8代将軍吉宗と言えば?
象ですね
ということで、今日は象の話題
動物オタク
四代将軍家綱のころ、オランダから『動物図鑑』が献上されていた
吉宗はこの本を見るのが大好きだった。
動物オタク
馬の品種改良をしてみたいなあ
オランダ人に
西洋馬、輸入してくれない?
鳥も見たいわぁ
火食鳥、麝香猫、孔雀、駝鳥、七面鳥、鵞鳥、インコ、九官鳥などをつぎつぎに輸入した。
そして、いよいよ極め付きの象
東海道を歩こうウォーキングをやった時なんかは
多摩川をどうやって象が渡ったかが書かれていたり
色んなところでちょこちょこ象は登場します。
象
交趾(ベトナム)からやってきた象が長崎港に到着したのは、
享保十三年(1728)6/13日。
七歳の雌と五歳の雄に象使い二人、
通訳二人がつき添っていた。
いったんここで落ち着いて
二頭の象は長崎の唐人屋敷に落着いたが、
残念ながら9月には雌が死んじゃった
雄の象だけでも吉宗のもとに届けねば
翌年3/13日、長崎を出発
結構長いこと落ち着いてたんですね。
当時はご存じの通り
輸入と言えば長崎しか無理
吉宗がいるのは江戸
象が乗れるような船は日本にはない
象といっしょに歩いていくしかありません。
将軍にお見せする象
失礼があってはいけません。
あちこちで大騒動
行き先々で、あらかじめ準備をしておいてもらわないと間に合いません。
象の泊まる小屋の作り方
餌の作り方
象の扱い方Q&A
道や橋の増強のお願い
マニュアルを作って、行く先々に予め配布しておきます。
その甲斐あって
大フィーバーにはなりますが
大パニックにはならずに、スムーズに進んでいきます。
4/16 大阪着
結構早くないですか
京都
ここまで来たら
天皇にもお見せせねば
ところが、大問題が発覚
無位無官のものは御所に参内できない。
ひとつしか方法はありませんね
象よ
その方に
「従四位広南白象」という官位を与える。
パオーン
白象ってどんな位よ
4/28日、中御門天皇、霊元上皇に象を見せることができた。
江戸
翌日京都を出発し、東海道を歩きつづけて約一か月後の5/28日、江戸に着いた。
出発してからで言うと2ヶ月半
まずまず早いんじゃないかなあ
当然ながら珍しいもの見たさに人びとが集まり、
沿道が混雑するのは目に見えている。
事前に御触れ
象が江戸に着いたとき、江戸の町や通過の道筋の者たち、
外から見物にくる者たちは、騒ぎを起こさないこと。
また、無作法なこともしてはならない。
さらに、象にたいして菓子などを投げあたえることは禁じる
そういわれてもねえ。
衝撃度を今に換算すると
武蔵小杉にゴジラが現れたのに等しい
いざ象がやってくると、江戸っ子たちは仕事を放り出し、
象のまわりに群がって奇声をあげた。
吉宗が江戸城でこの象を見たのは、5/27日。
その後、象は諸大名家に行脚
道筋は見物人でごったがえした。
空前の象ブーム。
象を描いた錦絵や双六、人形などが売り出され、飛ぶように売れたのである。
さらに『象志』『象のみつぎ』などの本もあいついで出版された。
象は浜御殿で飼育されたが、ここにも多くの見物人がつめかけた。
浜御殿では十三年間飼われ、そのあいだ吉宗は三度訪れて象を見物したという。
だが、飼育代が莫大
もうムリ
誰か助けて
源助
寛保元年、手を挙げたのが、多摩郡中野村(東京都八王子市)の農民源助
ハイハイ。
すごくないですか
農民ですよ。
名字もない。
おそらく、何でもとりあえず、ちょうだいと言ってみる
うちの長女と同じ性格だったんでしょう。
源助は見物料をとって象を見世物にしたほか、
象の糞を麻疹や疱瘡(天然痘)の薬だと称して売り出した。
ガンバレ源さん
飼育法も知らずに酷使したせいか、象は翌年十二月、病死した。
しかし、そこでは終わりません。
源助は、象の頭蓋骨や牙などを幕府から譲り受け、
湯島天神などの境内で「象骨」と称して展示し、
見物料を取って人びとに見せた。