[百人一首]53 嘆きつつ~。じめじめチャンピオン

百人一首シリーズ
第53首に入って参りました。

このあたりから、有名人が目白押しになってまいります。

嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くるまは
いかに久しき ものとかは知る

私が悲しみに嘆きながら、独り寝で過ごす夜が明けるまで
いかに長いか、あなたにはわからないでしょうね。

右大将道綱の母
道綱の母は超有名人。
蜻蛉日記の作者なんです。

でも名前が分からない。
藤原兼家との間に道綱をもうけ
「道綱の母」と呼ばれている。

幼稚園のママ友の間で
〇〇ちゃんのママと呼び合う感覚でしょうか。

それにしても、そんな有名な文学を残しておきながら
〇〇ちゃんのママ、しか分からないって本当かなあ
蜻蛉日記には作者の名前って書いてないんでしょうね
印税はどこに入るんだろう。

兼家は歴史上有名な大物政治家。
道綱の母は家柄的には大したことないので
玉の輿ではある

かなり美人で文学的才能も超一流。

兼家はとっても女性が大好き。
高貴なお方から、庶民まで幅広くまめに付き合う。

当時の結婚のシステムが基本的に通い婚なので
せっせと色んなところに通う。

正妻とか側室とかの区別なく
全員対等。
道綱の母もその中のひとり。

もちろん一人に決めてという男性もいるけど
兼家は、ひとりの女性も自分の家にはあげていない。

そういう社会的風習と、兼家という典型的な男性がいて
蜻蛉日記が出来上がります。
この歌もね。

恨み辛みを赤裸々に書き、大勢の女性の共感を得て
大ベストセラー。

詞書(ことばがき)
この歌がどういう時に書かれた歌かという解説、詞書が
二種類の文に残っています。

ひとつは「拾遺集(しゅういしゅう)」
夫の兼家が訪ねてきたとき、彼女は門を開けようとしない
兼家が「待ちくたびれた」
それを聞いた彼女が詠んだ歌。

ちょっと
それは私のせりふでしょ
って感じかな

もうひとつ、解説がある
そうです。
本人の書いた「蜻蛉日記」そのものです。

すなわち、拾遺集に書かれている解説は
蜻蛉日記に書かれている背景を読んで
多少ソフトに加工した。

真の背景
兼家との間に息子が誕生して間もない頃
彼女は、兼家に新しい女性が出来たことを知る

兼家が他の女性に宛てた恋文を発見した。

兼家、脇あまっ!

そのあと、自分の家に来たとき
今日は用事があるので早めに失礼。

さては

尾行して確かめると案の定。

さあ、大変

次に来たときに、戸は全く開けなかった。
「待ちくたびれた」
どころじゃない。

そして、そのあと、枯れた菊と一緒に送りつけたのがこの歌。

恐ろしいーっ

蜻蛉日記ってそういうじめじめ話がいっぱい書いてあるらしい。
これがまた、当時の女性たちに大受け

こりゃまた恐ろしい。

愛情
読んだわけではないけど
田辺聖子さんによると
蜻蛉日記を読んで分かるのは
彼女が、兼家をひたすら愛していたということ

独占欲が極端に強く
キッつい性格だったけど

そして、兼家も彼女を愛していた。
他の女性も、なんだけど

ああ大変

ほんと、うちは良かったなあ。
カミさん一筋だから平和。

ひとつだけ問題があって
カミさんが私に愛情を持っていない。

たったそれだけ。

家庭内片想い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です