[昭和歌謡]115 ふたり酒

昭和ヒット曲全147曲の真実シリーズ
ここから1980年代に入っていきます。

ふたり酒
川中美幸
作詞・たかたかし、作曲・弦哲也
1980年

♪生きていくのがつらい日は
お前と酒があればいい
飲もうよ俺と ふたりきり
誰に遠慮がいるものか
惚れたどうしさ お前とふたり酒

ふたり酒
演歌なのに暗さがない
良いですねこういうのも

しかも、夫婦愛の歌
聞きました? 夫婦愛ですって
素晴らしいですね
そのようなものがあるんですね、この世には

夫婦水入らずでお酒を飲む
すごいですね
こんなテーマを歌にするなんて
なんて壮大なロマンなんでしょう
人生の目的と言っても良い

川中美幸は、幸せ演歌という新しいジャンルを確立
それを可能にしたのは、笑顔ですね

おばさんがニコニコ笑って歌っている
やっぱり笑顔というのは良いものです。

弦哲也
作曲の弦哲也さん
当時、弦さん一家は、風呂のないアパートに住んでいたんだけど
この歌のヒットで、風呂付きのマンションに引っ越せたらしい

弦さん一家では、この歌の事を「お風呂の歌」と呼んでいるとか。

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[神社]伊勢。ここが良いわ。

神社シリーズ、八幡宮と稲荷社と天神社が終わりました。

本来、最初に書くべき王者が残っていました。

伊勢
今、神社は伊勢神宮をトップにピラミッド型で組織されています。
会社であれば社長さんが、伊勢神宮
ただ、伊勢神宮グループというのもあって
伊勢神宮を総本社として伊勢以外の場所で天照大御神を祀る神社が
神明社、神明宮などと呼ばれる
東京であれば、芝大神宮や東京大神宮
神社本庁がお宅は何神社ですか、とアンケートした結果では
八幡神社の次に、この神明社が多い
かなり、境内に稲荷社もあることがあるが、そういう場合、稲荷ですとは答えないので
こういう数字になる。
小さな稲荷も全部数えると、稲荷がダントツトップ

正直、それほど有名な神明社は少ない
伊勢神宮があまりに有名なので、その印象が強くなりすぎるのでしょう。
ウォーキングしていると、かなり出会うし、良い神社は多いんですけどね。

天照大御神
神様の中での最高権力者
トップが女性というのが良いですよね

太陽の象徴です。

世界中に太陽信仰はあり
例えばギリシャ神話ではアポロン
太陽信仰を全く持たない民族はおそらく存在しない

当然ですね。
太陽の偉大さは説明不要でしょう

天岩戸(あまのいわと)伝説は、日食があったのでしょう。

天照大御神の子供の、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の子供が
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
天照大御神の孫ということです。

ちょっと地上に降りたって、大国主神(おおくにぬしのみこと)に
国譲りをしてもらってちょうだい。

はーい

天照大御神は天を支配していて
大国主神は地を支配している
地の方も欲しくなった

天孫降臨(てんそんこうりん)です。

この瓊瓊杵尊のひ孫が神武天皇
だから、皇室の祖先神が天照大御神ということになるわけです。

天孫降臨のとき、八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)と
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
三種の神器

これ、私の魂だから、大切にしてね

代々、天皇家に伝わる宝物

ただ、崇神天皇の時、悪いことが続く
八咫鏡を手元に置いておくのが悪いんじゃないか
と別の場所に、置く

ところが、その次の垂仁天皇のときにも、悪いことが続く
やっぱり、もっと良い場所があるんじゃないか

娘の倭比売命(やまとひめ)に
ふさわしい場所を見つけるように

倭比売命は超真面目
一旦決めた場所を
やっぱり違う気がする
と、別の場所を探す

ということを繰り返し
流浪の旅人と化します

見るに見かねた、八咫鏡が喋り出します。

あのう、私、天照大御神の魂やらせていただいている、八咫鏡なんですけど

はい、知ってますけど、何か

場所なんですけどね
ここ
ここがしっくり来るんで、ここにしてちょうだい

まあ、本人が言うんならと
落ち着いたのが、伊勢神宮の内宮の場所なんです。

このいきさつはこっちも読んでね

[天皇]11 垂仁天皇 三種の神器を伊勢神宮に

外宮
やっぱり本人の直感と言うものは大したもので
伊勢はとっても良いところ

八咫鏡は大満足
ずいぶん長く落ち着いて、ああ幸せ

雄略天皇の時期です。
ただひとつ懸念点が

お腹がすいた

申し訳ないんですけど
私の食事の世話をしてくれる神様も連れてきてくれない

すいません、気がつきませんで

ということで、食事の神様、豊受大御神(とようけのおおみかみ)
外宮になります。

次回は、斎宮の話や式年遷宮の話に進んでいきますね

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

[天皇]49 光仁天皇。グッと遡って、天智天皇まで

やったあ
解除だ、解除
ハッピー解除
コングラチュレーション解除

人類の勝利だっ

これからは、大手を振って歩けるぞ!

ということで

天皇シリーズ
奈良時代最後の天皇です。

光仁天皇

強烈な天皇、称徳天皇が崩御
さあ、あとはどうする。

ずっとなりを潜め、その時を待っていた反対派
一気に息を吹き返します。

称徳天皇さえいなければどうってことは、ない
道鏡も即座に失脚させたので
次を誰に立ってもらおうか。

聖武天皇の娘で、井上内親王という女性
もう結婚している
今まで、旦那様がいて、その旦那様が天皇でないという例はない
井上内親王はやりたかったみたいだけど、ちょっと無理

その旦那様は?
グッと天智天皇まで遡って、天智天皇の孫

ずっと謀反騒ぎばかりで、無理矢理濡れ衣を着せられたケースも多かったから
酒に溺れ、無能な振りをしていた。
天皇になりたいなどとはゆめゆめ思いませーん

本人は政争に巻き込まれて殺されたくない一心だったけど
むしろ逆に効を奏した

あいつなら、おかしな事は考えないだろう
井上内親王を皇后とし、息子の他戸親王(おさべしんのう)を皇太子にするんなら良いよ
はい、君が次の天皇

62歳のおじいちゃんなんですけどね

えっほんと
私なの?
やる気になった途端、殺されたりしない?

息子に繋げば良いのね
分かった。
殺されないんだったらやりましょう

光仁天皇の即位です。

ところが不思議な事が起きた。
聖武天皇の娘で、やる気満々だった、井上内親王の方がはめられた。

光仁天皇を呪い殺そうとしたとして、謀反人として捕まった
怖いですね。どろどろです。
息子も謀反人の子として捕まり、流罪
当然、皇太子も外されます。

移送されるとき、
なぜかこの母子、同じ日に病死
そんな偶然。
暗殺されたと見る方が自然でしょう。

中継ぎ女性天皇の元明元正が自分達が犠牲になってまで守ろうとした、天武天皇の直系ライン
天武ー草壁皇子ー文武ー聖武がとうとう全く途切れました。

期せずして、天武天皇ラインはなくなり
天智天皇ラインとなったのです。

「光」の意味
光仁天皇の「光」の字には意味があります。

それまでとはラインが大きく異なる場合
正直言って、自信がない
自分の正当性を主張するために、名前を着飾ります。

この考え方は、以降、光孝天皇や光格天皇に受け継がれます。
また、北朝の天皇には光がついています。

政策
聖武天皇以来の、四文字元号ではなく、二文字の宝亀(ほうき)
それ以降、全て元号は二文字になります。

天智系になったんだよ
今までと違うんだよ、と示す必要があります。

政策としても、四文字元号時代を否定する政策を次々と
左大臣藤原永手(ながて)は死去、右大臣吉備真備(きびのまきび)は高齢のため退官と
ベテラン大幹部は入れ替わりの時期
おじいちゃん天皇も、頑張って色々考えたのよ

とは言え、もう限界
病気がちなので、息子に譲って良いかなあ

他戸親王以外にも、他の奥さんの元に息子もいます。

次からいよいよ平安時代。あのスーパースターのおでましです。

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[明治]伊藤博文。第二世代のスーパースター

明治シリーズ
第一世代の、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允
なんと全員明治が始まって数年で死んでしまった。

第二世代の時代に入っていきます。

廃藩置県に始まり、学制改革、徴兵令、地租改正の基礎が形づくられた。

岩倉具視や大久保利通の置き土産
大隈重信や板垣退助が頑張ったからでもあるのだけれど
憲法の制定と、国会の開設という大テーマがあります。

第二世代のスーパースターは伊藤博文
この大テーマを、どんとこい、と仕上げていくのです。

伊藤博文

元長州藩です。
千円札です

実に色んなものにダブっている、というか
伊藤博文から始まるというか

何と言っても、初代の首相ですからね

吉田松陰の松下村塾の最も若手の期待の星
長州ファイブという、長州から、幕末にヨーロッパに秘密留学したメンバーでもあります。
長州ファイブでは、他に井上馨や井上勝(鉄道を作った人)もいます。
岩倉具視使節団のメンバーでもあります。
早いうちから、次のリーダーは伊藤博文だとみんなに思われていた気がします。
別に話そうと思っている元老という制度の一員でもあります。

憲法
私は法学部でが特に憲法が好きだった事もあり
伊藤博文と言えば憲法
学生の時、伊藤博文がプロイセン憲法を勉強して、大日本帝国憲法を作った時のことを勉強したなあ。

前提としてばくっと大きな話をしておきましょう。

江戸時代の徳川幕府が支配している社会を倒した。
その幕末の志士たちの共通のスローガンは尊皇
天皇が支配する世の中に変えようということ。

だったら、君主制でいいわけです。
天皇が全てを決める社会

でも坂本龍馬の船中八策にもあるように
最初から、天皇単独ではなく、プラスアルファの何人か、が想定されていた。

そこのところが人によって色々考えが分かれる訳です。

大久保利通は、順番があると考えた。
いきなり広くすると逆に混乱し、方向性を見失う。
薩摩、長州、の藩閥でまずはスピーディに改革を成し遂げよう
その後徐々に広げていけばいい

それに対して自由民権運動なるものが起こった
大隈重信(佐賀藩出身)や板垣退助(土佐藩出身)
最初からもっと広げるべし
言い方を変えると、薩摩長州だけで政治をするのは気に入らん。

結局、大久保利通は、大きく譲ることにした。
憲法と国会を認めましょう。
ただ、時間をちょうだい。10年ね
10年で自分の考える骨組みを作り
はい、あとは皆さんでよろしく。

でも、その途中で暗殺されてしまった。
急に、伊藤博文がバトンを受け取っちゃった。
長州だから、立場的に藩閥側。
実際このあと、藩閥政治が続く訳です。

約束はしている。
伊藤に憲法担当という役回りが回ってきた。
なぜ私なのか
政府内には井上毅(こわし)という法律に詳しいものがいる
素直に井上に聞いてみた
習うべきはプロイセンでしょう。
プロイセンは立憲君主制です。

君主が支配するものの、憲法を定め
君主個人の暴走に歯止めをかける

イギリスは行きすぎです。

イギリスは議員内閣制
議員内閣制を主張する大隈重信は、さっきの約束の引き換えに政府外に追放している。

まあ、最終的には井上に頼めば良いや
でも、自分もちゃんと勉強しておかなきゃ

勉強のためプロイセンへ渡る。

ただ、いざ勉強してみると問題山積みで
どんどん自信をなくしていく。

どうすりゃいいんだ、憲法

そんな時、ウィーン大学の国家学教授ローレンツ・フォン・シュタインと面談する

憲法はね
それだけいくら立派なもの作っても、
全く意味がないんですよ
実際の政治がうまく運ばなきゃね

なるほど
目から鱗
自分は、良い憲法を作ろうとやっきになっていた
違うんだ
国全体なのか
国全体をどう形作るかだ。

伊藤が日本の国作りのリーダーとして目覚めた瞬間です。

そこからのプロイセンでの活動はガラッと変わった。
憲法の勉強ではなく、国のあるべき仕組みの勉強へ

帰った伊藤はありとあらゆる改革を手掛けていく。

続きは、シリーズの次回ね

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