女性天皇シリーズ最後は、孝謙(こうけん)天皇、称徳(しょうとく)天皇です。
孝謙天皇は、重祚(ちょうそ)します。
再度、天皇になったという事ですね。
2回目の時の名前が称徳天皇。
女性天皇シリーズ最後の天皇とし、役者として不足なしって感じ。
よくもまあ、こんな事が。
本当に本当なのだろうか。
まずは、即位するまでから
孝謙天皇とは
孝謙天皇は、聖武天皇の娘。
聖武天皇と、その妻光明子の間には、孝謙天皇以外にも、男性の基王(もといおう)が生まれるが、1歳で亡くなってしまう。
光明子は、藤原不比等の娘。
ここまでであれば、すんなりのはずだった。
ところが、当時は一夫多妻制。
もう一人の妻には男の子がいた。
ここから、藤原不比等の暗躍が始まる。
当時まだ、光明子は皇后と明確に位置づけられていなかった。
意見が分かれた長屋王を無実の罪に落とし入れて滅亡させる。
皇后と位置づけられた光明子が、その後男子を産めれば良かったのでしょうが、
やはりそのまま。
いよいよ、孝謙天皇しかいなくなる。
もはや、中継ぎではない。
正当なる後継者。
あくまでも、嫡系の子に継がせる。
持統天皇が決めたこのルールを守るために数々の犠牲を払ってきた。
初めて、未婚の女性が皇太子になるという事態が生じる。
そして、病に伏した聖武天皇が、孝謙天皇に譲位します。
未婚のままです。
橘奈良麻呂の乱
そして、藤原不比等の孫、藤原仲麻呂がどんどん力を付けていく。
橘奈良麻呂がクーデターを計画。
事前に発覚したので、反仲麻呂を大幅に糾弾。
藤原仲麻呂の独裁体制となる。
淳仁(じゅんにん)天皇へ
孝謙天皇は、母光明子が生きている間は、あまり自己主張していない。
光明子と、藤原仲麻呂の言うとおりにしていた。
そんな時、光明子が病気になる。
孝謙天皇は母の看病をするため、譲位したいという事になる
面白いですね
看病したいからというのは、なかなか無い理由じゃないでしょうか。
一方、藤原仲麻呂が押していたのが淳仁天皇だったので
藤原仲麻呂の意向は強く入っていたんでしょうね。
2年後、光明子が死去。
ここからです。
ある人と出会う。
大きく歴史が動いていきます。
この後は、後半戦。
重祚して称徳天皇となったあと。
次回、お話することにします。
ピンバック: 江戸時代にいた!女性天皇。明正天皇 | でーこんのあちこちコラム
ピンバック: 元号の名付け方 | でーこんのあちこちコラム
ピンバック: [天皇]46 孝謙天皇。 | でーこんのあちこちコラム