やる、ためる、やる、ためる、やっている、ためている、実現しつつある

オリジナルの考え方です
経営コンサルタントのときに、考えて形にしていった物があるので、いくつか紹介していこうと思います。

まずはその内の一つ

「座右の銘」を聞かれるとこれを答えています。

大体、座右の銘というと過去の偉い人が言った名言を言うことが多いと思いますが、
自分自身が考えたのってちょっと素敵でしょ

目標を明確にする
まず前提があります。
目標を明確にします。

こういう風になりたいとか、こういうことを実現したいとか
それを紙に書きます。
紙に書くかどうかって、自分の目標を明確に意識するためにかなり重要です。

この辺までは自己啓発ものでは大体書いてありますね

さあ、ここからです

やる、ためる、やる、ためる、やっている、ためている、実現しつつある
目標が明確になればやるべきことも決まりますね。
日々、そのやるべきことを実施し目標と現在とのギャップを埋めるため、一歩一歩階段を上っていく訳です。

頑張ってコツコツ一歩ずつ
チリも積もれば山となる

でしょうか

そんなうまい具合に行きますかね

世の中には、ノウハウ本が溢れています。
ほとんど成功した本人が書いていますから、説得力抜群です。

ひとがやらないこんなこと、
私はこれをやらねばと頑張り抜きました
そうすると、何年でこんな自分に大変革を遂げたのです。
この本を読んでいるあなた
困難な道にこそ、成功の鍵があります。
いつかやろうでは、「いつか」は永遠にやって来ません
いつやるの。今でしょ。

ずごいっ。
よおし、俺も頑張るぞ。
いつやるの。今でしょ。

数日たって
いや、俺も頑張ったよ。
でもなあ。

○○さんはすごいよ。
確かにすごい。
100%間違ってない。

ただなあ
誰もが○○さんみたいじゃないんだよ
ひとそれぞれさ。
俺には俺の味ってもんがある

そっちじゃない
やる気を持ってガーッと

そっちかなぁ、と思うんです。
そんなに、バイタリティ溢れるスーパーマンになれる人って、いるんだろうか。

もちろん、やるぞっ、やってやるっ、て時はある
目標実現のためには、とても、重要なとき

でも、そういうときは、断続的にしかやってこない。
その前提で考えましょうよってこと。

次回、「やる気」については掘り下げようと思いますが、
私は「やる気」なんてものは、全然重要視していない。

ためる
断続的にやって来る、やる気のあるとき、目標への階段を駆け上がりましょう

でも、そうじゃないときに、「戻っちゃわない」ようにすること
戻っちゃったら又、階段を登り直さないといけない

例えば、目標地点が100だとして、20くらいまで上ってこれたとする。
15や10に戻っちゃわないよう、地固めする
それが、ためる

「やる」で分かったノウハウをためておく場所を決めて書き込んでいく
ノートでもパソコンでも
そういった超地味な作業は、やる気がないとき向け。

やる気がなくなったときこそ
超ラッキー
今日はやる気がなくなったぞ
昨日までのやる気があったときにやったことを忘れないようにためるぞーっ

やる時ってやることが面白くてたまらないから、
そんなときに地味な作業なんてやったら勿体ない。
どうせすぐやる気なんてなくなるんですから、その時を待ちましょう

その代わり、やる気がなくなったときこそ
やる気を出すための努力なんて、無駄なことをしちゃダメ
ためるは絶対にサボっちゃだめ
それが分かってれば、「やる」ときは「やる」だけを徹底して、楽しんでやりきれる

そうです。
やるとためるは交互にやって来る
当然、目標への道筋はきれいに真っ直ぐになったりしない
ガッタガタ

やる、ためる、やる、ためる
なんです

やっている、ためている、実現しつつある
結局、そのためるをサボらずちゃんとやってるかだけ
そこに自信を持てるかどうかだけだと思います。

スピードを気にしない

この事がとても重要です。
どうしても、人と比べたくなっちゃいます。
うさぎさんもあれば、かめさんもある

自分の目標だけに集中する

ためるをやれている自信があれば、

やっている、ためている

絶対途中で戻っていないことになる

とすると、スピードさえ気にしなければ、理論的に以下の事が100%言える

実現しつつある

やる、ためる、やる、ためる、やっている、ためている、実現しつつある

布袋さんはただの貧乏人

しんがりは、布袋さんにしました
七福神を一人ずつ紹介しようと思ったのは、この布袋さんに魅せられたからなんです

神じゃないのに
布袋さんは、唯一実在の人物。
中国の和尚さん。
もっというと貧乏な坊さん。
正直言って乞食に限りなく近い。

着物ははだけ、でっぷりとした腹が出ただらしない格好。
大きな袋を持っているのは、大黒さんのように袋から願ったものが出てくるというたぐいのものではない。
人に恵んでもらったものを少しだけ食べて、残りは袋の中に入れておくため。
本名は別にあるが、大きな袋を持ち歩いているので、通称、布袋和尚。
各地を転々とし、施しを受けながら生活をしていた。

なぜ七福神なのか
あり得ないです。
すごい。とてもすごい。
神でも何でもない。ただの人間。
しかも、貧乏。
福の神とは正反対。
この人を七福神に入れようという考え方がものすごいと思う。
江戸時代の何とかいう偉い人が、どうしてもこの違和感のある布袋が気に入らず、
七福神に入る資格無しとして運動を繰り広げたらしいが結局は外れなかった。

ひととなり
ただの貧乏人なのに各地でやたらに人気者。
みんなに愛されていた。
本人にも回りの人にも笑顔が絶えなかったという。
回りにいっぱい子供が寄ってきて、いつも子供をいっぱい引き連れて歩いていた。

雪の降る日に布袋さんの回りだけ濡れなかったという
予言したものがピタピタ当たったとか
橋の欄干の上に膝を立てて座ったとか

どうでしょう。
こういう人がいたら、逆に何かあるぞと。
何でいつも笑顔なんだ。子供にかこまれているんだ
ひょっとして、あんななりをしているけど、きっと名のある人に違いない、みたいな。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)
布袋さん自身は弥勒菩薩が好きだったらしい。
弥勒菩薩についての書き物を残している。

弥勒菩薩は釈迦没後、56億7000万年後に登場し、世界を救うと言われている超ウルトラスペシャルな仏様。
となると、急に、布袋和尚は弥勒菩薩の化身だってことになってしまう。

そんなアホな、なんだけど。

庶民の思いと福の神
福の神って、もっと富が欲しい、もっと長生きしたい、もっと出世したいという願望を具現化するもの。
良く言えば、福かもしれないけど、悪く言えば欲。

そんなの神様に頼らず自分で何とかすれば?
みたいな抵抗感や
そもそも福を得ることが幸せなの?って
そもそも論。

貧乏でもええんちゃう?
メタボでもええやん
本人が幸せやったら
いつも笑顔が絶えないみたいな人生なんだったら、他になんも要らんのと違う

そんな福の神に対するアンチテーゼみたいなものが、布袋なんかもしらん

庶民はほんとに、大金持ちや、超長生きな仙人や、絶対に負けない武将や、何でもできちゃう超多才で美人なスーパーウーマンになりたいんだろうか
ひょっとすると、そんなものには、憧れてないのかもしれない。

仕事も家も財産もなーんもなくても、ただただ笑って生きていける
そんなおバカさんに憧れているのかもしれない

何がすごいって、そんなアンチテーゼが七福神の中に存在していること。
明らかにおかしいその存在を福の神だと言い切っちゃっていること。

布袋さんは今もスーパーマン、スーパーウーマンと同じ宝船に乗り込み
明らかな肥満体をさらけだし
根拠のない自信に満ちあふれ、ガッハガッハと笑い続けているのだ。

俺にまかしとけぃ
ってね

パチンコホールで、素晴らしかったみんな

前回、パチンコホールでのトップのロマンの話をしました。
でも、トップが強烈なリーダーシップを発揮して、経営を進めていった訳ではありません。
むしろ逆

トップのロマンが強ければ強いほど、全従業員が主役になった経営が可能になる
バラバラになる心配が無いからです

ノウハウ集をベースにして
やり方としては以前に書いた「ノウハウ集をベースにした経営」です
マニュアルなんてくそっくらえ。
正しいかどうかなんて関係ない。
自分はこうやったらうまくいったというノウハウをみんなで出し合う
それが、人事システムの全ての仕組みになり絡み合って体型づけられていく

実際には
パチンコホールでの一般社員で、重要な仕事は、大当たりしたお客様のところに、ドル箱を持っていって、「おめでとうございます」と渡すこと

みんな、メモのカードを持っているんだけど、これはっと思ったときに、すぐにメモに書く。
そして、休憩とかで事務所に戻ったときに、でっかいバインダーのテキスト(ノウハウ集)の該当のところの余白に、記名付きでそのノウハウを書き込む

例えば
「ドル箱はお客様の右側からそっと渡す」

この右側からというのは論争があって意見がまっぷたつに分かれる
左側派は、右手でハンドルを持っているため、玉で一杯になったドル箱を下に下ろして差し上げるときに、その横に空のドル箱を置いてからの作業になる

右側派は、お客様に左手で空のドル箱を持っていただいてから、一杯のドル箱を下げる

左側派からは、お客様にドル箱を持たせるって失礼だと言い
右側派からは、それこそがお客様とのコミュニケーションであって、大当たりで喜んでいるお客様と共同作業でドル箱交換をすることこそが、喜びの共有なのだと再反論

どうですか
パチンコ屋へのイメージが変わりません?

ロマンのあるパチンコホールは、お客様のためにどうあるべきか、こんな細かいことを真剣に議論し合う
当時、東北と東京を中心に13店舗あったのだが、見たこともない○○店の誰々さんと紙面上で意見を戦わせる

「おめでとうございます」にしたって
東北の方では当たり前で、言わないなんて考えられないけど
東京では言うとビックリされる

店内放送とか
店内放送なんて面白いですよ

いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ
本日はお足元のお悪い中、パチンコ○○、○○店にご来店いただきまして
誠に、誠に、ありがとうございます
で、始まる名調子。
東北では、名人芸の店内放送を楽しみに来る

いっばい、色んなパターンがノウハウ集に書かれていく
新台入れ換えや、新規オープンなんてそれはそれは見事なもん

ところが、東京では、名調子は古臭い感じがしてむしろ嫌われる
新規オープンなんかは「おしゃれな演出」がなされる

正解なんて無いから、みんなが面白がって、いっぱい書き込む
楽しんでる

パチンコホールって
働いてみたらすぐ分かりますが
一気にイメージ変わりますよ

パチンコホールって「遊び」の場
お客様はとっても楽しんでいる

従業員も楽しまないと違和感があるので、一緒に楽しんで差し上げる
それが仕事
楽しむことが仕事な訳なので、とっても良い職場

だんだん、楽しい奴ばかりになっていく

ロマンのあるパチンコホールでは、そういう楽しむってことを、全員が一丸となって真剣にやる

文字が苦手
正直言うとパチンコホールの従業員って、学力レベルの高くない人もいたりする
ちっちゃい子供で文字を覚えたての頃って、へとえを間違ったり、「を」の「と」みたいな部分が逆向いているような間違ったひらがな書きますよね
そういう字を書いてくる社員がいました。

そういう社員が一生懸命、ノウハウ集をあげてくるんですよ

おめでとでにこにこわらう

泣けてきちゃいます

奥さんも同じ店にいて、奥さんはすでに2等級(エルダー)に昇格済
いよいよ彼も2等級への昇格権のある研修会に出れる事に

すぐに、直接店に行って、研修会に出れる事を伝えた

良かったなあ。研修会に出れるぞ。○日に、○○店で合同でやるから行ってね

喜んでくれると思ったら、とっても困った様な顔

奥さんに聞くと、切符が買えないらしい
漢字が読めないからどのボタンを押して良いか分からない

当日は奥さんは仕事なので、休日に駅まで行って、切符を買って電車に乗る、予行演習をしたらしい

その時は無理だったけど、2年ぐらい頑張ったんじゃなかったかな
奥さんもかなりテキストの読み合わせをしたんだろうと思う
彼も2等級になれましたよ

快眠対策(寝床では)

快眠対策
快眠対策のうちいくつかを話していきたいんですが
まずはコツ的なものから

意外に守れていない事が多いものです

寝床では寝る以外のことをしてはならない
本格的には運動、呼吸法、瞑想で、副交感神経の活性化を図る方向なんですが、一番手軽で、私が実践してみて一番納得できたのがこの方法です。
寝床は、寝るだけの場所として脳に刷り込ませることが重要
ところがよく考えると、寝るまでの間、スマホを見たり、本を読んだり。
今日は寝れないかもしれないと思えば思うほど、寝床にものを持ち込んでいました。

この対策はかなり効果があった気がします。
寝れるまでの時間が短縮しました。
まあ、ある意味当たり前かなとも思いますが、寝床でぐだくだいろんなことをやるというのは、習慣化してしまいます。

その時間がないから、寝床にはいるとすぐに寝れる。すごく自然な普通のことです。
でもそういわれるとそのことを書いた本を読むまでは、寝床で絶対に何か(スマホが多かったですが)していました。

「眠くなるために」本を読むという感覚があった時もありましたが、本を読んだり、スマホを見たりということは考えるための作業なので、交感神経が活発化するわけです。
寝るためには、副交感神経が活発化する必要があるので、もしたまたま本を読んで眠くなったとしても、そのあとのホルモン分泌に悪影響があり、疲労回復が十分でなくなります。

また、一番悪いのは光です。
画面自体が光っているスマホはもってのほかです。

寝れない時
どうしても寝れない時はどうするか。
寝れない時、もんもんとだけするのはつらいから、寝床でそれ以外のことをしてしまう。
これが正直なところでしょう。

寝床を離れましょう。
寝床=寝るだけのところを頭に刷り込ませるためには、これしかありません。
そして再度眠たくなったら、寝床に入ります。

正直、このことはちょっとしたコツ的なことで、本格的には、適度な運動+呼吸法が必要です。
さらに、寝る前に部屋を真っ暗にして15分間瞑想。
実践してみると、そのまま真っ暗な寝床に入って、即就寝。ほぼ間違いありません。
そのあたりのことは、また後日