六義園、和歌の世界。その3

六義園の和歌の世界
六義園、和歌の世界。その2
の続きです。

つつじ茶屋

これは、柳澤吉保が作ったのではなく、岩崎弥太郎が作ったもの
以前、ガイドさんが、このエリアは中国エリアなのよ
なんでこの和風を入れるかねえ
と言われておりました。

前に座禅石

ここで座禅したら、ひんやりして気持ち良さそう。
これはもともとありました。

裏から見たつつじ茶屋も素敵

水香江

今は水は枯れていますが、昔は水があり、蓮が植わっていました。

山陰橋

このあたりは、中国の王子猷(おうしゆう)の故事に基づいています。

昔、王子猷は人里離れた山奥で暮らしていました。
長く雪が降っていましたが、ある日雪が晴れ、月がとてもきれいに出た。

おお美しい。
これは私一人ではなく、友の戴安道(たいあんどう)と共に愛でたいものだ
船を出し、戴安道のもとへ
ただ、戴安道の家は思ったより遠かった。
着いたには着いたけれども、その時はもう夜があけかかっている

門の前で
さあ、帰るとするか

あれれ
人が尋ねた
なぜここまで来て、友に会わずに帰るのですか

ここへ来たのは、共に月を愛でるため
もう、会う必要もない

10.蛛道(ささがにのみち)
和餓勢故餓 勾倍枳予臂奈利 佐瑳餓泥能 区茂能於虚奈比 虚予比辞流辞毛
わがせこが くべきよひなり ささがねの くものおこない こよひしるしも
衣通姫(そとおりひめ) 古今集

今晩は、きっとあの人が来てくれるに違いない。
笹の根元で蜘蛛が巣を張っている、今夜はそれがはっきり見えるもの

おそらく柳澤吉保にとってみれば、この和歌のテーマパークの中で一番重要な歌
本当に和歌が好きで、和歌の神様として扱われている衣通姫が大好きだったんでしょう。

だから、衣通姫を祀っている和歌山の玉津島神社を勧請したかった。
そして衣通姫を中心にした和歌のテーマパークという位置付けの庭園を作りたかった。

ずっと、柳澤吉保の選んだ歌を見てきて柳澤吉保の人柄が分かりますね
一度、歌舞伎の超人気演目「仮名手本忠臣蔵」で悪役として描かれて以来、完全に悪役イメージが定着した。
5代将軍綱吉に可愛がられ、異例中の異例の大出世
そういう人って、やっかみの目で見られるから、そういう扱いをされることが多い

そんな大出世だから、選ぶ歌もギラギラで華やかなのかと思いきや

月が出るまで待ってましょ、だの
道に迷って、浜千鳥に聞きましょ、だの
汐に導かれて知らないところに来ちゃったから、まあ月を見てましょ、だの
友と月を愛でるために門まで来たけど、やっぱり帰りましょ

このささがにのみちって蜘蛛ですよ
衣通姫(そとおりひめ)って古事記、日本書紀の時代の人
古事記と日本書紀で違う話としてのっているので、ここは日本書紀の衣通姫でお話ししましょう
[天皇]19 允恭天皇。衣通姫の愛
も読んでね

絶世の美女。
肌の美しさが衣を通して分かるほどということで衣通姫

当時、結婚は今のような一夫一婦制の同居ではなく
女性のところに男性が通う「通い婚」スタイルが一般的
女性側からすると誰のところに通っているかは、風の噂でしか分からない。
従って一夫一婦制ではない。

天皇の場合、例外的に皇后的役割の女性を宮中に置くことはあった。

允恭(いんぎょう)天皇の皇后は衣通姫のお姉さん。
悲劇だったのは、妹の衣通姫があまりに美しかったということ。

允恭天皇が衣通姫のところにも通おうとする

衣通姫はびっくり
そんなのダメに決まってます。
ダメと言ったらダメ

現在人の感覚からすると、允恭天皇、何考えてんねん!ですが
当時の男性の感覚では、そうおかしな事ではなかったのかも知れません。

あきらめない允恭天皇
部下に、
何とか衣通姫に認めさせろ

部下は、衣通姫の家の前に座り込み
認めてもらえるまでここを動きません。食事もしません。
と、絶食アピール作戦

衣通姫も折れます。

足しげく通う允恭天皇の人柄に触れ
心のそこから衣通姫も愛してしまうのです。

お姉さんは、允恭天皇の子供を身ごもり、出産
ところがなんと、その出産当日にも、允恭天皇が衣通姫のところに通っていったのです。

お姉さんは絶望。
生まれてきた子供を抱き、家に火をつけて自殺を図ります。

命はとりとめました。允恭天皇は大反省
そうそうは、衣通姫のところに通えなくなります。

長くなりました。
この背景があってのこの歌です。

ずっと待っています。
来れない事情も分かります。
でも、待ってしまうのです。
諦めるしかないし、お姉さんの気持ちも分かるのに
やっぱり待ってしまうのです。

今日も来ていただけなかった。
そりゃ、そうよね。

そんなある日、笹の根元に、蜘蛛が巣を張っているのを見ます。

あっ、今日よ。
今日来ていただけるんだわ。
だって、中国の言い伝えで聞いたことあるわ。
笹の根元に、蜘蛛が巣を張ったら、
愛しい人に会えるって。

わがせこが くべきよひなり ささがねの くものおこない こよひしるしも

こんなに弱々しい歌がありますか
蜘蛛を見て大喜び。内心では来てくれないことが分かっているんです。

そして
私はこの歌を選び、この歌のために和歌のテーマパークを作った柳澤吉保に
大きな拍手を送りたい。

何匹か蜘蛛が巣を張っていました。

こういう美しい庭園で、蜘蛛が巣を張っていたら、清掃担当はすぐさま取り除くんでしょうけど
ここだけは言われているんでしょうね

蜘蛛の巣は取っちゃダメ

その3なのにあまり進みませんでした。
衣通姫に入っちゃいますとね。
そもそも、六義園で一番有名な藤代峠に入ってないってどういうこと?

はい、すみません
明日は、その4となります。

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

六義園、和歌の世界。その2

六義園の和歌の世界
の続きです。

5.指南岡(しるべのおか)
尋行く 和歌のうら路の はま千鳥 跡ある方に 道しるべせよ
紀淑氏朝臣 新千載
 
浜千鳥が浜辺に残した足跡をたどって、和歌浦に着きたいものだ。
千鳥よ、道しるべとなってほしい

この歌六義園の中で一番好きかも

ああ、迷子になっちゃった。浜千鳥さん、和歌の浦に行ったんでしょ。
じゃあ、足跡辿っていけば、和歌の浦に着けますね、という可愛い歌

ですが、実はこの歌、もうひとつの意味がある
新千載辺りになってくると、万葉集の頃のように、単純に情景を歌ったような歌は少なくなります。
この歌に前書きが着いています
「千鳥のはし」のこなたなれば、哥の心もかなふやうにて。

前を見ると、千鳥橋があります。

千鳥って右にちょこちょこっと行ったかと思うと左にちょこちょこ
千鳥足はそこから来ているので
千鳥橋ってジグザグなのかと思いきや、ここではまっすぐ。
まあそれは良いとして、千鳥橋の近くで詠まれた事に意味があります。

千鳥橋の近くには、玉津島神社があり、そこには後で話しますが和歌の神様、
衣通姫(そとおりひめ)が祀られている。

作者の紀淑氏は紀国の国造(くにのみやつこ)にして歌人

千鳥橋をみて、ふと千鳥を衣通姫に見立て
私にも、和歌の心が分かるよう導いてほしいなあ、と

「方」は千鳥の場合は潟で衣通姫の場合は方向性という掛詞
和歌の浦は、玉藻磯の時にもあったように
和歌が地名についているが故に、歌枕でありながら、和歌の世界そのものを表すように使われてきました。

すなわち、第二の意味はこうです。
先の歌道家が残した事績をたどり、歌道の道を究めたいものだ。
千鳥(衣通姫)よ、和歌の道が分かるよう導いてほしい。


さあ、滝の方に参りましょう。

この岩すごいですねえ。
川を流すような形してます

おっとこんなところに臥龍石か?

滝です

下が水分け石
水が左右に分かれるような形になっています。
拡大すると、こう

上が枕流洞
流れに枕している石
拡大するとこう

孫楚そんそは、隠遁しようと決心して、
友人の王済おうさいに「山奥で石を枕にし川の流れで口をすすごう」と言うべきところを
「石で口をすすぎ、流れを枕にしよう」と言ってしまった。
それを指摘されると「流れを枕にするのは、汚れた話を聞いた耳を洗うためで、
石で口をすすぐのは歯を磨くためだ」と言い張った
すなわち、屁理屈を言う人の事を、漱石枕流(そうせきちんりゅう)という

夏目金之助が夏目漱石というペンネームを使ったのは
私なんぞは屁理屈野郎ですわ、という自虐の自己紹介なんですね。

千鳥橋から見た滝周辺はこんな感じ

初めは海ゾーンから始まりましたが、ここから本格的な山ゾーンに入ります。

和歌山で山と言えば?
はい。吉野の山ですね

6.下折峯(しをりのみね)
吉野山 去年(こぞ)のしをりの 道かへて まだ見ぬかたの 花を尋ねむ
西行法師 新古今集

吉野山のここで去年枝折(しおり)をして目印をつけておいた道とは道を変えて、
まだ見ない方面の花をたずね入ろう

すみません。石柱の写真は撮ったのですが
その奥の山の写真を撮るのを忘れたので、ネットから拝借

出ましたっ。みんな大好き西行法師。花と月の西行法師らしい歌です
せっかく道を覚えるために去年自分で印をつけたのに
ひょっとして別の道には別の花が咲いているかもと思ったのでしょうね。

それにしても、しおりの語源が枝を折って、道を覚えておくという
ヘンゼルとグレーテル的な事だったとは知りませなんだ。
下折で「しをり」と読ませるのは珍しいそうです。

7.衣手岡(ころもでのおか)
夕(ゆふ)されば 衣手さむしみよし野の よし野の山に みゆきふるらし
読み人知らず 古今集

夕方になると袖の中まで寒い、吉野の山では雪が降っているのだろう。

吉野の山が桜で有名になるのは、平安時代後期から
桜を神木として寄進する習慣が根付いてから
それまでは、吉野山のイメージは雪でした。

8.峯花園(みねのはなぞの)
三吉野(みよしの)の 峯の花ぞの 風吹(ふけ)ば ふもとに曇る 春の夜の月
常盤井入道前太政大臣(西園寺実氏) 玉葉和歌集

吉野の山奥で夜風が吹けば、散った花びらで、麓から見上げる月は晴れた日でも曇って見える

西園寺実氏は西園寺公経の息子
鎌倉時代なので、もう吉野山は花のイメージになっているんですね。

吟花亭跡というのがあります。

吟花亭という茶室があってそこからこの見事な庭園を眺めることができた。

贅沢だなあ

そして横に、岩崎弥太郎が、清澄庭園にもあった赤い石を置いたんです。

高いんだこれが。

吹上
再び、海ゾーンにちょこっと寄ります。
吹上茶屋

吹上松


写真におさまらないほどの見事な松

吹上浜

現在の和歌山に吹上浜に対応するところは無さそうなのですが
強い風で砂が吹き上げられる浜
昔はそれはそれは風光明媚なところだったようです。

今では片男波(かたおなみ)海水浴場

9.不知汐路(しらぬしほぢ)
和歌の浦 知らぬ汐路に こぎ出(いで)て みにあまる迄(まで) 月を見るかな
藤原光俊朝臣 続古今集

和歌の浦のどこに流れていくかわからない汐路に漕ぎ出でて、
自分にとって十分過ぎるほど、月を眺めようか。

まだまだ続きます
続きは明日ね

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六義園の和歌の世界

4連休2日目
雨予測ではありますが
私からすると、それがなんぼのもんじゃい

都立9庭園年間パスポートを持っておりますが
コロナ以降、あまり活用できておりません。
ちょうど元は取ったので、良いっちゃ良いのですが
関西人たるもの、得するまで使わねば。

都立9庭園で行っていないところはないのですが
一番奥深いのが六義園(りくぎえん)
よし、今こそ参らん、六義園へ

六義園
六義園は和歌のテーマパーク
5代将軍綱吉に仕えた柳澤吉保が作った実に見事な庭園です。
庭園の美しさは群を抜いておりますが
和歌を味わいながら巡ると倍楽しめます。

そのためには、ガイドさんに解説してもらうのがベスト
前回、解説してもらって感謝感激
こんなのをもらえます


ただ、何せ六義園はあまりに素晴らしいので、ガイドさんの1時間では全ての和歌の解説には至りません。
2回3回来る必要があるぞと思っておりました。

そう
私には年間パスポートがあるのさっ

すみません。これで

はい。延長ですね。

どういう意味かと言いますと
緊急事態宣言中、都立9庭園はお休みでした。
年間パスポートを持っている人はその分の延長手続きをしてもらえるんです。
親切です。さすがは小池さん。

今日は、ガイドさんの解説はあるのでしょうか
恐る恐る聞いてみました。
密を避けるって言って、ガイドさんのツアーは休止ってことが相次ぎました。
事前にホームページをチェックしたんですが、休止って書いていない。
前は休止って書いてあったんだけど、再開したのかなあ。

すみません。ガイドはもうやっていないんです。

ガーーン

何のために来たのでございましょう。
再開の目処すらないと言います。

こうなると、方法はひとつです。

頑張る

確か、ガイドアプリがあったはず
聞いて、ダウンロードしました。
Tokyo Parks Navi
やはり、ガイドさんの解説ほどではありませんが
前回の和歌のしをりを持ってきて良かった

とっかえひっかえ組み合わせつつ必死のパッチで頑張りましょう。

さあ、それでは、でーこんの六義園徹底解説。はじまりはじまり

六義園
六義園(りくぎえん)変な名前ですね
柳澤吉保は、日本語読みで「むくさのその」と呼んでいました。
りくぎえんとは漢文読みです。

紀貫之が古今和歌集の仮名序で言っております。
そもそも、歌のさま、六つなり。唐の歌にもかくぞあるべき。
そへ歌。かぞへ歌。なずらへ歌。たとへ歌。ただごと歌。いはひ歌」
唐の詩の分類六義の「風・賦・比・興・雅・頌」に相当する。
要は和歌を6つに分類したのが、六義。
なので、和歌の世界。
園はテーマパークですから
六義園は和歌の世界のテーマパーク、という訳です。

和歌で歌枕という言い方をしますが、和歌に良く歌われる美しい名所
どこかひとつ選んで、庭園で再現し
ここから見える景色はこの歌、という風に対応させて
客人に楽しんでもらおう

柳澤吉保は、和歌の先生、北村季吟に尋ねます。

どこがよろしいでしょうか

和歌の世界ですね
和歌山です。和歌って入ってます。
ちょっと前に言ってきましたが、それはそれは素晴らしかった。

私は行ったことないんですが・・・
でも、和歌で和歌山はとても分かりやすい
それで行きましょう。
お任せしますので、どんどん提案願います。

それでは、順番に参りましょう。

1.和歌の浦(わかのうら)
若の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る
山部赤人 万葉集

和歌の浦に潮が満ちて来ると潟がなくなり、葦のほとりをめざして鶴が鳴き渡るよ

現在の和歌山県、和歌の浦です

2.出汐湊(でしほのみなと)
和歌の浦に 月の出汐の さすままに 夜鳴く鶴の 声ぞかなしき
前大僧上慈円 新古今集

和歌の浦で、月の出とともに潮がさすにつれて、夜鳴く鶴の声が本当に悲しく聞えるよ

出汐というのは、汐が満ちてきて船が出られるようになることを待っている事なんですが
同時に、月を愛でるために、月が出るのを待っている時間でもあります

3.玉笹(玉ざゝ)
いもせ山 中に生(おひ)たる 玉ざゝの 一夜(ひとよ)のへだて さもぞ露けき
信実朝臣 新六帖

妹山と背山の間にある玉笹によって男女の仲が隔てられ、逢えぬつらさに涙をたくさんながすよ


真ん中にある笹のような形をした岩が、玉笹です。
いもせ、というのは夫婦を表しますが、妹山と背山の間に玉笹が生えていてなかなか会えない

実際に今も海に張り出した島に妹背山があり、そこに橋で渡れるようになっています。

六義園でも橋がかかっています

4.玉藻磯
和歌の浦に 千々(ちぢ)の玉藻を かきつめて 万代(よろづよ)までも 君が見んため
皇太后宮大夫俊成 玉葉和歌集

私のもとにたくさんの和歌をかき集めて千載集を撰集いたしました。
いついつまでも貴方様がみることができるように。
(貴方様の御代に死んでいった方々のことを想い、御下命のとおり供養の集として編みました。)

皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)が、
後白河院に千載和歌集奏覧の折に手箱に巻きつけた包み紙に葦手書きした和歌より採られています
玉藻というのは、藻の美称で、ここでは和歌の事を指しています。

ここで、池の中の事をお話ししましょう

島の手前に、横に長い岩が見えます
拡大するとこう

ワニが頭をもたげた感じに見えますが、ワニではありませんで、龍です。
臥龍石(がりょうせき)といって、龍の伝説に基づいています。

手前の岩は、蓬莱山です


蓬莱山とは不老不死の仙人が住む山、ないしは島で、庭園の池にはつきものです。
ただ、これは柳澤吉保が庭園を作ったときにはありませんでした。
和歌山に蓬莱山はありませんのでね

これを作ったのは岩崎弥太郎。三菱グループの創始者です。
六義園は、明治になって新政府に没収されるのですが、誰も手入れせず、荒れ果てていました。
それを買い取り、再整備したのが、岩崎弥太郎なんです。

岩が大好きな岩崎弥太郎ならではですね。
こんな見事な形の岩はなかなか手に入らないでしょう。

ずいぶん長くなりました。
まだまだ、続きますが、一旦切って続きは明日ね

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野火止用水コンプリート、新田義貞さんこんにちは。

4連休だ
ワイワイ

ウォーキングイベントも再開して、二つアップしました。
3つ目は紅葉の季節

だとすると、あれか?

平林寺
行ったのは2回だったか3回だったか
松平信綱の話はなかなか泣けるので、イベントにしたいなと。

前回は自宅から歩いて行ったから
イベントにするなら、最寄り駅から行ってみて、道や時間を確認しておかなきゃ
って事で、4連休初日のお出掛けは、「平林寺への道」に決定

最寄駅の新座駅に降りたって
あっ、来たことある
よく考えれば、前回、平林寺からの帰りは、新座駅まで歩いたんでした。

いいや。よく覚えてないし。

単に住宅街じゃなくて、歩いていて楽しい道の方が良いな

分かりやすいのは川越街道だけど、片側2車線のガンガン車の通る道で面白くない。

あれ
ひとつ奥の道が良さそうだぞ
南口公園から入って、そのまま遊歩道が続く。
おそらく下は暗渠の川でしょう。



こういう、風情がある道かどうかというのは、グーグルマップや散策コースの本やネットじゃ分からない。
結局、行かなきゃ分からない事って結構多いんです。

ふるさと新座館

このネーミングから期待したのは郷土資料館
でも、残念。
道の駅によくある地元野菜の直売所+公民館でした。
ごめんなさい。私にとって残念なだけね

その横が野火止用水公園

ここまで来て思い出した。
野火止用水を辿るウォーキングはまだ完結していない。
前回、平林寺まで来て、その先は行っていなかった。

よし。今日はここから、平林寺に向かうわけだから
ちょっと伸びるね。

これはすごい陸橋


川越街道を横切る陸橋でした。

さあ、本格的に野火止用水が始まります。


閉まってはいましたが、ホタルのお宿というのもありました。
ホタルを育てているようです。

平林寺は前回入りましたし、入るのに500円かかるし、入るとむちゃくちゃ時間かかるので今回はパスです。

睡足軒の森
電力王、と呼ばれたほどの大物、松永安左エ門は近代三大茶人とも言われた人
その庭園がこれ
紅葉の時期にはライトアップされ、すごいことになるようです。




観光プラザがあったので聞いてみますと
野火止用水は、ちょうど最初に寄った野火止用水公園までが開渠で
そのあと暗渠になってしまうそうです。
暗渠を辿るところまではよしとしましょう。

ということで、野火止用水も
コンプリーーート

おっと、こんなものが

マンホールも素敵です。

今、新座市が一押しのマスコットぞうきりん

野鳥の森というのもありました。

新座駅に戻って参りました
13:10
微妙な時間。
平林寺に入らなければ、余裕ができます。

電車は武蔵野線だなあ
あそこ行っちゃう?

武蔵野線に乗っていれば、府中本町まで行け、南部線に乗り換えれば1駅で分倍河原。

この前、八国山でたまたま元弘の板碑を見て以来
新田義貞に凝っております。

この前の久米川古戦場のあと、いよいよ分倍河原の戦い
ここで北条泰家に勝ち決定的に
そのままの勢いで、鎌倉幕府を攻め落とす訳です。
鎌倉時代が終わる決定的な戦い。

新田義貞
分倍河原の駅前に、新田義貞の銅像があるはず

あったぞ
でかいっ

お世話になっております。

古戦場跡もあるはず
10分ちょっと歩いて
あったあ

ああ、ここで、時代が変わったんだなあ。
東京って、歴史の中心になるのは江戸時代以降だから
東京をウォーキングしていて、それ以前の歴史の遺物に出会うことがまずない

この前たまたま新田義貞の遺物を目の当たりにしてとても興奮してしまったんです。

こんな素敵な緑道の中にありました。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)