六義園、和歌の世界。その4

六義園の和歌の世界
六義園、和歌の世界。その2
六義園、和歌の世界。その3
の続きです。

11.藤代峠(ふぢしろたうげ)
藤代の みさかをこえて みわたせば 霞もやらぬ 吹上の浜
僧正行意 続後撰

藤代の坂を上りきったところで見渡せば、霞もかかっていない吹上の浜であることだ。

出ました。藤代峠
六義園で一番のビューポイントです。
池泉庭園にはなくなてはならない、築山
35mあり、江戸の築山の中では、戸山荘に次ぐ2番目の高さ

つつじの季節には見事に彩られます。

そして、頂上からの眺め


すぐに降りてしまうのは勿体ないので、けっこう長くここにおりました。
今の和歌山県にある藤代峠は「藤白峠」と書きます。

藤白神社から登っていく坂です。

藤白神社と言えば、お待たせしました。全国で2番目に多い「鈴木」さん
鈴木さんの発祥の地がここでございます。
ここの鈴木さんが、熊野信仰を全国に広めようと頑張ったので
全国津々浦々に鈴木さんが広まったんです

そして、藤代峠と言えば、有間皇子
とても可哀想な孝徳天皇の息子。
中大兄皇子(後の天智天皇)が独裁政権を敷こうとしているのを察知し
このまま行けば絶対に政争に巻き込まれる、と頭がおかしくなって療養している振り

なのにわざわざ、蘇我赤兄が訪ねて行って

斉明天皇や中大兄皇子がこんなにひどい政治してまっせ

へえ、そうなんだ。
そりゃひどいですな。

蘇我赤兄が戻って中大兄皇子に告げ口
さあ大変

有間皇子は一生懸命言い訳したんですがもうダメだと察し、逃亡
捕まって、とうとう処刑されたのが、藤代峠です。

有間皇子の残した歌がこれ
ふぢしろの みさかをこゆと しろたえ の わがころもでは ぬれにけるかも

先ほどの
藤代の みさかをこえて みわたせば 霞もやらぬ 吹上の浜
は、始まりが同じなので
単純に、藤代峠の見晴らしの良さを歌っただけの歌ではありませんね

もっと言うと、百人一首の第1首、天智天皇の
秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ
藤原定家が天智天皇としてこの歌を選んだのは、意図があるような気がしてきます。

12.紀川(きのかは)
人ならば 親の思ひぞ 朝もよひ 紀の川づらの 妹と背の山
人丸 万葉集

もし人間だったら親の最愛の子であろう。紀の川沿いの妹山と背の山よ

紀川が流れていった先に、最初で紹介した妹背山がある訳です。

13.渡月橋(とげつけう)
和歌の浦 蘆辺の田靏 (たづ)の 鳴く (なく)こゑに 夜 (よ)わたる月の 影ぞさびしき
後堀河天皇 新勅撰和歌集

和歌の浦の蘆辺にいる鶴の鳴く声がして、夜の間に渡ってゆく月の光が寂しく照り続けている。

出ました。本歌取りです。
和歌の世界で定番の手法。
ホピュラーな、みんなが良く知っている歌を真似て
今風に言うとパクって、新しい味わいを追加する。

和歌の浦、蘆辺、鶴、月
そうです。一番最初にご紹介した、「1.和歌の浦」
若の浦に 潮満ち来れば 潟(かた)を無み 葦辺(あしへ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
山部赤人です。

さらに言うと「2.出汐湊」
和歌の浦に 月の出汐の さすままに 夜鳴く鶴の 声ぞかなしき
慈円です。

すごいですね
敢えて本歌二つを最初に紹介して、最後に本歌クイズへと持っていく。
和歌のテーマパークの練られた趣向です。

京都の渡月橋は有名ですが、和歌山に渡月橋があるわけではありません。
六義園で渡月橋と命名したのは、上記の歌からの発想です。

水面に移った月影が、橋をまたいでこちらがわにやって来る。
ちょうどそう見えるのは、一年のうち、少しの間だけらしいです。

そして、渡ってきた月が、手前の丸くなった湾に宿るのが次の歌

14.宿月湾(つきやどるわだ)
玉津島 やどれる月の 影ながら よせくる波の 秋の汐かぜ
源親長朝臣 新千載和歌集

玉津島の湾に、月が宿っているのだけれど
秋の汐風が吹いて、乱れてしまうよ

玉津島神社で行われた、歌合せで詠われた歌になります。

新玉松跡
園内で、柳澤吉保が一番頻繁に訪れたのがこの場所

今は、棒が立っているだけですが
当時は、松が植わっていた

棒は鳥居の名残

和歌の神様、衣通姫を祀っている、玉津島神社です。

今は、大きな鳥居が印象的ですが
昔は、松が七本植わっていたと伝えられています。
それを再現した。

そして、柳澤吉保は六義園に滞在中、毎日毎日ここに通って、手を合わせた。
とても大切な場所。

六義園の庭園でまさか4回に渡ろうとは。
お付き合いありがとうございました。

[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

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