歴史検定2級、63%。ビミョー

歴史検定のお勉強、とっても大変
正直ここまで大変とは思っていませんでした。

一番メインにやっていることは一問一答
こういう感じのものです。

その答はこちら

こういうのが、原始時代から現代まで173ページ
泣きそうになります。

古代(平安時代まで)、中世(鎌倉・室町)、近世(江戸)、近代(明治~戦前)、現代(戦後から)に分かれていて
一旦、無理矢理全部覚えた。

ところが、古代に戻って見るともののみごとに全部忘れている
こりゃいかんと、ちゃんとまとめながら覚えていこうと改善
まずは年表
タブレット上で動くエクセルでまとめながら

年号は覚えなくても良いという人もいるけど
歴史検定2級では覚えておかないと受からないと思う。
4桁全部覚えるとするととても大変なので
私オリジナルのやり方として、後ろ2桁だけを語呂合わせにする
良い国作ろう鎌倉幕府、1192年みたいなやつね

室町時代から先は、前の2桁は何とか分かる
世紀の変わり目ごとの重要な出来事だけ4桁で覚えて
後ろの2桁だけでなんとか組み合わせる
1866 ろくろく知らない 薩長同盟
1867 虚しい 大政奉還
1871 ないことになる 廃藩置県
1872 何がなんでも 学制改革
良い感じでしょ
色んな時代に、同じ語呂合わせが出てくるデメリットもあるんだけどね
1772 何がなんでも 南鐐二朱銀

鎌倉時代までは、そのまま4桁で覚える

あとはそれ以外の覚え方

例えば明治時代の首相は
イクヤマイマイ大病(おおやまい)カサカサカ

そんな感じで頑張って覚えて、近世のさっきのページで言うと
最初に14問中1個しか正解なく残り13個
近世最後まで行って、またそのページに行くと、今度は7個
また、近世最後まで行って、またそのページに行くと、今度は3個
1個1個でようやく6回目で全問正解の〇

全時代通したあと、また近世に来ると、今度は何個から始まるかな

過去問
古代から近世まで来た段階で、歴史検定2級の過去問に当たってみた。
60%で合格ね

このやり方をする前の
7/27日は、近代と現代で
130問中80問正解で、61%
歴史検定を2級にレベルアップだ!

今度は、古代、中世、近世
70%くらい行ってくれると嬉しいんだけど。

ところが、解きはじめて愕然
全然分からんがな

それでも何とか気持ちを切らさずに頑張って解いて
さあ答合わせ

126問中80問正解で、63%

この間の2ヵ月半無茶苦茶頑張りましたよ
でも、ほとんどアップしとらんのかいっ

あと、1ヵ月ちょっと。大丈夫だろうか

でも、確かに1問1答やっていて良かったという問題は随所にあった
自分のやり方を信じてあと1ヵ月頑張るしかない。

今の実力ではいずれにしてもギリギリ
直前まで頑張るぞっ

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

[三十六歌仙]12 大伴家持。纒向(まきむく)っ

出ましたっ
万葉集の主のような人で
「令和」の産みの親の大伴旅人の息子です。
産みの親の息子っちゅうことは
大伴家持は令和そのものか

大伴家持

まきもくの ひばらもいまだ くもらねば 小松が原に あは雪ぞふる
(巻向の檜原はまだ曇ってもいないのに、ここ小松が原には淡雪が降っている。)

百人一首ではこれ
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞふけにける
七夕の歌です。

大伴氏の跡取り
大伴家持(おおとものやかもち)は大伴旅人(おおとものたびと)の長男で、
生まれ年は養老(ようろう)2年(718)といわれています。
母は旅人の正妻ではなかったのですが、
大伴氏の家督(かとく=相続すべき家の跡目)を継ぐべき人物に育てるため、
幼時より旅人の正妻・大伴郎女(おおとものいらつめ)のもとで育てられました。

けれどもその郎女とは11歳の時に、また父の旅人とは14歳の時に死しました。
家持は大伴氏の跡取りとして、
貴族の子弟に必要な学問・教養を早くから、しっかりと学んでいました。
さらに彼を取り巻く人々の中にもすぐれた人物が多くいたので、
後に『万葉集』編纂の重要な役割を果たす力量・識見・教養を体得することができたようです。

そのあとは、中央と地方を行ったり来たり
天平勝宝元年(749)に従五位に昇進しますが、
その後の昇進はきわめて遅れ、正五位下に進むまで21年もかかっています。

当時の最高権力者は橘諸兄
新興貴族の藤原氏が力を持ち出した頃
老舗の大伴氏は、なかなか厳しい時代だったのかも

歌の方は超一流
万葉集は大伴家持の一人舞台です。

鑑賞
それでは冒頭の歌を見ていきましょう
まきもくの ひばらもいまだ くもらねば 小松が原に あは雪ぞふる
(巻向の檜原はまだ曇ってもいないのに、ここ小松が原には淡雪が降っている。)

とても不思議な歌です。
歌の意味としては、雲もないのに、雪が降ってきた
なんて不思議なんだろう、と
とても幻想的な情景で、名歌だと思うんだけど
本歌がある

巻向(まきもく)の 檜原(ひばら)もいまだ雲居ねば 小松が末(う)れゆ 沫雪流る

ほとんど一緒
こっちの本歌は万葉集で柿本人麻呂の作
万葉集ということは、この歌を選んで、万葉集に入れたのは、大伴家持だと思います。

ところが、時代が変わって、古今集にこの大伴家持の歌がのっています。

本歌取りって元の歌の持つイメージを利用しつつ、新しい要素を付け加えることに意味がある
あまりにも似てませんか?
プラス要素がないんじゃない?と思うほど似ている

大伴家持ともあろう人が、自分で柿本人麻呂作の、素晴らしい歌として選んだ歌について
そんな意味のないことをするだろうか

万葉集は、奈良時代末期の宝亀11年(759年)
古今集は、平安時代中期の延喜5年(905年)
150年の隔たりの中で何があったんだろう

唯一違うことがある
万葉集の方は冬の歌として掲載
古今集の方は春の歌として掲載

おそらく、150年の中で、「あは雪」は冬のイメージから
春のイメージに変わったんでしょう。
あまりに良い歌なんで、再度のせたいけど
春の歌としてもう一度味わってほしいと

面白い考え方だけど
だとすると、歌も作者も同じにして、冬から春に変えるだけの方が
もっと良く意図が伝わる気がするんですが

巻向
すみません、なんかせっかくの歌に文句をつけているみたいで。
実はこの歌個人的にとても感動しているんです。

最初の「巻向(まきもく)の 檜原(ひばら)」って部分
巻向とは、奈良県桜井市にある巻向山のことで、初期の大和朝廷の遺跡があります。
古来から政の地であることから、歌の中では巻向の檜原=大和朝廷との意味で使われています。

今歴史検定に頑張ってチャレンジしようとしていますが
覚える事が多くて大変。

古代の遺跡の名前なんか、いっぱいあって覚えきれませーん。
そんな中で良く出てくる遺跡が「纒向(まきむく)遺跡」
でたーーっ、あのまきむくやん

遺跡ってぐらいだから、現代になって地面を掘り返してみたら
古代人のあれやこれやが出てきた、って事ですよね
ああ、ここに大和朝廷があったんだ、って

この歌では、その時代の人がリアルタイムに、まきむくを朝廷の意味として歌っている訳です
感動!
無茶苦茶感動!

まあ、覚えたての遺跡の名前が出てきて嬉しい、ってだけの事ですけどね。

[短歌]シリーズはこちら(少し下げてね)

[歳時記]10/17 貯蓄の日

10/7
「貯蓄の日」
戦前の祝祭日のひとつだった神嘗祭にちなんで、
(昭和2)年に貯蓄増強中央委員会の提唱で制定された。

神嘗祭は、天皇陛下がその年に収穫した新穀を伊勢神宮に奉納する祭り
なるほど、お米は年に一回しか知れないから、倉庫に取っておいてチビチビ食べなきゃいけない
それが、貯蓄って事なんですね

貨幣という素晴らしいシステムが出来て
収入と支出の山谷を平準化することが出来るようになった。
貯蓄があれば、収入が一時的に落っこちても、大丈夫。
安心安心。

理屈的には分かるし、実感としても分かるんだけど
実際にはなんかいらんことしているんじゃないか、という漠然とした思いがある

元々の「山谷を無くして平らにする」だけが目的ならば良いんだけど
もっともっと、って思っちゃう。

人と比べちゃって、あの人お金持ちで羨ましいなあ
もっと頑張って、あの人以上になりたい

ホント?
ホントにホント?

お金持ちになるために一生懸命頑張るって本当に必要な事なの?

せっかくの貯蓄の日なので
自分にとってどこまでが「貯蓄」で
どこから先が「富み」なのか考えてみたい

「富み」のための頑張りは、もういいかな、って思う。

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)

[歳時記]10/15 新聞週間

あら、失敗。15日過ぎちゃってたのね

10/15
日本新聞協会では1948(昭和23)年から、毎年10月15日から24日までを
「新聞週間」としている。

うちでとっているのは読売新聞ですが、ちょっと前にやはり新聞週間の特集として
過去の大事件の一面を掲載しつつ、新聞の持つ役割について
論じておられました。
頑張っていただきたい。

この間には、講演会や映画の試写会、新聞社の見学会など
さまざまなイベントが行なわれる。

また、新聞週間のうちの20日は、新聞広告の役割をアピールする「新聞広告の日」に、
その週の日曜日は、日ごろ新聞を配達している人に感謝する
「新聞少年の日」「新聞配達の日」になっている。

江戸時代
現在は宅配がおもな販売方法だが、
江戸時代には何か事件が起きると、それを記事にして瓦版に刷り、
町で叫びながら売り歩く方法が主流だった。

これは明治になっても続き、チリンチリンと鈴を鳴らして、
「○○新聞!」と叫びながら得意先をまわり、
買いたい者がいれば販売するケースが多かった。
こうした売り子のことを「読売屋」と呼んでいた。

でも基本的には読売屋は禁止される事が多かった。
今もそうだけど、幕府の批判的な要素が入ってくるのでね

そうなると、取締をかいくぐるため
実際の事件を名前を変えちゃう。
旗本の名前を変えていたりして
突っ込まれたら

えっ違う人の事だと思いますが
逆にお聞きします。そんな事があったんですか?

いや、失礼。そういう訳じゃないんだよ

まあ、売るときにはうまぁく読者には分かるように説明しながらね。

まあ、そんな政治ネタよりは、誰と誰が心中しただのの下世話なネタの方が受けるので
大半はそんな砕けたネタなんですが。
真実性なんてのは元々追求していなくて
面白ければ良い


以前の東スポの
裏は取るな、のコンセプトに近いものがある

東スポの一番笑えた一面見出し
「ネス湖のネッシー妊娠」

ネッシー発見を通り超えて、妊娠ってあなた
どないして分かったんよ
そもそもメスやったんかいっ

現在の新聞
どうなっちゃうんでしょうね、新聞
何でもネットで出てきちゃうから、存在価値がなかなか厳しい。

うちの場合は、セキセイインコの巣っこの下に敷くものがいるので取っているようなもの
なんであんなに新聞って読むところ少ないんだろう

個人別にカスタマイズ出来て、
うちは国際欄とか要らないから、歴史関係の記事にしてよとか
オプションを色々選べるようにすれば良いのに
そうすれば、はっきり言って4ページもありゃ十分

なんなら、パターン分けして貰って、Aパターンの人は月曜だけとかいうのでも
全然構わないんだけど。
興味あることだけの新聞だったら絶対読むけどなあ。

[歳時記]シリーズはこちら(少し下げてね)