巻雲は可憐な美少女

雲シリーズ

十種類の雲を順番に
科学的な話も少しずつ取り入れつつ話していくことにしましょう。

おさらいね

巻雲
まずは巻雲(けんうん)から
見ていて、気持ちが澄んでいく、芸術品です。

雲を撮り始めて間もないので
なかなか巻雲に巡り会えません
ようやく、昨日、今日で撮れました。

これ以降は専門家の写真から引用ね

ケンちゃんは男の子?
いやあ、やっぱり華麗な女性ではないでしょうか
タレントで言うと、桐谷美玲、はたまた、本仮屋ユイカ

雲の中では一番高いところにいます。
寒いから、全てが氷の粒で出来ています。

筆でサッとなぞってみました。
という、雲。

天気予報
この雲は天気予報にとても役立つんです。
天気の始まりだからです。

巻雲があると、さあここから天気が変わり始めますよ

温暖前線と言うのを聞いたことがあると思います。
例えば、今日の天気図で言うと、赤くて半円がくっついた線
冷たい空気の上に暖かい空気が乗り上げているところの線です。

横から見ると、こんな風に雲が配置されます。

この状態が、西の方からやって来て、乱層雲で雨を降らせて去っていく。
そのトップバッターという訳です。

そう、巻雲を発見したら、翌日は雨
雨を呼び込む女って事です。

でも、桐谷美玲は何も悪くない。
悪いのは雨を降らせる、泉ピン子です

天気図
天気予報のたびに、何十年も天気図は目にしていますが
ごく一部の人にしか分からないこんなものを、毎回見せられてもなあと思っておりました。

いやあ、こんなに意味のあるものだったとは

天気図の中には標準的に良くある図があって
温帯低気圧ってやつ

低気圧のマルマルマルの中心から
温暖前線と寒冷前線(青くて三角がくっついている方)がピピッと2本出ている
これがワンセット。
さっきの今日の天気図もこれでしたね。

これが西から東へ移動。
ゆっくり半時計方向に回りながらね。

雨の降る場所は水色のところで
巻雲の出来るのは赤く印をつけたところ

温暖前線の先の雨の地域は、乱層雲からの雨で、じとーっとそこそこ長く続く
寒冷前線の手前の雨の地域は、積乱雲からの雨で、短時間でドドッと降ってサッと止む。

それが越えるとカラカラ天気。
先程の今日の天気図を見ると典型です。
昨日は雨だったけど、今日は晴れ上がった

うーん、楽しい。
これは楽しいかもよ。

さあ、では確実に巻雲、即ち美少女を見分けられるよう
いっぱい実例を見ていきましょう。

部と課
雲は十種類しかないと言いましたが
それは会社で言えば、部のこと
その下に分かれて課があります。
種と呼ぶんですが
毛状雲、鉤状雲、房状雲、濃密雲、塔状雲、層状雲、レンズ雲、霧状雲、断片雲、扁平雲、並雲、雄大雲、入道雲、無毛雲、多毛雲
の15種類
さらに変種というのもあって
もつれ雲、肋骨雲、放射状雲、二重雲、波状雲、蜂の巣状雲

まあ、そういうのもあるってくらいにしておきましょうかね

それでは、美少女たちを紹介しましょう

同じ巻雲でも個性が色々あるもんですね

おじさん、嬉しい

索引はこちら
[雲]シリーズはこちら(少し下げてね)


シャリンバイ

花カレンダー始めました

秀吉の庭園は城の中

庭園シリーズ、室町を過ぎて
安土桃山時代、豊臣秀吉の時代です

山里曲輪
秀吉は何と大阪城の中に庭園を作っちゃいます。
戦国時代でドンパチやるためのお城
さすがは太閤さん
気持ちの余裕があります。

山里曲輪(やまざとくるわ)と呼ばれ、千利休が名付け親
千利休が作った山里の屋敷と呼ばれる茶室もあり、露地(ろじ)もあります。
この中にあるやぐらの中で、大阪夏の陣の時、秀頼と淀君が自刃しています

露地
千利休が作った庭園は露地でしたね
メインの茶室に行くための道で、気持ちを浄化させる
通過儀礼というそうです。

茶室から眺める庭園というよりは、概念的には
屋根がないだけで茶室そのもの

その中には手水鉢が置かれ
神社で置かれていた手水舎でケガレを払う儀式も踏襲する

茶室での一期一会に備えて、気持ちを清める
それを、人は旅と呼ぶ

かっこいいですね

廻遊式庭園
そしてこの露地が、また池(池泉)と合体していきます。
池を巡りながら旅をしていく。

とすると、その道(露地)には、日本各地の名所を思わせる風景が盛り込まれていく。
贅沢ですなあ

例えば、その代表的庭園、桂離宮では
有馬名物の鼓の滝や天橋立、大井川などの名所の縮図、
また片道に山の迫った磯辺の浜道の風景を再現した洲浜や岩場、
螢谷、峠の茶屋を再現した賞花亭や仏寺を思わせる園林堂
瓜畑を民家から眺めるしくみを持つ笑意軒など

当時大流行した六地蔵巡りや三十三ヶ所観音巡りの一部まで取り入れられています。



この桂離宮
次回お話しする江戸の大名庭園の教科書的な存在となります。

索引はこちら
[庭園]シリーズはこちら(少し下げてね)


ボンサマーガレット

花カレンダー始めました

相田みつを美術館に行ってきました。

相田みつを美術館に行ってきました。

その経緯はこちら
丸の内をふたつのテーマで歩く

相田みつを美術館
すみません。写真は写して良いんでしょうか

作品については、ご遠慮いただいています。
館内の様子とかは大丈夫です。


これは大丈夫。

まず、井戸が出迎えてくれます。

中を覗くと、文字が書かれるところや、水や、色々入れ替わる

さあ、順路に従って

面白い白板がありました
水を含んだ筆でそこに文字を書くと、黒く浮かび上がってきます。
乾くとまた消える

ありました。
あのお馴染みの文字

(パンフレットから)

何年前かなあ
心にずしんときて
詩集を買って。

今もどこかにあるはずだけど
どこなんだろう。

中学の頃から詩が好きだった
手帳サイズのノートに書きためて、200くらい
その内、曲までつけたのが50くらい

私は基本、芸術は抽象的な方が感動するタイプなので
詩でも絵でも映画でも。

そういう意味では好きなタイプの詩ではないんだけど
新しいジャンルなのかとも思う。
まあ、良いや
こんなに分かりやすくて、ドンと来て、等身大
名言、のような説教臭さもない。
自分にとって良いものは良いんだから。

相田みつを美術館は、息子さんがやっておられて
作品ひとつひとつに息子さんが、それにまつわるエピソードを書いておられる。

「良く誤解されるんですけど」
と書いておられて
展示してあったのが、般若心経
習字のお手本のような綺麗な字

伝統的な、通常の書家として食っていけそうにはなったんだけど
疑問が沸いちゃった

お手本があって書き写す
勿論、そこに自分流の表現というのは入ってくるんだけど
やっぱり、なんか違う。

自分で書きたいものを自分で考えて
それを書にする
それを人が詩と表現するなら
それは詩なのかも知れないけど

音楽で言うと
シンガーソングライターみたいなもの

そうすると、書体が変わってきた

さっきの
つまづいたっていいじゃないか
にんげんだもの
は、同じもので、32歳の時と50過ぎの文字が展示されているんだけど
やっぱり文字が違う。

以前どこかのおじいちゃんが新聞かなんかに投稿していた。
相田みつをっていうのは、とても良いことを書いています。
字は下手くそだけど。

笑いましたが
そう思うかもね

展示してある書で
今の私にずんと来るものと来ないものがある

昔はこういうの、響いていたなあ
でも、今の自分としては、こうは思わないんだよなあ

そういう今響くものを書き留めたくなった。

写真を撮るのはダメだと言われたから
文字で書いておこう。

タブレットを開いて
文字を打ち始めた

しばらくしたら、スタッフの人がやって来た。

あっ、書いてもダメなんですか。

打ち込むのはご遠慮いただいています。
その代わり
ボードと紙と鉛筆をお持ちしますので
そちらにご記入ください

なるほど、入口のところにボードと紙と鉛筆があったのはその意味か

書き留めました。

それを、買ってきたハガキや、図書館で借りた本等から引用して書を掲載します。
私が今響く書

最後にショップがあるんだけど
そこで買ったメガネ拭き

これが一番かなあ

しあわせ
何度も、言い方を変えつつブログで書いています。
私は、今、やたらめったら幸せ

3年前から、急にそうなりました。

そういう意味では
相田みつをの
〇〇しないといけないと思うんだけどなあ
できないわたし
のパターンは
そうだよなあ、とは思うけど
昔ほどは響かなくなったのかも

出来るようになったわけじゃないんです。
〇〇しないといけない、と思わなくなったし
出来なくても全然気にならなくなった。

人間としてあるべき姿、みたいなものに
興味がなくなった、っていうのかなあ
「良く生きる」みたいなことに頑張って
心が疲れるんだったら

自分が楽しいと思えることばかりをやっても
それほど批難を浴びないってことが分かってきた。

ブログも、ウォーキング同好会もそう。
自分が面白いと思うことだけを
調べてまとめて書いて、
ウォーキングイベントで、喋りまくる

一人でしゃべってばかりで、何だよあいつ、って思われるんじゃないかとか
途中にそう思ったこともあったけど
その辺は、吹っ切れた
イベントで喋りまくるのは、とても楽しくて止められない

根っから「出たがり」なんだなと心底分かった
ブログもそう

やたら楽しい楽しいとはしゃぎまくっているおじさんのブログ。
鼻につく、ってひとはいるでしょうね
でも3年もやってれば
そういう人はもう読まなくなっていて

いつもはしゃいでて、バカだなあとは思うけど
そういうでーこんは嫌いじゃないよ
って人が読んでくれている気がする
いただけるコメントでそれが分かる。

幸せなんです。
毎日が。

波瀾万丈で、波風ばっかり起こして
みんなに嫌われて
会社もいっぱい首になって
世の中を変えてやるんだって力んで。

でも、そういうところに幸せはなかった。

その時々は楽しいと思っていたんだよ
でも、今のこの尋常じゃない楽しさを味わっちゃうと
あの時自分は本当に楽しかったんだろうかって思っちゃう。

でーこんらしい詩をいくつか作ってみました。

じぶんひとり
たのしくっても
いいじゃないか

楽しい
ただそれだけ

前向き?
良いんじゃないかな
どっちでも

ゆったりと
生きる

なにも目指さない

こころそのままに

迷ったらゴー
はい、解決

心配ごと?
うーん
忙しくて
それどころじゃない

人の事なんて気にならず、平穏無事に生きている
でもね
どうにもこうにもならないことが、1年ちょっと前にあったんです。
とても嫌な奴が職場にいた
直接私に仕事の指示をするサブリーダー
人人具足
彼は彼で問題なし
って思おうとしたけど無理だった
随分頑張ったし、悩んだけど
「良く生きる」ことより「楽しく生きる」ことを選んだ

彼から逃げた

その時の会社を辞める必要があったけどね。

うまくやろうと努力はする
でも、どうしてもダメだったら
逃げれば良い
一生を精神鍛練に費やすには勿体ない

この最終手段を手に入れたのは大きかった
だから、今も、このあとも幸せいっぱい、って言い切れるんです。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ

丸の内、古地図散策、その2

丸の内を古地図で散策
丸の内をふたつのテーマで歩く
その続きです。


棚倉藩主、松平康英(やすひで)(松平周防守)は外国奉行兼神奈川奉行
文久遣欧使節(文久元年1862年)で、実に250年ぶりの正式な欧州訪問の副使として渡欧している

■和田倉門、そしてその先に和田倉噴水公園、
この辺り何回か来ているのに、ちょうど和田倉噴水公園だけは行ったこと無かった

うわあっ
噴水だぁ

思った以上でした
噴水公園というくらいだから、噴水があるのは予想していましたが
こう来ましたか
アートだったんですね。
これは良い、とても良い

■辰の口
和田堀から道三堀に流れ込むところ

■評定所
江戸の裁判は管轄によっていくつかに分かれていた
町奉行、寺社奉行、勘定奉行
それぞれの管轄内で解決すればそれで良いけど
町人と武士の間のトラブルなんかはどうするの?
もうひとつ上の組織が必要ですね
三奉行と老中1名で構成されたのが評定所です

■伝奏屋敷は、武家伝奏または勅使の宿舎として江戸に設けられた屋敷です。
武家伝奏は、朝廷に置かれた役職で、毎年三月上句、年頭のあいさつに江戸に来ますが
その時に泊まるのが、ここ。
滞在中にお世話するのが、勅饗応役を命じられた大名

さあ、クイズです。
この勅饗応役を過去に勤めた大名で有名なのは誰でしょう


浅野内匠頭

お迎えする作法はどうするんでしたっけ、吉良先輩

さあ、どうだったかのう

ちゃんと教えろ、ってキレちゃったのが松の廊下ですね。
何と事もあろうに、いよいよ本番の勅使が来るというときに
城の中で、切りつけちゃったもので
将軍綱吉も、大事なお客さんが来るときに何すんの、と頭に来て
即、切腹なんですね

さらに行きましょう

■御作事方
作事方は、今で言う建設省
実はちょっと前の地図では、御作事方、御普請方、小普請方の三つに分かれている
なかなかこの組織がうまく機能しなかったようで
御作事方に統合されたようです。
江戸時代にも、行政改革が行われていたんですね

■小笠原左京大夫
ここは、以前は館林藩
綱吉が館林藩の藩主になり
4代将軍家綱に世継ぎが産まれなかったので
綱吉は、徳川宗家に養子に入り、5代将軍へ
藩主を取られちゃった館林藩は、どうなったか
綱吉の子供、徳松が継ぐんだけど、5歳で死んじゃった
残念!館林藩廃藩
そんな殺生な

その後、小倉藩小笠原家の上屋敷になります。
小笠原家は、超名家なのであちこちにあります。
菱形三つの家紋です。

後に、岩崎弥太郎は、小笠原家の末裔であると主張し
アレンジして三菱のマークをデザインしました。

■庄内藩藩主、酒井忠篤(ただずみ)(酒井左衛門尉)
酒井左衛門尉は大老を出せる筆頭の超名門
話がありすぎるのでバサッと省略ね
戊辰戦争の時に大活躍なんだけど
その時の話はこちらを読んでね
敵の西郷どんを神様として祀る?

■鎌倉橋
明治になっての架橋なので、この時の古地図にはありません。
1944年の米軍の爆撃の時の銃弾の跡が生々しく残っています。

さあ、どどっと戻りましょう

戻り途中も色々あったんですが
ドドッと省略

■東京駅

例によってインフォメーションの綺麗なお姉さんに

東京駅舎の見所ってありますか

はい

ドームを見上げると十二支

それ以外は改札に入らないといけないので、ちょっとお預け

あっ、あれに見えるは!
誰かがKITTE(旧東京中央郵便局)から東京駅が一望出来るって言っていたような

KITTEに行って
また、インフォメーションのお姉さんに

あのう、東京駅が一望出来るって聞いてきたんですけど

はい、6階に上がっていただいて、屋上庭園からご覧いただけます。

ここまで来たら
折角だから、八重洲口にも行きたいな

自由通路で八重洲側に出て

■北町奉行所跡
これがないない
この辺の筈というところに行ってみても
江戸城の石垣が残されたっていうところがあるばかり

本での情報では
北町奉行所跡を発掘したときの下水の跡が残っている筈

あきらめて、戻ろうとして
あっ、あった!

でも、下水の跡はない
諦めきれなくてさっきのところに戻ってみた
あったぁ
ここにあるよとの案内版があった
無茶苦茶奥まっているので、こりゃ分からんわ

これ、なぜ見たかったかというと
北東の角が切れているんです。
鬼門の艮(うしとら)の方角から鬼が来ないように。

■ヤン・ヨーステン記念像
以前行ったヤン・ヨーステンの記念像とはまた別にもうひとつ、記念像があるはず
ヤン・ヨーステンは家康の頃、三浦按針とともに日本に来て
家康に気に入られて
丸の内八重洲の一体に土地をもらった超大物

グーグルマップにある場所に行ってみたら
そこには交番しかない
GPS検索で行ったり来たり
やっぱりここだなあ
そういう時の交番ですね

すみません
ヤン・ヨーステン記念像に行きたいんですけど

ヤン?
グーグルマップを見せても
いやあ分かりませんねえ
4人くらいお巡りさんいるんですけど
誰一人分からない

地下街に降りて向かいの方に向かってみても遠ざかるばかり

あっ、そうだ!
元ネタの「東京街角トリップ」という本のそのページだけ、コピーしてきてたんだった。

ええっと
地下に降りて、すぐ右に曲がり・・

なるほど、分からない筈
地下にありました。
交番のちょうど真下

戻って、お巡りさんに写真を見せ

ありましたよ
ちょうどこの下の地下でした。
八重洲の名前の由来になった、超有名な人ですよ

えっ、そうなんですか
勉強になります。

さあ、帰りましょう

東京駅に入り
さっきお預けしていた、東京駅の見所を探す
5・6番線の有楽町側の端っこに昔の柱が残してある

鉄道の東京から何キロって基準になるポイントに0kmって書いたのが立っている
これ、ちょっと可愛い

今日は、いっぱい歩いたなあ

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ