東海道を歩こう(品川宿から)

東海道を歩きましょう
新馬場駅からスタートです。

品川宿から次の宿場川崎宿を目指します。
地図
■品川宿
雰囲気たっぷりの町並みを残してくれています。

■立会川の龍馬像
 こんなところにこんな立派なものが・・・
■鈴が森の刑場跡
 あぁ、八百屋お七の運命やいかに
■大森貝塚庭園
 ちょっと離れますが、大森と言えばここには寄らないわけには・・・
 一気に時代は1万年さかのぼります
■ミハラ商店街
 品川宿同様、ちゃんと雰囲気を残してくれています。
 感謝感謝
■六郷の渡し
 多摩川は橋が何度も流され、仕方なく渡し船に
 でも、今は橋渡りましょ

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

雑司ヶ谷七福神巡り

池袋駅から
地図
※仙行寺
華の福禄寿
今回、寿老人がいないので
福禄寿に寿老人の分まで頑張っていただきます。

※老眼めがね博物館
老眼鏡のアウトレット店です。
びっくりするほどリーズナブルな価格!!
品揃えも豊富 見る価値があるお店です。

※中野ビル
布袋尊
いきなり、布袋さんという訳にはいきませんので
イレギュラーですが、説明だけ後回しにします

※観静寺
弁財天
出たっ、弁天さん
吉祥天との関係、毘沙門天との関係が気になる!

※鬼子母神
大黒天
七福神のトップランナー
大黒さんの話は尽きません

※大鳥神社
恵比寿
幸せの四番バッター
えべっさんここにあり

※清立院
毘沙門天
なんでこの人だけ?
疑問は尽きません

※雑司ヶ谷墓地
有名人が多く眠る都内有数の墓地です。
暫し 寄り道

※清土鬼子母神
吉祥天
いやあ、吉祥天が来ようとは
ホントに良いんでしょうか

※護国寺
五代徳川将軍 綱吉の母 桂昌院の発願により建てられた真言宗のお寺です。
鐘楼や本堂、惣門は元禄当時のものだとか・・
広大な敷地の奥には、富士塚もあります。

※音羽通りと界隈
奥女中 「音羽」に与えられた土地です。
護国寺の門前町として栄えました。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

シドッチ。鎖国を知りつつやって来た日本オタク

江戸検定で間違っちゃった問題。
二度と間違えないように、シリーズにして、記事にしておこうと思います。

【86】 18世紀初頭、キリスト教布教のため日本に密入国したイタリア人宣教師シドッ
チは、捕らえられて江戸に送られました。では、江戸でシドッチを審問し、
その記録として『西洋紀聞」を著わした人物は誰でしょう?

い)新井白石(あらいはくせき)
ろ)桂川甫周(かつらがわほしゅう)
は)志筑忠雄(しづきただお)
に)林子平(はやししへい)

このあと、読み進めていくと答はすぐ分かりますが
一応、答は一番最後でね。

シドッチ
宝永五年(1708)8月、イタリア人宣教師ジョバンニ・バプチスタ・シドッチが鎖国を知りつつ、
日本へやってくるという事件があった。

国禁を犯した者として、長崎で死刑にされるところだったが、家宣はそれをやめさせている。

なぜ、家宣はシドッチに寛大な処置をしたのだろうか。

シドッチはこの年41歳だけど、彼がイタリア北西部のジェノヴァを出発したのは、元禄16年(1703)のこと
屋久島に到着するまで、なんと六年もかかっています。

宣教師なので、日本にキリスト教を布教すべしという指令を受けての事

まずは、マニラに行った。
イタリアよりは日本の情報がある程度あったので、日本の事を勉強。
おそらく、この人の努力は尋常ではないので
自分も日本の事を調べていく過程で、どっぷり日本ファンになっちゃったんだと思う。

マニラでみんなに言われたのが、
悪いこと言わないからやめとき
日本は鎖国しているから
ましてや、キリスト教は禁じられているので
入国しただけで即刻打ち首。

そんなこと言われても、もう日本オタクになっちゃってます。

考えた作戦が
日本人になっちゃおう作戦。

日本語も勉強し、姿形も日本人になりきって入国すれば
誰も気づかないだろう。

彼は頭の月代を剃り、着物を着て、腰には刀を差すという侍の格好で屋久島に上陸しました。

最初に人に出会った。
さあ、ここが正念場。

〇+×÷≦∞

こいつ何言っとるんだ?

訳分からん奴がいると役人に通報された。

せっかく日本語勉強したのにね
見事に全く通じなかったらしい。

シドッチは捕らえられ、長崎に送られたが、報告を受けた幕府は事態を重視した。

取調べの結果、シドッチはローマ教皇クレメンス十一世の命によって、布教のために来日したことがわかった。

今までの例だと、即刻死刑。

でも何だか笑えるくらい熱心。
どうしようか。

そこで、新井白石登場。
将軍家宣に3つの案を提案。

1案 本国送還 これは難しく見えるが、一番易しい。
2案 囚人として幽閉 これは簡単なようで実は難しい。
3案 処刑 これは簡単なようで実際、簡単。

将軍家宣は新井白石に、
あなたはどうしたいですか

新井白石の性格は分かっています。

当然、一番難しい2案ですね。

シドッチは江戸に送られ、切支丹屋敷に入れられた。
場所はここ
切支丹屋敷は以前、不法入国して布教活動したイタリアの宣教師
ジュゼッペ・キアラ、ペトロ・マルクエズら10人を収容するために作られたけど
長い間、使われていなかった。

分かっているね。
布教は絶対ダメだからね。

その条件で、拷問を受けないことはもちろん、
囚人としての扱いを受けることもなく、
二十両五人扶持という破格の待遇で軟禁されていた。

尋問したのは新井白石が直接。
合計、4回行ったんだけど
新井白石もさすがです。

4回目には通訳を通さなくても、イタリア語で会話。

シドッチの情熱に最大限の敬意を払い、外国の事情やら技術やらを教えてもらう。
それをまとめたのが『西洋紀聞』なんです。

屋敷でシドッチの監視役で世話係を任されたのは長助・はるという老夫婦。
彼らはキリシタンの親を持ち、親が処刑されたため、子供のころから切支丹屋敷で生涯をすごしていた。

宣教師は処刑のきっかけを作った憎き敵。
でも、なぜ親は処刑されると知りつつ、キリスト教を信じたのか
一体、キリスト教なるものは何なのか
目の前にいるシドッチさん
お世話をして、少しずつ人柄が分かってくるにつれ
どうしても悪人とは思えない。
本当に親は間違った事をしたんだろうか

シドッチさん、キリスト教とはどのようなものなんでしょう。

ごめんなさい、新井さんとの固い約束がございます。
キリスト教について口に出すことは出来ないのです。

・・・

ある日、2人が木の十字架をつけていることを役人により発見された。
シドッティと2人はともに屋敷内の地下牢に移され、戻ってくることはなかった。

2014年に切支丹屋敷跡地を発掘したところ3体の人骨が発掘された。
国立科学博物館などの調査により、1体はシドッチ、残りの1人は日本人、もう1人は不明
まあ、老夫婦なんでしょうね。
国立科学博物館では発掘された遺骨をもとにシドッティの頭部の復元像を制作し、
2016年11月8日に公開されました。

これがシドッチの顔です。

◆◆◆答◆◆◆
い)新井白石(あらいはくせき)

私は、林子平と回答しちゃいました。
直前に読んでいたテキストで、林子平が書いた日本の記述がうんぬんかんぬんというのがあって
やたらに林子平の名前が頭に残っていましたので。

娘に言うと
お父さん、これ間違えているようではダメ
日本史の受験では定番の問題
そもそも、問題文に「審問」とあるんだから
「審問」できる権限を持っているのは新井白石だけでしょう
日本史の受験をするつもりで、基礎をやった方が良いよ

うーむ
娘の言うことは常に間違いありません。
娘がおすすめの日本史の受験用テキストからやっていこうと思います。

[百人一首]77 瀬をはやみ~。鬼が作った歌

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ

川瀬の速い流れが、岩にせき止められてふた手に別れても
いずれ一緒になるように
今は別れていても、いつか一緒になるつもりだよ

崇徳上皇
来ましたね。超大物
鬼ですね。
可哀想な日本人、歴代トップです。
日本三大怨霊の他の二人
平将門、菅原道真を寄せ付けぬ恨みっぷり

この人の怨念の深さは、とてもさっとは説明しきれないので
まず、前提の保元の乱を説明しました。
ややこしい、保元の乱ってこんな感じ
以前、こんぴら様の説明の時もお話ししました。
金毘羅さまはしゅらしゅしゅしゅ

保元の乱に負けた訳で
それまでのいきさつがどうあれ、戦に打って出て
負けたとあれば、敗者の扱いを受けるのは当然。
讃岐に流罪にされます。

ところがその扱いが、それにしてもあまりと言えばあまりの扱い。
天皇だった人なのに。

でも、負けた訳だし
と崇徳上皇も反省し
写経をして、京都に送る。
はい、反省しております。

ところが、
京都からの返信は破られてそのまま送り返し

それを見た瞬間から

うおおおっ
私は
私は、鬼になろう

生きながらにして鬼になると宣言し
鬼になるための努力をした人はこの人ぐらいじゃないでしょうか

髪も切らず、爪も切らず
人間的な生活は自ら全てたちきって
怨みのためだけに生き
最後の総仕上げに
舌を噛みきり
その血で、怨みの呪文を書きつける
「我、日本国の大魔王となり、天皇家を呪う」

反撃
死んだの? あっそう
京都では、元天皇としての葬儀を一切しなかった。
完全無視。

ところが、ここから、崇徳上皇の怨霊が猛反撃を開始します。
後白河法皇、藤原忠通、の関係者がことごとく不審死を遂げる。
京都の町は大火に見舞われる。
次から次からおかしな出来事が起きる。

これは、もう怨霊の仕業に違いない。
菅原道真の例もありますし。
民衆もそら怨霊だ、やれ怨霊だ。

どないしょう。

大丈夫、菅原道真の時の前例があります。
天神様として神様にして祀ったら
逆に強力に国を守ってくれましたよ。

そうなの?
良いこと聞いた
ってことで
罪人扱いを解き、「崇徳院」という称号を与え
保元の乱の古戦場に「崇徳院廟」を設置
菅原道真の天神様のように、こんぴら様として厚く敬っていくことになります。

すごいのが、700年もたった、明治維新。
ようやく、その後、武士に取って変わられた政権が
朝廷に戻ってきた。

明治新政府はどう考えたか。
長きに渡って天皇家が実権を持てなかったのは、崇徳院の怨霊のせい
讃岐に勅使を遣わして崇徳院の御霊を京都へ帰還させ、
白峰神宮を創建しています。

そして、その後、節目になる年には日本に良いことが起こっているそうです。
東京オリンピックとか。

面白いですね。
日本独特なんでしょうか、この発想。
非業の死を遂げた人は怨んでるにちがいないから、逆に神様にしちゃおう。

えっ、そんなんで解決できるんだ。

ねえねえ、怨んではると思うけど
今後、神様とさせてもらいますんで。

あらそうなの?
それやったら、怨みは全部忘れて
誠心誠意、神様として守らせてもらいますわ。

鑑賞
歌を見てみましょう。
昔からかなり人気の高い歌ですね。
落語の題材にもなるほど。

悲恋の思いを歌った歌
生まれ変わったら一緒になろうね
冬ソナのような世界。

ただ、もちろん、藤原定家が崇徳上皇の作品としてこれを選んだのは
「もうひとつの意味」があるからに決まっています。

われても末に あはむとぞ思ふ

鬼となった崇徳上皇の復讐の歌です。