[徳川名参謀]12 家慶→水野忠邦

徳川名参謀シリーズです。

12代家慶に対する水野忠邦になります。
家慶(いえよし)の話はこちら
12代家慶。ペリーが来たら死んじゃった。

困った
名参謀シリーズを始めて、ずっと、困ったなあ、と思っていたのが
水野忠邦(みずのただくに)

性格的に人の事を悪く言うのが合わない。
良いところを見つけて、そこを中心に、と思ってきた。
たまたま、今までの11人はいい人ばかりで、ほっ

どうするよ。
水野忠邦。

まあ、いっか

水野忠邦
名参謀シリーズの中では珍しい野心家
老中をやりたくて仕方がない。

19歳の時に、肥前・唐津6万石の藩主
水野家の藩祖は家康のいとこなのでなかなかの毛並みの良さ

この唐津の大名は、長崎警護役という重要な役割を持っていた。
ただ、忠邦は、それが気に入らない

そんなのやってたら、中央にいけないやん
江戸から遠すぎ

何とか別の場所にお願いできませんでしょうか

5年後、願いが聞き入れられる。
浜松への転封。

でも、石高少なくなっちゃいますけど。

良いです良いです。全然良いです。

あんた、珍しい人やね。

そして、ようやく西の丸老中に任ぜられる。

次は本丸老中だぞ

天保の大飢饉の一番大変な時期、
一番中心だった水野忠成が亡くなる
その交替要員として、忠邦が本丸老中に。
名前似てるしね。

やりたかったこと
忠邦は松平定信に憧れている。
松平定信が、吉宗に憧れていたように。

松平定信失脚後の、
家斉(いえなり)やりたい放題のぐだぐだ政治が気に入らなくて仕方ない。

いよいよ、本丸老中
ようし、やったるぞ

でも、周りは古参の老中がわんさか。
家斉もバリバリ現役。

辛抱辛抱。

何とか、家斉が引退してくれて
12代家慶に
さあっ

でも、家斉がことごとく口を出します。
家斉派老中たちもまだまだ元気。
家慶もおとなしくしています。
ついたあだ名が、そうせい様。

辛抱辛抱、また辛抱。

でも、来るべき日のために準備をしとこう。

何をしたかと言うと
自分が自由に使える裏金作り。
来るべき日に、その金で忠邦派を形成し、一発逆転。

あれれ
正義感に燃えている筈じゃなかったの?

その4年後、来るべき日が
家斉死去。

家慶、よっしゃあ。
そうせい様返上だ

忠邦くん、知ってるよ
やりたいんだろ。
思う存分やって良いよ。

この日のための、例のものを使って
古参の老中をバッサバッサと切りまくります。

天保の改革
たまったうっぷんを吐き出すがごとく
天保の改革

締め付け、締め付け、また締め付け。

くだくだとは言え
庶民文化としては、大きく華開いたのが家斉の時期。
文化、文政という年号から、化政文化というんだけど
北斎を始めとして、有名どころはほとんどこの時期
時代劇でも、特にことわりがない限り
化政文化の時期を前提にしているらしい。

そんなところに一気に冷や水をあびせちゃった。
あれもダメ、これもダメ。

良いところ
敢えて良いところを探すとすれば
ペリー来航より前の段階で、開国論者だった。

アヘン戦争で、中国がいとも簡単に負けちゃう。
中国と言えば、日本の長い歴史の中で
常に先を行く、お師匠様であり続けた。

その中国が負けるとは
考え直さねば。

いざという時のために
江戸近辺の防衛を強固にし
交渉を有利に持っていこう。

そのためには
全国に散らばっている幕府直轄領を
全部、江戸近辺に集めよう。

上地令、っていって
土地を強制的に交換。

ただでさえ、評判が悪かったのに
これで、総スカン
ふざけるのもたいがいにせいっ

結局、4年だけで、終止符を打つ。

意欲は人一倍あったのにね
誰か軌道修正してあげられる人がいれば
うまくいったのかなあ。

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