[三十六歌仙]32 清原元輔。松よ とはに

三十六歌仙シリーズ

清原元輔

契りきな かたみに袖を しぼりつつ すゑのまつ山 なみこさじとは

かたく誓いましたよね
お互いに涙した袖をしぼり
「末の松山」が決して波を被らないように
二人の愛も変わらないと。

あの清少納言のお父さんです。

百人一首でも選ばれており、百人一首と同じ歌になります
清原元輔。契りきな~。津波の記憶

平安中期に活躍した大歌人「梨壺(なしつぼ)の五人」の一人として有名で、
五人で「万葉集」を現在のような20巻本の形に整えた訓点打ちの作業や、
村上天皇の命による「後撰集」の編纂を行っています。

「梨壺」とは、宮中の梨壺に和歌所が置かれていたことからの命名で、
清原元輔・紀時文・大中臣能宣・源順・坂上望城を指しています。

ユニークな人気者だったようです
今昔物語では、都の大通りで落馬して冠を落とした時に、
「あれは仕方なかったんだ。不可抗力だ」と言って
周囲で見ていた人々に説いて回ったそうです。

この歌に出てくる「末の松山」というのは、
宮城県多賀城市八幡に史跡が残されています。
JR仙石線多賀城駅から徒歩で10分くらいのところです。
末松山寶國寺の正面の本堂の後ろに見える小さな丘で、2本の松が植えられています。

きみをおきて あだし心を わが持たば 末の松山 浪もこえなむ

あなたへの心変わりなんて絶対にあり得ませんよ
末の松山を波が越えないようにね

この古今集の歌が本歌になります。

869年に東北を襲った大津波。貞観(じょうがん)地震・津波
その時に被害を受けなかったのが末の松山

語り継がれて、末の松山を波が越えない、は絶対にあり得ない事の象徴

この本歌から引用し
契りきな、は固く誓い合ったはずの女性が心変りしてしまった事に対する恨み節

清原元輔が頼まれて作った、代筆です。

恨み節ならせめて自分で作った方が、と思うのですが
それが、清原元輔を代表する歌となるので、不思議なものです。

松繋がりで清原元輔のもう一首

いろいろの 花のひもとく 夕暮に 千世まつ虫の こゑぞきこゆる

色様々の花の蕾がほころびる秋の夕暮に、
千年も生きるという松の名に因む松虫の声が聞えるのだ。
なんとめでたく、情趣深いことだろう。

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

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