明治維新前年に、パリ万博に出展

以前、徳川慶喜シリーズのとき
慶應3年に幕府が出品した、パリ万博の話にちょこっと触れました。
あとでまた、と言っておきながら放ったらかしで失礼しました。

パリ万博出展
パリ万博と言えばエッフェル塔が有名ですが
残念ながらその時のパリ万博ではありません。

慶應3年と言えば、徳川幕府も瀕死の状態。
よくもまあ、そんなグッチャグチャの時にパリ万博に出展しましたね。
ある意味えらいっ

開国した訳ですから
世界に日本をアピールしませんとね。
理には叶ってます。

徳川慶喜は気合い入っていて
何と弟の昭武を派遣します。
それ以外にも重要なお役人。
その中にはあの渋沢栄一も含まれています。

大きく3班に分けます。
武器班、美術品班、虫班
えっ、虫?
どうもこれはパリ側からお願いされたみたいです。
虫の出展が少ないんでお願いして良い?
みんなで一生懸命、昆虫採集。

諸藩に
諸藩にも頼みます。
一緒に出展しません?
呼び掛けに応じたのは佐賀藩だけ。

まあいっか

って事でいざ乗り込みます。

すると驚くべき事が
薩摩藩がいるではありませんか

こんなとこで何してるの?

薩摩藩は幕府に内緒で単独で出展していたんです。

そしてそこには、「琉球王国」の文字が。
早い話が、薩摩は日本じゃない国として出展。
言い方を変えると「独立国」として。
もちろん最初から計画的です。

フランスの新聞にも日本の幕府は中央集権的な権力も権威も無いと書かれてしまう。

薩摩に強く抗議し、琉球王国の文字は消させたが
丸に十の字の島津の旗は、日の丸の横ではためいている

人気
それなりに人気もあり
そのなかで一番人気を博したのが、茶店
芸者が、コマ回しとかの出し物もした。
大行列。
陶器とかは売れ残っちゃったけど
茶店の売上だけで、赤字にはならなかった。
色んな賞を24個もらった。

留学
昭武はそのままフランスに留学した。
フランス語も勉強。
開国した限りは幕府も世界とうまくやらねば。

渋沢栄一も、フランス語はかなり勉強し
フランス語で日記も書いていたそうです。
その後のビジネスにはかなり役立ったらしい。

そんな昭武は、次の正月をフランスで迎えるわけですけど
そこへ日本からの知らせ。
大政奉還

そして、もう少しして
幕府は無くなったよ
もう、帰ってきて良いよ。

残念!

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