くうちゃん、どうなったかな


くうちゃんが卵を産んだあと元気がなくて病院に行った話はしましたね

一週間後
一週間後、病院に行った時の話はしていませんでした。
別居しているはずが、別居していなかったので
バレないかドキドキ

その話は出なかったんですが
残念ながら風邪が治ってなかったんです。
お腹の方も菌が多め

もう少しお薬続けましょうね

ありゃりゃ

やっぱり先生の言うことはちゃんと聞かないといけませんね。

次の土日に予約が入れられなくて
翌々週。
それが今日なわけです


卵産んだよ

家に帰ると、卵を新たに産んでいました。
うおおっ

そして、ある日

またまた産んだよ

ええっ、2個目?
前の1個から数えると3個めです

相変わらず全く温める様子なし
しらーん顔しています。
孵ることはないでしょう。

やっぱり元気はなくあんまり飛びません。
お腹が重いのかな。

数日してふと

ちょっと待てよ
卵が産まれたということは
別居させていないということがバレちゃうんじゃないだろうか
まずいっ

どうする?

唯一逃れる方法は
卵を隠して、
産んでいないことにする

いやあ、全然反省していませんね。

やっぱり、素直に謝ろう。

診察
最初に謝らないといけません。
すみませんでした。
見るに見かねて同居させちゃいました。

そうなんですか
いつ頃からですか

あのあとすぐからです。

そうなんですか
飲み水に入れた薬は?

はい
シャケちゃんも一緒に飲んでいます。

同居していましたら
卵を2個産んじゃいました。

あらま

(今度こそ治っていますように)

お腹の方は多少良くなっていますが
風邪の方が全く改善していませんね
そのうの中を見ると鼻水が出てそれを自分で飲み込んでいます。
お薬は続けざるを得ません。

そうなんですか

どうしても別居が難しいようであれば
くうちゃんを捕まえて直接口に2滴飲ませてください。
朝晩お願いします。

分かりました。
頑張ります。

ごめんね、くうちゃん

やってみました
ジタバタ大変でしたが
口にお薬を垂らすことが出来ました。

愛するシャケちゃんとの同居のためだ
頑張ろうねくうちゃん。

笑って泣けた不思議イベント、送水口ナイトって最高。

送水口について、何度か話をしてきました。

思えば不思議な世界です。

送水口倶楽部のあやさんが送水口ナイトというイベントを開催するというお知らせ

これは何をさしおいても駆けつけねば

送水口ナイト

生きてて良かった。
こんな楽しいイベントに参加出来たのだから。

16:00~18:00まで
食事とお酒を飲みながら
皆さんがスライドにまとめた研究発表を大画面で見られます。

まずは、あやさんの発表
口あんぐりです。
前、お会いしたときすごい人だとは思いましたが
まさか、ここまでとは

突き抜けてます

みんなからも感嘆の声が漏れます。

それでもって話がうまい。
大爆笑

それから、4人の方のプレゼン。

4人ともが素晴らしかった。

ある人のプレゼンでは
たったひとつの送水口に
ドラマを感じさせる内容だった

ひとつです。

たったひとつの送水口にそれを感じ
その場のみんなにそれを感じさせた。

ある人のプレゼンでは泣けた。

送水口ですよ。
金属の塊です。
泣けますか?

泣けたなあ。

ある人のプレゼンはこれもまた全く視点が違っていた

学問だった。

あやさんの時もそうだったけど、その場のみんながどよめいた。

これは勉強する必要がある。
今日の発表をネットにあげていただけるようにお願いした。

あまりの感動に
ご本人のところに行って

弟子を取った方が良い。
あなたひとり一代で終わらせるのはもったいない。

最後は、異文化交流
送水口ではなく、路地ドア
こういうやつ

路地裏記念館

送水口に負けず劣らず、オタクっぷり満載。

オタクの集まり
はっきり言ってオタクの集まりなわけで
隣の人に、
えーっとひょっとして街角の何かをやられたりしています?
はい
私は、街角の変なもの

えーっと
はい
私は煉瓦の建物。

お互いのブログのURLを交換し合って忙しいのなんの

見る人が見ると、怪しい集まり。

でもそんなつまらない抵抗感は捨て去るべきものだと、ようく分かった。

「楽しむ」ってこの世界に必要なもので
自分が楽しんでいる様子は、周りを必ず幸せにする。

その対象なんて何だって良いんだ。
あやさんの人柄によるわけだけど
定員40名の満杯。
みんな幸せそう。

イメージするアクの強い人はいなくて
変な言い方だけど、みんな普通の人。

敢えて、どんな人達?って聞かれるとすると
楽しむことに積極的な人。

日本は安泰だわ
選挙行こうっと

麻田剛立。月の表面に名前を残した男

江戸の理系シリーズです

麻田剛立
あさだごうりゅう 天文学者 1734~1799

麻田剛立ってかっこいい名前ですね。
本名、綾部正庵(あやべしょうあん)。
本名で十分かっこいいから変えなくて良いのに。

子供の頃
月や星の動きを観察するのが大好きという風変わりな少年。

病気の時に外が見れないのがとても辛かった。
看病の人に、夕刻の太鼓がなる時刻に星の場所を教えてもらう。

あれ、星の位置がずれましたね

そりゃそうだ。
そのために教えてもらっているんだ。

えっ、星って動くんですか
坊っちゃん、それを誰に教えてもらったんですか

そんなの毎日見てれば分かるよ

日食
前回、天文学の歴史は日食の予測という重要な課題から発展していったとお話ししました。
渋川春海。暦を作った人は碁打ち
渋川春海の作った暦はとっても優秀で、70年使われたのですが
麻田剛立の時代には、いまいちの宝暦暦(ほうりゃくれき)に変わっていました。

今度の何日に日食があるよ

えっ、ちょっとちょっと、暦に書いてないよ。

大丈夫。ちゃんと計算したから。

見事的中。
一気に名前が知れ渡る。

独学
通常は、師匠につくとか学校に行ったりするわけだけど
あくまでも独学。

ひたすら本を読む。ひたすら観察する。ひたすら計算する。そして考える。

分かったのが地動説。

地動説
ええっ
これ、逆に仰天しました。
こんな時まで、分かってなかったの?

渋川春海とかの偉大な天文学者は
天動説の前提で、
あの緻密な計算をやっていたんだろうか。
地球は丸いって分かっていたと思うんだけどね

逆にその事に感動。

気になって調べてみたら
ものを知らないって恐ろしいですね。

地動説ってはるか昔の紀元前辺りに分かっていた感覚だったけど
全然そんなことないんですね。
そんなに時代的に離れていない。
コペルニクスが1543年に発表
ガリレオ・ガリレイの「それでも地球は動く」の裁判が1633年。
それから地動説は否定され
ニュートンをもって地動説が認められるようになるんだけど
そのニュートンと、渋川春海って、完全に同世代の人。

そりゃ、渋川春海が地動説を唱えたとしたらひっくり返ります。

その後、徳川吉宗の時代になって
科学好きの吉宗が、
宗教に関係のない科学の本なら輸入しても良し

ここから、一気に江戸の理系が発達していく。

でも、ニュートン後もキリスト教関係者は地動説を認めたくない
西洋の天文学の本も完全に地動説に統一はされていない。

日本で一番読まれていた西洋の天文学の本はまだ天動説だった。

長崎にいた志筑忠雄(1760~1806)という同世代の人が訳した本で
「地動説」という言葉が初めて使われている。

麻田剛立の本に「地動説によれば」と表現されているので
この本を読んだと思われます。

「惑星の公転周期の2乗は、太陽からの平均距離の3乗に比例する」
という法則も発見した。
はいはい、と言いたいところだけど
書いてて何を言っているかさっぱり分からない。

ケプラーの第3法則というらしい。
これは、ケプラーを知らずに自分で同じことを発見したと思われます。

麻田剛立の弟子の高橋至時(よしとき)がケプラーの本を翻訳したんだけど
ありゃりゃ
こんなところに麻田先生の発見した法則が書いてあるとビックリした。

高橋至時聞き覚えのある名前じゃないですか?
そう。
あの伊能忠敬の師匠です。
伊能忠敬の、隠居後の第二の人生は?

医者
この時代の超頭良い人って二つ以上のことで優秀だったりします。

麻田は医者としても超優秀
藩医として取り立てられます。

生活のため、引き受けるんですが
嫌で嫌で仕方ない。
好きな天文学の時間が取れない。

あー、我慢も限界。
やーめたっ。

今度は天文学に没頭し
先程の高橋至時等の弟子を取るほどまでに。

月面
高精度な望遠鏡で月面の観察を行う。
クレーターの存在を発見し
詳しく月面を図に書いて、本を出す。

月は疱瘡(ほうそう)のごとし

疱瘡とは今で言う天然痘で
江戸時代にかなり多くの人が悩まされた
運良く治っても、顔にあばたが数多く残る。

今、それぞれのクレーターに名前が付いているんだけど
その中に「ASADA」というのがある
これは麻田剛立にちなんでいるんです。

すごいですよね。
江戸時代の日本人の名前が月のクレーターに付いているんですよ。

改暦
吉宗は、西洋好きなので
西洋の天文学の考え方を取り入れた暦に変えたかった
その考え方までは良かったんだけど任せた相手が悪かった。
さっき言った、宝暦暦。
評判悪いのなんの

失敗したぁ

吉宗は急死しちゃったんだけど
吉宗の意を汲んで何とかしなくちゃ。

麻田さん
天文方に来てもらって何とかお願いできんやろか

医者は駄目だったけど
今度は好きなこと。

引き受けるのかな?

この歳で、お役所勤め?
いいよもう疲れたよ。

ってことで、弟子の二人、高橋至時と間重富(はざましげとみ)を推薦
その二人が寛政暦(かんせいれき)を完成させます。

[百人一首]74 うかりける

うかりける 人を初瀬の 山おろしよ
はげしかれとは 祈らぬものを

(つれなかった人を  初瀬の山おろしよ
激しくなれとは祈らないものを)

源俊頼
源俊頼(みなもとのとしより)は
71番の作者、源経信の三男で、85番の作者俊恵法師の父
親子三代に渡って百人一首に取り上げられた。
源経信は例の
夕されば 門田の稲葉 おとづれて
葦のまろ屋に 秋風ぞ吹く

新しい時代を象徴する、新しい作風。
その子供で、新しさに磨きがかかっていきます。

観賞
はっきり言ってものすごく分かりにくい歌。
ゆっくり説明します。

どういう時に作った歌かというと
「神仏に祈っても逢うことのできない恋」という難しいテーマで
はい作ってね、と言われて作った歌。
それは難しすぎるでしょ。

初瀬(奈良県磯城郡)というところには、長谷寺がある
なので、祈るというのは、長谷寺に祈ると言うこと
そして長谷寺は、三方を山で囲まれ
山から吹き下ろす強い風が特徴

うかりける、というのは
冷たく当たる、つれない、という意味

あの人が、冷たく当たらないように
私の思いを分かってくれるようにと、祈ったんですよ、
なのに、最近、さらに激しくつれなくなっちゃったじゃないですか
逆ですやん、参ったなしかし

決定的にこの歌を分かりにくくしているのは
本当なら

初瀬の 山おろしよ
うかりける 人を(祈ったのに)
はげしかれとは 祈らぬものを

の順番のはずで
「初瀬の 山おろしよ」が割り込んじゃっているから。

倒置法って良くあるけど
割り込み法なんて今までになかった。

斬新と見るか、分かりにくいと見るかは、読む人次第
少なくとも選者藤原定家は、斬新と思ったようです。

最初、同じ源俊頼の
「山桜 咲きそめしより ひさかたの 雲居に見ゆる 滝の白糸」
という綺麗で素直な歌を選んでいて、途中で入れ換えています。

まあ、綺麗で素直な歌ならいくらでもあるわけで
「訳わからん」って歌も一つくらい入れたくなったんでしょうね。

山おろしよ
ところで、私達の子供の頃
「人を初瀬の 山おろし」
じゃなかったですか
最近
「人を初瀬の 山おろしよ」
と、よ がつくようになったらしいです。
ええっ?
百人一首ってむちゃくちゃ昔からある歌なのに
最近、よが付くようになりましたって
誰がどう「決めた」んでしょうかね
最初から見たら分かりそうなもんだけど、
よっぽど、よ が、うすーく書いてあったんでしょうか