江戸時代の人の顔は、こんなのとこんなのとこんなの

この前、増上寺がらみで、徳川将軍ミイラ当てクイズをやりました。

その時、コメントでも教えていただいた
骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと
という本を読みました。

それぞれの将軍がどんな骨で、どんな人となりだったか
一人ずつ、紹介して行きたいと思っています。

今日はもっとバクっと大きく
日本人の顔や背格好がどのように変わってきたか
とても興味深い話が書いてあったので
その辺りのことをお話します。

背丈
まず、背丈ですが、これびっくりしました。

仙台の考古学の博物館に行った時、
原人だの猿人だののガイコツの模型が展示してあって
その背丈も棒で示してあった。

最初はすごく小さい。
それが、ホモサピエンスになっていくに従ってだんだん大きくなっていく。
考えてみれば当たり前で、まあ、最初は猿だったわけですからね。
とは言え、現実に目の当たりに棒をみると、うっひゃー、となる。

その時の、感覚が強いので、そうやってだんだん
背が高くなっていくものとばかり思っていた。

違っていたんです。

縄文時代から弥生時代にかけて、背が高くなっていく。
そして、古墳時代にピークを迎える。160cm

そして、江戸時代に向けて、だんだん背が低くなっていくんです。
まさか
どうしたことでしょう。
江戸時代の人が、弥生時代以降で一番低くて、平均156cm
そこから、現代に向けて急激に高くなっていって、今は平均170cm

顔の形
顔の形がどう変わっていったかで言うと
縄文時代は、丸顔で鼻が低い。
そして、出っ歯。
長頭型。出ている頭蓋骨の形からして頭が後ろにまで長いという意味だと思います。

これが、時代と共に少しずつ変わっていく。
面長で、鼻が高く、出っ歯の度合いがあまり強くない顔になっていく。

江戸時代の人の顔
少しずつ少しずつ、面長になっていくのだけれど
全体として、それほど速いスピードではない。

そして、江戸時代に不思議なことがおきる
本には、第二のタイプが現れたと書いてある。

徐々に徐々に変わってはいるけども
どっちかというほとんどの人はそのままで
第二のタイプの面長の人が、
少ない割合ではあっても現れたのだという。

特に女性でそのタイプの人が出た時、
当時、美人としてもてはやされた。
浮世絵の美人画は、明らかにこのタイプの人達。

自分達とは違った雰囲気を持った顔立ちに、
違和感ではなく、絶賛していたということが面白いですね。

第三のタイプ
なんと、江戸時代には、第三のタイプの顔の人達が存在するという。
むしろ、現代人より、面長。
そうでありながら、出っ歯という傾向はむしろ強い。
そして、一般人より背が低い。

皇室出身者、徳川将軍家を初めとした大名家の人達です。

そして、興味深いことに、
徳川将軍家を見た時に、
後半になればなるほど、その傾向は強まっていく。
260年でも生活環境が一貫して、特定の傾向にあれば
その間に顔も変わっていくのだという
すごいデータが示されている。

外国人から見て
日本を訪れた外国人が、数多く、書物で日本人の顔形のことを書いている。
そして、ドイツのケンペルに至っては
第三のタイプの存在が分かっていて、
貴族の顔の特異性までちゃんと書き留めている。

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