ったというのは
逆に言うとその周辺の津波被害がいかに悲惨だったかの裏返しかも知れません。

東北大震災。
多賀城市にも襲いかかります。
かなり被害を受けるのですが
末の松山は無事でした。
波こさじだったのです。

ずっと語り継がれていたので
その地域の人々は、末の松山に我先にと避難した。

末の松山の言い伝えが多くの人の命を救ったと言えます。

末の松山のボランティアガイドさんは
もうすでに、
東北大震災の記憶は風化しつつあると言います。

ずっと覚えておいてもらうために
こういった言い伝えは、
とても大事なものなんだと。

百人一首の中に詠まれていれば
みんなが一生懸命覚える

最初は、男のくせに何ともめめしいみっともない歌だと思ったけど

防災意識を持ち続けるための貴重な歌なんだと
考え方が変わりました。

ちぎりきな
ハイッ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です