ややこしい、保元の乱ってこんな感じ

わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 
雲居にまがふ 沖つ白波

の百人一首について書こうとしたんですがね

単にこの歌はこうで、というには勿体なさ過ぎます。
次の第77首の、瀬をはやみ もそうなんですが
歴史が、平安のみやびなお公家さんの時代から
鎌倉の武士の時代に移り変わるきっかけを作った人たち

となると
ここはその前に、
その歴史を踏まえてからにすると
歌の味わいも違ってこようというもの

保元の乱
学校で習いました。
習ったなあ、ということしか覚えておりませんが。

このあたりの何とかの乱は
やたらめったら、人物関係がややこしい。

元はと言えば、あいつが気に入らんという個人的な事なんですが
この際、それに乗っかって得しようという人達が
我も我もと増えて行った。

ふた手に分かれて勢力争い。

最初に個人的に嫌われた人こそが、瀬をはやみの、崇徳(すとく)上皇
日本の歴史の中で最も可哀想な人です。

勢力争いに巻き込まれたのが
わたの原の、藤原忠通(ただみち)
その前の契りおきしの、させも草のいい加減な約束をしちゃった張本人でもあります。

わたの原の歌の時には仲が良かった二人
なぜかというと、藤原忠通の娘(聖子ちゃん)が崇徳天皇の嫁になった。
義理のお父さんです。
でも、敵味方に分かれることになります。

崇徳上皇の出生の秘密
崇徳上皇の出生の秘密から始まります。

白河法皇の時代から院政というのが始まり、
天皇より、譲位したあとに実権握る方がおいしいってことになった。
白河法皇の孫の鳥羽天皇は、
白河法皇から、お前も早く次に譲れ、と言われ
自分の子供、崇徳天皇に譲る。

実は、ここには裏があります。
白河法皇、歳とってもあちらの方がとても元気
なんとなんと、自分の孫の鳥羽天皇の奥さんに手を出しちゃった。
それで出来た子供が、崇徳天皇
奥さんは隠していましたので、鳥羽上皇の子供ということにはなっていますが
鳥羽上皇には分かっちゃったんでしょうね。

程なくして、白河法皇が亡くなると
崇徳天皇への復讐。徹底的ないじめが始まります。

まずは、自分がさせられたことと同じこと
譲位を崇徳天皇に強制します。
誰にかと言うと、腹違いの弟。
何とその時、3歳です。近衛天皇になります。

でも、ここは崇徳天皇も頑張ります。

分かりました。
従いますが、条件があります。
さらにその次は自分の子供に譲ってもらう約束をいただけますか

よかろう。

その後も、鳥羽上皇からのいじめは悲惨さを極めます。

数年たって、何と近衛天皇が若くして亡くなってしまいます。

約束取り付けておいて良かった。

ところがです。
その約束を反故にしてしまうんです。
さらに弟の後白河天皇を即位させた。

さすがに我慢も限度です。
崇徳上皇自身には何の非もないわけですから。

摂関政治
一方、摂関家の藤原家でも、ゴタゴタがあります。

忠実や頼長と、忠通

かなり長くなっているので、ここはバサッと省略。
とにかく、ゴタゴタです。

鳥羽上皇が亡くなりました。

忠実や頼長は自分達が実権を握ろうと
崇徳天皇をけしかけます。

もうここは、ことを起こすしかないんと違いますか
知り合いの平氏や源氏に兵隊集めてもらえるよう声かけときますよ。
今でしょ

動きを察知した後白河天皇
忠通に声をかけます。

忠通としては、娘聖子と崇徳天皇の間に子供が出来なかった。
さっき話した、約束の自分の子供というのは、違う奥さんとの間の子供
面白くない。
義理の息子?
知らんわ

こっちはこっちで、知り合いの平氏や源氏に声かけときます。

保元の乱の段階では、
平氏と源氏という対立構造ではなく
それぞれが半分ずつ両方についています。

後白河天皇側(忠通)についたのが
平清盛と源義朝

勝敗
勝敗は、ご存知の通り
後白河天皇側が勝利

ここからが大変
忠通は勝ったはずなのに・・
負けた崇徳上皇は、ものすごいことになります。

長くなりましたので、その後の二人は、
百人一首の時に補足していく事にしましょう。

歴史は
このあと、3年後に平治の乱というのが起こり
今度は源平が争うことに。

保元の乱は、歴史の大きなターニングポイントとなるわけです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です