[百人一首]71 夕されば~

夕されば 門田の稲葉 おとづれて
葦のまろ屋に 秋風ぞ吹く

夕になれば門の前の田の稲葉に音を立て訪れて
葦葺きの小屋に秋風が吹くよ

秋の3連チャンの最後です。

源経信
時代が大きくうねりをあげて変わろうとしています。

平安王朝の藤原の栄華が陰りをみせてきた。
道長や頼通・教通ら、藤原氏の実力者たちも死んだ
あの、紫式部も

頼通の娘たちは、道長の娘の様に、皇子を生むことが出来なかった。

源経信(つねのぶ)は、移り変わりの時期を象徴する第一人者と言えます。

源経信は、超ビッグ、藤原公任の再来とも言われる三船の才
承保三年(1076)秋、白河天皇が大堰川に行幸されたとき、
詩・歌・管絃三つの船を浮かべて、それぞれの道に堪能の人々を乗せられた。

藤原公任の時とシチュエーションは一緒ですね。

そこに遅刻していった経信

ひざまづいて
どの船でも良いから、乗せてくだされ!

どの分野でも私は専門家と言えますよ

という事で三船の才

でも後に、あれは自分が三船の才、藤原公任の再来だとアピールしたいがために
わざと遅れたんじゃないかと言われちゃっています。

この時、経信は61歳
その歳にしてそんなに血気盛んだったというのが良いですね。

そして

経信、3つの才だけではなかった。
勇猛果敢な武人だったのです。

こんな絵が残っています。

経信のところに鬼がやって来る。

経信は逃げ出すでもなく、追い払うでもなく、暫し歓談。
すると鬼は漢詩を吟じています。

それまでの時代の、庶民と解離した風流の世界に対し
最終的には、武士が置き換わっていく訳ですけど
この時は、経信の様に、今までの風流も超一流にこなしつつ
武芸をプラスオンしたひとがヒーローになっていくのです。

鑑賞
この頃、貴族たちは、都から離れた田舎っぽい山荘を建てて
そこで、まったり別荘ライフを楽しむ事が流行っていた。

この歌は、宇多源氏一族の持っていた源師賢の別荘にみんな集まり
田んぼ、山荘、秋を題材に歌を詠んで楽しんでいたときの歌。

三船の才らしく、一気に三つのお題を全て盛り込んじゃった。

門田とは、門の前に広がる田園風景。
さらに、訪れると音をかける事も忘れていない。

見事な情景詩。

ただ、経信が詠んだというところに
さらにプラスされた意味を感じる。

秋といえば、物哀しさを詠う。

でもここでの注目は「稲葉」
「稲穂」ではない。

まだ実をつけていないので
これから実りの秋を迎えて、さあこの後収穫だ
という秋の入り口

そこでは、物哀しさだけではなく
喜びの秋に対する期待感

秋風が吹き抜けて
ようし、これからやるぞ!

この「やるぞ!」が意味するところは
「ようし、この一帯をしっかり護るぞ!」
なんです。

単なる貴族と違い、農民が農業を営んでいる地域を護るという職業になる武士
元々は貴族だってそこから出発していたはずなのに
いつの間にか、農民たちとは別世界。

意識の面で、農民たちの側に近づいて行く。
そういう背景も合わせると、田舎に作った山荘
のんびりゆったりのつもりで最初は作ったかもしれないけど
実益も兼ねるようになったのかも知れない。

気になって百人一首を全て見返してみました。

田んぼの国、稲の国の大和の筈が
田んぼや稲を詠った歌は、実に飛鳥時代の第1首
天智天皇の
秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ
以来になります。

この後もないんですけどね。

やっぱりすごいです。藤原定家。
秋三部作で、三者三様の秋を並べ
最後には、

日本の秋は田んぼでしょ!

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