[百人一首]由良の門を~

由良の門(ゆらのと)を わたる舟人 かぢをたえ
行方も知らぬ 恋の道かな

由良の海峡をこぎ渡る舟人が、
櫂(かい)がなくなって行く先も知らず漂うように
このさきどうなるかわからない私の恋だなあ

曾禰好忠
曾禰好忠(そねのよしただ)は、丹後国の掾(じょう)という役人だった。
「曾丹後掾」(そたんごのじょう)と呼ばれるようになり、
やがて、ソタンと略される。
キムタクみたいな感じでしょう。
本人はその呼び方が不満だったみたいですけど。

かなりの変わり者で
俗語や、万葉集の古語を使ったりして
斬新な歌を詠んでいる。

円融院の歌会に勝手に出て
つまみ出されたというエピソードが残っている

後世では評価されるが、
当事は、ただただ異端扱いされていた。

和歌は拾遺集時代すなわち十世紀の末から十一世紀の初めにかけて、
ひとつの頂点に達したそうです。
古今集時代に出来あがった智巧的表現は、
洗練に洗練をかさね、
これ以上どうしようもないというところまで磨きあげられて、
行き詰まった。

打開する方向性として二つ。
ひとつは、技巧に走らず、ゆったりと歌い上げよう。
もうひとつは、これまでに無かった表現を自由に駆使して、
新鮮な把握をめざすもの。
前者は藤原公任によって代表されるんだけど、
後者は曽禰好忠がひとりだけらしい。

異端というだけでは終わっていない。

鑑賞
櫂のない舟で心情を表している
確かに、櫂のない舟は不安なんてもんじゃないでしょうね。
由良という場所と、ゆらゆらという音を掛け合わせているところが見事です。

由良がどこかについては、二説あり
勤務地丹後の由良川。
もうひとつは、万葉集の頃から
和歌山をさす歌枕として使われていた「由良」
すなわち由良港。
曽禰好忠が万葉集に傾倒していたことから
和歌山じゃないかということなんだけど

異端児ソタンの事
本人に聞いたら
もちろん両方だよ、と言いそうな気がする。

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