本屋の店長も面白かったよ

前回まで看板屋の話をしましたね

順番は覚えてないんですが、今度は本屋の店長です

本屋
会計の募集が本屋さんでありました。
そのつもりで応募したら、
今いる女性の店長が辞めたがっていた。

本当は、店長を探してるんです。

分かりました。
やった事は無いですが、
頑張ってみます。

本屋という商売
駅から4〜5分のところにある、中規模の本屋さん。
3フロアあるから、小さくはない。
元の母体は不動産屋さん。
社長が売りそこねた物件で、やりたかった商売を始めたって感じ。

昔は結構流行っていたらしいんだけど、
より駅に近いところに、本屋が出来ちゃった。

綺麗に3割ほど売上ダウン。
その後も少しずつ少しずつ、ジリ貧傾向

本は売れなくなっちゃってますね。
インターネットで只で情報見れますもんね。
もちろん、本でなきゃ得られない情報ってのもあるわけだけど
昔に比べると、その割合はガーンと下がっちゃいましたよね。

売れる本屋って
そんな中で、売れる本屋ってごく限られてしまう。
ジュンク堂や紀伊國屋書店の様な超大型店。

正直私もその傾向有ります。

私の場合は、図書館2割、アマゾンの古本3割、ブックオフとかの古本チェーン3割、超大型店1割、エキナカの本屋7%、町中の普通の本屋3%

自分もそうなんだから、そんな時代に町中の本屋で売れるわけないよね。

でも、やるからには頑張りましょう。

本屋って
本屋の仕事って分かってるようでいて、分かっていませんでしたね。

ムックって知ってました?
私はその時初めて知った。
へえ、そんな名前なんだ。

本はbook、雑誌はmagagine、そのあいの子でmook
体裁は本より雑誌に近く、表紙がハードでない雑誌くらいの大きさの本
雑誌のように定期的に出るわけではないので、ジャンル的には本。
雑誌を得意にする出版社がよく出している。

売れる割合で言うと、雑誌、ムック、本の順かな

再販制度
やっぱり違和感あるのが再販制度ですね。
ほんとに不思議です。この制度。
理屈的には知ってましたが、実際に自分がその世界に身を置くと
何なんだろうと思いますね。

ご存知だと思いつつ、説明しますね。

再販制度は本に特有の制度です。

東販と日販という取次店があり、その2つがほぼ独占状態にあります。
本も雑誌も、本屋のものではない。
取次店のもの。
本屋は取次店から本屋雑誌を預かっているだけ。
もし、売れたら、売れた分だけを仕入れたことにする。
もし売れなければ、極端に言えば、100冊あれば100冊とも返品して良い。

値段は絶対定価販売。
いくら残っていても、値引いて売ってはならない。
いつでも、例え破れてたとしても返品自由なわけだからね。

実は返品自由には、若干の例外がある。
出版社で、返品を受けてくれない会社があるんです。

岩波です。
岩波文庫が売れなくてですね。
どんどん、日に焼けてきて、かっこ悪い。
でも返品できない。
返品の方は例外があるのに、値引いちゃいけないのは絶対。

一回挑戦したんですよね。
値引いちゃいけないのは、実は法律じゃない。
なのに、絶対ダメって言われる。
取引の慣習。
値引いてみたらどうなるのか、やってみた。

岩波文庫、値引きセール。
取次店がやってきた。

困ります。

法律的にはいいんですよね。
はい。
ただ、値引きなしでどちら様もやっていただいています。
法律的にはいいってことですね。
今後も値引きされるということでしたら
残念ですが、このあとお取引はできかねます。

岩波書店以外でも若干あるにはあるが、それほど気になるほどではない。
気になるのは、あと一社だけ。
これが強烈。

静山社です。

何かというと

ハリーポッターの本です。

すごかったです。
ただ、私が店長になったのは、第三作目くらいから。
一番すごかった時を知らない。

全て買取なので、いっぱい残ると大損。
ものすごい売れたことは事実。
でも、倉庫には、山積みでハリーポッターの一作目と二作目。
全部持って行ってくれるなら、ただでもどうぞ。
古本屋チェーンで、もしハリーポッターが安売りしていたら
陰で、本屋から直接流れてると思う。

それでも、本屋は値引き販売できません。
3作目、私は、その前までの在庫見ちゃってるので及び腰。
あまり仕入れなかった。
すごい話題にはなったけど、結果的には弱気で正解だった。

次は
ここでも、いくつか工夫してみたことがあります。
次回は、本屋の一日ってどんなのかとか
私なりの奮戦記をお話して行きたいと思います。

江戸時代の人の顔は、こんなのとこんなのとこんなの

この前、増上寺がらみで、徳川将軍ミイラ当てクイズをやりました。

その時、コメントでも教えていただいた
骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと
という本を読みました。

それぞれの将軍がどんな骨で、どんな人となりだったか
一人ずつ、紹介して行きたいと思っています。

今日はもっとバクっと大きく
日本人の顔や背格好がどのように変わってきたか
とても興味深い話が書いてあったので
その辺りのことをお話します。

背丈
まず、背丈ですが、これびっくりしました。

仙台の考古学の博物館に行った時、
原人だの猿人だののガイコツの模型が展示してあって
その背丈も棒で示してあった。

最初はすごく小さい。
それが、ホモサピエンスになっていくに従ってだんだん大きくなっていく。
考えてみれば当たり前で、まあ、最初は猿だったわけですからね。
とは言え、現実に目の当たりに棒をみると、うっひゃー、となる。

その時の、感覚が強いので、そうやってだんだん
背が高くなっていくものとばかり思っていた。

違っていたんです。

縄文時代から弥生時代にかけて、背が高くなっていく。
そして、古墳時代にピークを迎える。160cm

そして、江戸時代に向けて、だんだん背が低くなっていくんです。
まさか
どうしたことでしょう。
江戸時代の人が、弥生時代以降で一番低くて、平均156cm
そこから、現代に向けて急激に高くなっていって、今は平均170cm

顔の形
顔の形がどう変わっていったかで言うと
縄文時代は、丸顔で鼻が低い。
そして、出っ歯。
長頭型。出ている頭蓋骨の形からして頭が後ろにまで長いという意味だと思います。

これが、時代と共に少しずつ変わっていく。
面長で、鼻が高く、出っ歯の度合いがあまり強くない顔になっていく。

江戸時代の人の顔
少しずつ少しずつ、面長になっていくのだけれど
全体として、それほど速いスピードではない。

そして、江戸時代に不思議なことがおきる
本には、第二のタイプが現れたと書いてある。

徐々に徐々に変わってはいるけども
どっちかというほとんどの人はそのままで
第二のタイプの面長の人が、
少ない割合ではあっても現れたのだという。

特に女性でそのタイプの人が出た時、
当時、美人としてもてはやされた。
浮世絵の美人画は、明らかにこのタイプの人達。

自分達とは違った雰囲気を持った顔立ちに、
違和感ではなく、絶賛していたということが面白いですね。

第三のタイプ
なんと、江戸時代には、第三のタイプの顔の人達が存在するという。
むしろ、現代人より、面長。
そうでありながら、出っ歯という傾向はむしろ強い。
そして、一般人より背が低い。

皇室出身者、徳川将軍家を初めとした大名家の人達です。

そして、興味深いことに、
徳川将軍家を見た時に、
後半になればなるほど、その傾向は強まっていく。
260年でも生活環境が一貫して、特定の傾向にあれば
その間に顔も変わっていくのだという
すごいデータが示されている。

外国人から見て
日本を訪れた外国人が、数多く、書物で日本人の顔形のことを書いている。
そして、ドイツのケンペルに至っては
第三のタイプの存在が分かっていて、
貴族の顔の特異性までちゃんと書き留めている。

孝謙天皇、古代最後の女性天皇は、本流ど真ん中

女性天皇シリーズ最後は、孝謙(こうけん)天皇、称徳(しょうとく)天皇です。

孝謙天皇は、重祚(ちょうそ)します。
再度、天皇になったという事ですね。
2回目の時の名前が称徳天皇。

女性天皇シリーズ最後の天皇とし、役者として不足なしって感じ。

よくもまあ、こんな事が。
本当に本当なのだろうか。

まずは、即位するまでから

孝謙天皇とは
孝謙天皇は、聖武天皇の娘。
聖武天皇と、その妻光明子の間には、孝謙天皇以外にも、男性の基王(もといおう)が生まれるが、1歳で亡くなってしまう。
光明子は、藤原不比等の娘。

ここまでであれば、すんなりのはずだった。

ところが、当時は一夫多妻制。
もう一人の妻には男の子がいた。

ここから、藤原不比等の暗躍が始まる。
当時まだ、光明子は皇后と明確に位置づけられていなかった。
意見が分かれた長屋王を無実の罪に落とし入れて滅亡させる。

皇后と位置づけられた光明子が、その後男子を産めれば良かったのでしょうが、
やはりそのまま。
いよいよ、孝謙天皇しかいなくなる。
もはや、中継ぎではない。
正当なる後継者。
あくまでも、嫡系の子に継がせる。
持統天皇が決めたこのルールを守るために数々の犠牲を払ってきた。
初めて、未婚の女性が皇太子になるという事態が生じる。

そして、病に伏した聖武天皇が、孝謙天皇に譲位します。
未婚のままです。

橘奈良麻呂の乱
そして、藤原不比等の孫、藤原仲麻呂がどんどん力を付けていく。
橘奈良麻呂がクーデターを計画。
事前に発覚したので、反仲麻呂を大幅に糾弾。
藤原仲麻呂の独裁体制となる。

淳仁(じゅんにん)天皇へ
孝謙天皇は、母光明子が生きている間は、あまり自己主張していない。
光明子と、藤原仲麻呂の言うとおりにしていた。

そんな時、光明子が病気になる。
孝謙天皇は母の看病をするため、譲位したいという事になる
面白いですね
看病したいからというのは、なかなか無い理由じゃないでしょうか。

一方、藤原仲麻呂が押していたのが淳仁天皇だったので
藤原仲麻呂の意向は強く入っていたんでしょうね。

2年後、光明子が死去。

ここからです。
ある人と出会う。
大きく歴史が動いていきます。

この後は、後半戦。

重祚して称徳天皇となったあと。
次回、お話することにします。

ようしゃべる、うるさい電車

ものの言い方西東、前回ひとつ紹介しました。

最後まで読むと、この本の趣旨が分かりました。

言葉は、どう変わって行くのかということ。

それを7つの要素に分けて考えていく。

例えば、ひとつ目の要素は有言性。
どんだけようしゃべるかってこと

それを地域差を調べていくと、大体皆さんお察しの通りの結果になる。

予想通り関西ですね。
一番よう喋るのは。
二番目は予想していなかったんですが、東京なんですって
意外意外。
九州や東北はあまり喋らない。

その実証は、色んなアンケートを取ったりなんですが
特にその中で、これ実感あるなあと思ったのが
会話の中での沈黙が気になるかってやつ

とても気になる、は、やっぱり大阪が一番多くて、35%
対する東京は26%
名古屋が29%、福岡も26%

我慢比べか
これ毎日実感してます。

職場の仲間と社員食堂で昼食
みんな、黙々と食事

毎日私が最初に喋るというのもどうかと思うので、
今日こそは、誰かが最初に喋るまでは、黙っておこうかなと思うんだけど

・・・・・・
あかん、これは、我慢比べか
耐えられない

関西人以外は、別にどうっちゅうことないんでしょうね
食事の時は、喋らなくても良いんじゃないって感覚なんでしょうね。
ダメですわ。
絶対嫌われてる、と思っちゃう

帰省した時
東京からたまに帰省する。
西明石で新幹線から在来線に乗り換える
あれ? 何か変。
よーくよーく見てると分かりました。
東京の電車は、スマホいじってるか、寝てるか、本読んでるかしか無いんだけど
大阪の電車では、かなりの人が喋ってる

東京って、友達どおし、ホームで喋りながら待ってても、
電車に入ると、
うるさくて迷惑だから、ピタッと喋るのをやめる

大阪は逆。
電車ってステージ。
自分達のパフォーマンスを披露して、
周りの知らない人達、この人達はこの場面ではお客さんなんだけど、
そのお客さんに楽しんでいただく場。
どうやって、クスッと笑かすか、という勝負。

お客さん側も分かってるから、
おっ、この話、オチあるぞと思うと、オチまでは一言も聞き逃すまいと。
途中で目的の駅が来て、降りちゃったりすると、
オチが気になって、一日モヤモヤ。

仕方ないので、こんなんちゃうかというオチを自分で考えて、付け加える。

なあなあ、電車ん中で知らん兄ちゃん達が話しとったんやけどな
○×△○×△○×△

そらおもろい

でもな
途中で、駅が来て降りてもうてん

えっ、どういうこと?

そやから、さっき言うたオチ、自分でつけたしたってん

無茶しょんなあ

待ちいな、考えるな
わしやったらな

そこから、しばらく、オチどないしょ合戦が繰り広げられます。

知らん兄ちゃん達は、周りに楽しさを広げて行ってる訳で
決して迷惑ではないのです。

社会と言葉
社会が変わっていく
そうすると、言葉がどう変わっていくか
これが、この本のテーマです。

まだまだ人口が少ない段階では、家族内的コミュニケーションで事足りる。
以心伝心、言わなくても分かる世界。
でも、人口が増え、経済や文化が発達してきて、
嫌がおうにもコミュニケーションを取らなければならなくなると、喋ることが増えて行く。
まず、第一の要素、有言性という量的な部分が変わってくる
それが、長い長い日本の歴史の中で地域差として現れて来る。
本の中でも再三言われていますが、優劣ではありません。
大きな傾向です。

ただ、個人差は大きくあります。
山の中で育ったカミさんなんかは
明らかなる例外。
朝から晩まで一人でも喋っとる

第二の要素以降は質的な面に入って行きます
次回以降でね