[明治]伊藤博文。第二世代のスーパースター

明治シリーズ
第一世代の、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允
なんと全員明治が始まって数年で死んでしまった。

第二世代の時代に入っていきます。

廃藩置県に始まり、学制改革、徴兵令、地租改正の基礎が形づくられた。

岩倉具視や大久保利通の置き土産
大隈重信や板垣退助が頑張ったからでもあるのだけれど
憲法の制定と、国会の開設という大テーマがあります。

第二世代のスーパースターは伊藤博文
この大テーマを、どんとこい、と仕上げていくのです。

伊藤博文

元長州藩です。
千円札です

実に色んなものにダブっている、というか
伊藤博文から始まるというか

何と言っても、初代の首相ですからね

吉田松陰の松下村塾の最も若手の期待の星
長州ファイブという、長州から、幕末にヨーロッパに秘密留学したメンバーでもあります。
長州ファイブでは、他に井上馨や井上勝(鉄道を作った人)もいます。
岩倉具視使節団のメンバーでもあります。
早いうちから、次のリーダーは伊藤博文だとみんなに思われていた気がします。
別に話そうと思っている元老という制度の一員でもあります。

憲法
私は法学部でが特に憲法が好きだった事もあり
伊藤博文と言えば憲法
学生の時、伊藤博文がプロイセン憲法を勉強して、大日本帝国憲法を作った時のことを勉強したなあ。

前提としてばくっと大きな話をしておきましょう。

江戸時代の徳川幕府が支配している社会を倒した。
その幕末の志士たちの共通のスローガンは尊皇
天皇が支配する世の中に変えようということ。

だったら、君主制でいいわけです。
天皇が全てを決める社会

でも坂本龍馬の船中八策にもあるように
最初から、天皇単独ではなく、プラスアルファの何人か、が想定されていた。

そこのところが人によって色々考えが分かれる訳です。

大久保利通は、順番があると考えた。
いきなり広くすると逆に混乱し、方向性を見失う。
薩摩、長州、の藩閥でまずはスピーディに改革を成し遂げよう
その後徐々に広げていけばいい

それに対して自由民権運動なるものが起こった
大隈重信(佐賀藩出身)や板垣退助(土佐藩出身)
最初からもっと広げるべし
言い方を変えると、薩摩長州だけで政治をするのは気に入らん。

結局、大久保利通は、大きく譲ることにした。
憲法と国会を認めましょう。
ただ、時間をちょうだい。10年ね
10年で自分の考える骨組みを作り
はい、あとは皆さんでよろしく。

でも、その途中で暗殺されてしまった。
急に、伊藤博文がバトンを受け取っちゃった。
長州だから、立場的に藩閥側。
実際このあと、藩閥政治が続く訳です。

約束はしている。
伊藤に憲法担当という役回りが回ってきた。
なぜ私なのか
政府内には井上毅(こわし)という法律に詳しいものがいる
素直に井上に聞いてみた
習うべきはプロイセンでしょう。
プロイセンは立憲君主制です。

君主が支配するものの、憲法を定め
君主個人の暴走に歯止めをかける

イギリスは行きすぎです。

イギリスは議員内閣制
議員内閣制を主張する大隈重信は、さっきの約束の引き換えに政府外に追放している。

まあ、最終的には井上に頼めば良いや
でも、自分もちゃんと勉強しておかなきゃ

勉強のためプロイセンへ渡る。

ただ、いざ勉強してみると問題山積みで
どんどん自信をなくしていく。

どうすりゃいいんだ、憲法

そんな時、ウィーン大学の国家学教授ローレンツ・フォン・シュタインと面談する

憲法はね
それだけいくら立派なもの作っても、
全く意味がないんですよ
実際の政治がうまく運ばなきゃね

なるほど
目から鱗
自分は、良い憲法を作ろうとやっきになっていた
違うんだ
国全体なのか
国全体をどう形作るかだ。

伊藤が日本の国作りのリーダーとして目覚めた瞬間です。

そこからのプロイセンでの活動はガラッと変わった。
憲法の勉強ではなく、国のあるべき仕組みの勉強へ

帰った伊藤はありとあらゆる改革を手掛けていく。

続きは、シリーズの次回ね

[明治]シリーズはこちら(少し下げてね)

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