白虎隊の生き残り、電線を張る

「幕末維新あの人のその後」という本から、白虎隊の話題です。

白虎隊
白虎隊は有名なので、ご存知の方が多いと思いますが
最後のところをおさらい。

6つの隊に分けられていたうちの、二番隊
兵糧をもたずに出発してしまった。

隊長の日向内記が
ちょっと待っててね

でもなかなか帰ってこない

何かあったんだね
仕方ない、進もう。

隊長のいない彼らに対して
敵の一斉射撃
二手に分かれて逃げる

一方のグループ十九人の眼下に
会津城や町が炎と黒煙に包まれている光景が広がっていた。

実は勘違いだったんだけど
てっきり会津城が炎上したと思い込んでしまった。

もうだめだね
どうしようか

顔を見合わせて
最も哀しい結論

自刃

飯沼貞吉
うちでただ一人、
最年少で数え十五歳の飯沼貞吉だけは一命を取りとめた。
脇差でのどを突いて気を失ったところ

息子を捜しにきた別の隊士の母親に発見される

貞吉ぃーー

生き残り
自分だけ、生き残ってしまった。

つらい。

生きているということが
大切なのに
おそらくそれは彼も分かっているけど

毎日がつらい。

それから四年間ほどの彼の足跡はわかっていない

時間が必要

仕事
明治5(1872)年8/26日に名を貞雄と改め、
新たな出発をする。
工部省からの辞令を受け取って、
赤間関(現・山口県下関)局に勤務することになった。

このときから、飯沼は工部省(のちの逓信省)の電線技師の仕事に
生涯を捧げることになる。

文明開化によって日本じゅうに電線が張り巡らされていった時代に
その先駆けとして活躍し、明治20(1886)年には
逓信省工務局第一課長に昇進している

明治27(1894)年に日清戦争がはじまると、
彼は京城(現・ソウル)―釜山間の電線架設を担当した。
日本軍が征服した土地での仕事だから、
きわめて危険である。

ピストル持っておいた方が良いよ

いえ
わたしは白虎隊で死んでいるはずの人間です

自ら、白虎隊の名前を口にし
穏やかにニコニコと笑っている

あれから、26年という歳月が流れた時の話です。

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