朝の贅沢、宝仙寺

この日曜日中野区のウォーキングをしました。
中野区の散策。お百姓さんの三重塔

その時、昔ここに宝仙寺の三重の塔があったという碑を見ました。
ネットで検索すると、近くの宝仙寺で三重の塔が復元されているとの事
おそらく、昔は広大な土地が宝仙寺だったけど、今は一部だけで宝仙寺が残っていて
そこに、再度三重の塔を作ったという事でしょう。

これは行かずばなるまい。

日曜日は方向的に別の方に行ったから行けなかったけど
宝仙寺だけでもまた行かねば。

最寄りの駅は、中野坂上
職場の最寄り駅です。

ちょっと待てよ
今、原則リモートワークなので自宅作業だけど
出社日には、中野坂上に行くって事だよね

行こうじゃありませんか。

いつも、電車の中で寝て行くので、乗換え駅を寝たまま過ぎちゃったりということがある
それでも間に合うよう、40分ほど早めに着くようにしている。
早く着いても仕事を早く始める訳じゃなく、時間までブログ書いているんですけどね。

1箇所だけなら朝寄れるじゃん。
なんてグッドアイデア。
木曜日、今日は出社日。ルンルン。

朝出るのが遅めになっちゃったけど、早足で頑張って
ギリギリいつもの電車に乗れた。
これは、行くべしとの神の思し召し。

いつものようにこっくり
起きると、あれれ?
千川~千川~

はい?乗り過ごしパターンかぁ
神様ぁ

こんな事でめげるようでは、でーこんはやれません。
ちょっとロスしたけど、何とかなるっしょ。

宝仙寺
やってまいりました、宝仙寺


金剛力士像無茶苦茶でかい

あったぞ、三重の塔


木造ではないけれど、姿形は昔と全く同じらしい。
幸せっ

堀江氏の墓もある

堀江氏は中野一帯を開発したお役人。
実際の墓石がどこにあるかは良く分からなかったんですけどね。

六地蔵と見送り地蔵

六地蔵って良くあるけど、見送り地蔵って初めて聞いた。
極楽浄土へと見送ってくれるそうな
顔があっちむいてホイしている感じが良い

石臼塚

近くの神田川には多くの水車が置かれ、そば粉を挽いていた
中野はそばの製粉の一大産地。中野そばとも言われた
でも、電化、機械化で様変わり。石臼は捨て置かれた。
随分お世話になった石臼に、それは違うんじゃないですか、と
宝仙寺の住職さんが、石臼を塚にして供養

こうしてみると、アートですね

象と源助さん
宝仙寺にどうしても来たかったのは、象のゆかりの地だから。

江戸時代、8代将軍吉宗の時、吉宗が象をどうしても見たくなった。

象を輸入せい

鎖国なので、輸入できるのは長崎だけ。
つがいの2匹の象のうち、一匹は輸入してすぐ死んじゃった。
残りの1匹を江戸まで運ばないといけないんだけど、そんな大きな船はない
象を連れて歩いていくしかない。
その辺の詳しい話はこちらを読んでね
吉宗が輸入した象はどうなったか

何とか江戸まで連れて来れて、吉宗大満足。
お目見え後、浜御殿(現、浜離宮恩賜庭園)で飼っていたんだけど、
餌代がべらぼうにかかる
こりゃやってけん、と里親募集。

はいはいはい。
手を上げたのが10数人
見事落札したのが、中野の源助さん

採算を合わすために、見世物として、お金を徴収
中野の成願寺あたりに象小屋を建てた。
見物人目当てで三色饅頭も販売。
さらに、象の糞は疱瘡の薬になるとして販売
何とか採算を合わせるため、必死

そして、死んだ後も、その巨大な骨を見世物に
各地を回り大イベント
頑張りますっ

一通りの役目を終えた象の骨は
この宝仙寺に葬られ、供養されることになりました。

是非ともその骨を見たかったんですが、残念
昭和20年に戦争で焼けちゃったそうです。

朝の境内で深呼吸
ああ、気持ち良い

普通では経験出来ない事を経験する
それを贅沢と言うのなら
こんな贅沢な事があろうか。

金なんて要らない
ちょっとしたチャレンジだけ

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

キャベちゃん治った!おこめちゃんの賢い技

セキセイインコのキャベちゃんが真ん丸くなっちゃって、病気ですと1週間前にお話ししました。
真ん丸キャベちゃん、負けるなキャベちゃん

それから1週間、真ん丸状態は続き、悪くはなっていないと思うけど、良くもなっていないという感じでした。

食欲に関しても、餌の減り具合から考えて、食べる量は減っているかな、と
ただ、食べる時は集中して食べている
以前のくうちゃんの時のように食べられないって事ではないので、まずまず。

お医者さんに、別居した方が良いですか、と聞くと
オスとメスで仲が良いなら、餌を口移しであげてくれるかも知れないので
同居で良いです、と

そんな事おこめちゃんがするかな

ところが3日前、寝かそうとすると
急におこめちゃんが、餌を口移しであげているではありませんか。

寝かすのはちょっと待って見ていると
どろっどろの餌をガンガンあげる

シャケちゃんとくうちゃんの時は、ぐちゃぐちゃベトベトの餌のあげ合いが毎日
その時は優しくあげていたんだけど
おこめちゃんはくちばしでつつきながら激しいのなんの
いつまでも続くから、もう良いんじゃないのと思っても
ほれ食べろやれ食べろ

そのお陰でかなり食べる事は出来たと思う。
なぜか寝る前だけなんだけど、それ以降の日課になった。

昨日、相変わらず、真ん丸くなってずっと寝ている状態だったけど
夕方近くになってきて
パンパンの風船状態から
さつま芋ぐらいの感じになってきた。
寝る時間も少なくなってきて、結構餌も食べている

おっ、これは良い感じかも

おこめちゃんは人なつこいので、人をあまり噛まないし
噛むときも加減して、甘噛みしてくれる
キャベちゃんは逆で、人への警戒心が強く全然なつかない
手を近づけると思いっきり噛む

薬をあげるとき、捕まえて、口のところに2滴落とさないといけないので
さあどうなるかと思っていたら
やっぱり元気がないせいでしょう
噛むけどそうは痛くなかった。

一日二回お薬タイムで昨日の寝る前
捕まえたら、噛んできてかなり痛かった
大分元気になってきたかもよ。

今日
朝、起こしたら

あっ
スリムじゃん

薬をあげましょう

痛っ。いててててて
いたーーい

それ以降もまだ眠っていません。

これは完治と言って良いのでは



おこめちゃん
おこめちゃんの話題。

おもちゃ餌箱があります。

鳥さんがうまくひっくり返せれば、こんなふうになって餌が食べられる仕組み

買ってきたのは長女なのでずいぶん昔
長らく何の興味も示さず、中に入ったままでずっとそのまま

ところが、あるとき、間違えてぶつかって中の餌がこぼれた

餌があるのに気づいたおこめちゃんがパクパク

これはひょっとして。
新しい餌に取り替えて、じっと見てるとやはり興味を示さない。

あきらめて、他の事をやっていて
数時間後にふと見ると餌がこぼれている
ありゃりゃ

数日間そういう事が続いて
ある日、やっと、本人がこぼしているのを目撃出来た
ここでいう本人は、おこめちゃんね
実にうまいことひっくり返す。

なんとか動画に録ってやろうと思うんだけど
なかなか成功しない。

そうこうしているうちに数分間録りっぱなしでようやく録れた。

どんどん技が磨かれ
もう何の苦もなく、朝餌をセットしてあげるとすぐさま飛んで行ってジャー
全部こぼしちゃう。

動画も、その時録れば良いので、全然大丈夫。
ということで、おこめちゃんの磨かれた技をご覧ください。

キャベちゃんはというと全く無理
いつもおこめちゃんがこぼしてくれるのを待ち、こぼれた餌を食べるのみ

一度、こぼれていない状態のおもちゃ餌箱のところにキャベちゃんがやって来た
いつも見ている訳だし、ひょっとして。

しばらくただ途方に暮れて眺めていて
あきらめて帰っていった。
旦那様に頼みに行ったのでしょうか

電球換えといてねって感じでしょうか。

キャベちゃんは激しい性格なので、
餌を食べる時、ガンガンつついて食べる。
普通の餌箱は深いので大丈夫なんですが
この下皿は浅いので、こぼれるこぼれる

落ちる方が多いので、餌代がかかって大変です。

[セキセイインコ]シリーズはこちら(少し下げてね)

中野区の散策。キャンキャン、ワンワンワン

中野区の散策。お百姓さんの三重塔
の続きです。

谷戸小学校校庭の庚申塔
谷戸小学校内に庚申塔がありました。

堀の内のお祖師様と新井薬師への参詣のためのもの

あらら、あの鉄棒にある施設
無茶苦茶画期的。始めてみた。
逆上がりって、子供の中ではかなりドラマが生まれますからね
結局ちょっとしたコツなんで、これはとても良いと思います。

城山の館址
谷戸運動公園となっているところ辺りは
以前から城山と呼ばれていました。

いくつかの伝説が伝わっていたので、発掘調査
ここに、城の館があった事が分かりました。



情趣は、時代からしておそらく堀江氏だろうと思われています。

堀江氏以外にも、平将門の弟の将頼、源頼信、太田道灌に関わる伝説が残されています。

農事試験場跡

明治33年から、大正中期まで、農業の試作や技術指導等を行っていた。
飛鳥山にあった、船津伝次平のような、老農と言われる人が
農業をリードしていったんですが
ここでは、老農とは違ったスタイルで、若い人中心で頑張るぞっ
特に花の速成栽培が得意だったようです。

中野駅
中野駅までやってまいりました。
ああ、中野サンプラザ
中野の象徴だったのに、もうすぐ潰しちゃうそうです。

囲い



この辺り一帯、全てお囲いという野犬の保護施設があった場所
生類憐れみの令。綱吉です。
28万坪。想像つきません。
今中野駅のホームに立って見渡せる範囲は全て、犬のお囲いの中

どんどん犬が増えて、拡張拡張。犬の数は10万匹を越えた。

あまりに増えすぎたので、幕府も方針転換し
ここで飼うのではなく、飼ってくれる人を募集し、お金を払って飼ってもらうようにした。
お陰で少しずつ減っていったところで、綱吉が亡くなって6代将軍になった途端に廃止された。

[おでかけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

中野区の散策。お百姓さんの三重塔

11/22(日)の事です

中野区の史跡散歩という本を読みました。

中野区だけで1冊なのでとても詳しい。

行ってみましょう。

中野坂上
職場の最寄り駅は中野坂上
なんでまた、休日に来なならんのか
まあまあ、それは

職場とは90度違う方向へ

塔山の庚申塔



ああっ。本に出ていたのと一緒
当たり前ではあるけれど、とても感動。
一般的には、庚申塔はこんな感じ

それに比べると、単に棒みたいなんだけど
どうも、この庚申塔も最初は一般的な庚申塔だったよう。
ところが太平洋戦争の時にこんな風になっちゃった。
いわゆる戦争遺産としてとても貴重です。

三重塔跡

えっ、石仏的な三重塔かと思ったら
本当の三重塔じゃない

昔はこのあたりまで宝仙寺でその中に三重塔があった

昭和20年に、焼失。残念!

でも大丈夫。
ここから200mほど先の宝仙寺に再建されている

今度、宝仙寺も行ってみることにしましょう。
宝仙寺にはいくつか面白い話があります。
近いうちに行こうと思っているので、その時にね。

この三重塔。何がすごいって、建てた人。
普通、三重塔って将軍だったり大名クラスの人が寄進しますが
なんと百姓。飯塚惣兵衛夫妻

三重塔の中には夫妻の像があった

神田川歌碑
神田川です。

ここまで来たら、神田川の歌碑も確認しましょう。

♪あなたはもう 忘れたかしら
 赤い手拭い マフラーにして

中野氷川神社


かなり大きな神社でした

この鳥居は、鍋屋勘右衛門が寄進したもの


近くの鍋屋横町は、勘右衛門の鍋屋という茶屋があったからです

とても古い庚申塔がありました。
寛文9(1669年)年に立てられたもの。

狛犬も古いのがある筈です
7~800年前のもの
特定できませんでした。
これかなあ

続きは明日ね
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