[神社] 神道って何?

「図説 一冊で学び直せる 日本の神様 の本」という本を読みました。
コンビニで買ったんですが、コンビニに置いてある本って結構良いのが多いんです

半分くらいが、古事記日本書紀のストーリーを元に、登場する神様たちのお話
あと半分くらいで、「一冊で学び直せる」というくらいなので、あれやこれやと色んな視点で
日本の神社・神道について教えてくれています。

断続的に続けている神社シリーズの続きを再開することにいたしましょう

日本の宗教
八百万(やおよろず)の神々って言います
要するにいっぱい

世界の宗教を分類すると
その宗教を作った人がいる「創唱(そうしょう)宗教」というのがあります。
三大宗教のキリスト教、イスラム教、仏教

対するのが「自然宗教」
自然発生的に生まれてきたもの
日本の神道
中国の道教も私はこっちに近いと思っています。

創唱宗教は意図をもって作られているので体系的
自然宗教は「なんか出来ちゃっている」からバラバラ
バラバラながらも、あっちであんな風にしているぞ、かっこいいね真似しよう、的な
流行に引きずられる感じの「共通部分」があったりします。

その共通部分をとらえて、ここからここまでを同じと考えようと「あとで」名前をつけたりします。
「神道」が「しんとう」と読まれるようになったのは室町時代。

神様は、創唱宗教では、はいこれ、と提示されるわけですが
自然宗教では人々の気持ちの中から自然に出てくる

すごい!だったり
こわい!だったり
うまくいきますように、だったり

日本において、そういう場所は、日常的には山でした。
なんだかすごい
暗くてこわい
子供たちには、迷って帰れなくなるから近づいちゃダメよ

それ以外にも、太陽(お天道様)、雷、自然災害
そのようなものに対して
「手を合わせる」という共通行動が表れてくる

結局、日本神道って「手を合わせる」ってことだけなんじゃないかな、と思う

ところが、ここに手を加える人が出てきた
天武天皇でありその奥さんの持統天皇

各地に散らばる神様に関わる伝承を集めて、本にしましょう。
古事記であり、日本書紀

それは、創唱宗教?

違うんです
こう生きましょう的な教義を何一つ盛り込まなかった

自然宗教を自然宗教的要素を保ったままで集めた

目的があり、その範囲でのみ存在すれば良かった
天皇家を権威づけ、天皇家こそが神様から連なる家系

ただ、天皇が神様と言っている訳じゃなく
そういう趣旨の事を言い出したのは、明治以降で
戦争へ向かっていった時代

目的以上の事は必要なかったから
神様はひとつの例にしかならず
それ以外の神様も否定はしなかった

日本の神様は3種類存在する
1.古事記や日本書紀に出てくる神様
2.それ以外の今までからいる神様
 八幡神だったり稲荷神だったり
3.人間が神様になったもの
 菅原道真の天神様を筆頭に、特に明治以降に多数存在する

結局、天武天皇や持統天皇の目論見は大成功をおさめ
その後、どんなに時の権力者が表れても
天皇に取って変わろうというものが現れないまま今日に至る
日本の歴史の稀有なところ

教えを持っていないから
伝わってきた仏教に、素晴らしいですねえ、と素直に言えた
仏教側も、仏様しかおらず、神様がいないし
敵を作らないゆるーい宗教だから
お互いに仲良くやっていけた。

宗教という言葉自体、存在しておらず
明治になってから生まれた言葉

仏教に対してもそれが宗教であるとは認識していない

ばくっと大きな話をしましたが
次回以降、まずは古事記や日本書紀に登場する神様について
順を追っていこうと思います

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

わが家のマルサの前になすすべなし

私はお小遣い制
カミさんが家計を管理し、お小遣いをもらう。
食材とかの共通で使うものは立て替えてレシートと交換で現金をもらいます。

家計の管理などという面倒なことは絶対にやりたくないので自ら選択した方法
だから仕方ないんですが、
カミさんは生かさず殺さず政策をとってきますから
機嫌を取るのが大変
敵は強力
スーパーの買い出しで、自分が食べようと思ったサクサクチップスなんかを紛れ込ませても
すぐに見つけて、
変なの入ってたから引いといたからね

この週末の土日は車検でした
土曜日の朝一に車を持っていって、日曜日の17:00に取りに行きました。

事前に電話で予約した時
納税証明書と一部現金が必要ですから準備してください
現金は46,500円

これだけ立て替えておくのは不可能なので、カミさんに
一部現金がいるってよ。46,500円。
残りは、車に積んであるガソリン代用のカードで払うね

じゃあはい、50,000円
今2500円ある?
あったら、お駄賃1000円あげるわ
今無いんだったら、後で3500円ちょうだい

ええっと
残念!ないわ

土曜日です。
ホンダさんに行くと

すみませーん
電話でお伝えした一部現金の金額、間違っておりまして

えっ

36,100円になります

ビックリした。少なくなるんですね。
じゃあ大丈夫です。
はい、こちらに。

もろもろ終えて、領収書ももらい、車を預けて
バスで家へ帰ります
そのあと、電話連絡が来て
トータルでいくらいくらになります。

あれ?
ちょっと待てよ
トータルの金額は分かっている。
内訳として現金部分が違うだけ
バレなきゃ、私は1万得したんじゃない?

揺れ動く心

近来まれにみる金額の大きさ
サクサクチップスとは訳が違います。

一家庭内だけの問題なので
犯罪を犯しているわけではない

ただ、これをきっかけに、身を崩し
犯罪者への道を突き進まんとも限らない

でも
1万円欲しい!

よし、こうしよう
特に、証拠の隠滅や改竄までははからない
それで気づかれると諦めるけど
内訳だけですもんね
カードから残りの金額が引き落とされる頃には
元の金額なんて忘れちゃっているんじゃないかな

山村紅葉さんって女優さんいますよね
2時間ドラマとかで出てくる

この前、ラジオで話されていたんだけど
異色の経歴の持ち主で、もと国税庁国税調査官
いわゆるマルサの女
職業病で、なんかやましいことをしている人はすぐに分かっちゃうらしい

カミさんは、ほぼ山村紅葉さんに匹敵する
これ、気づかれたくないなあ、ってところはことごとく気づく
ぜひ、国税庁に就職してほしい

車検を終え
カミさんが仕事から変えるのを待ちます。
晩御飯はふろふき大根と、白菜と豚バラ肉のミルフィーユ
練塀のブログ書いていて白菜と豚バラ肉のミルフィーユが食べたくなったのね

テーブルの上には、お釣りの3500円を置いておきます。

おかえりー
車検無事終わったよ
お釣りそこに置いといたからね
晩御飯おいしく出来たよ

ご飯の準備をして、奥の部屋へ
社労士のお勉強
うん、出だしは順調

30~40分し、食事を終えた頃

お父さーん
なんか変なのよ

ん、何?

車検の金額がね
異常に少ないのよ
ほら、36100円って

(あっ、そっち見ちゃったか。1日目にも領収書もらっていたのをすっかり忘れてた)

いや、そうじゃなくってさ
ほらほら、これ。これが明細ね

でも、こっちもホンダさんの封筒だよ

(はい。ギブアップ。喋っていて笑いが込み上げて来てしまった)

最初の金額がさあ。間違っていたらしいのよ

えっ、でも、お釣り3500円って
ごまかそうとしたのね

いや、そういう訳じゃ

そういう訳でしょ
怖いわあ
恐ろしいわあ
泥棒飼ってるようなもんだわ

この「泥棒飼ってるようなもんだわ」というフレーズ久々に聞きました
もう、笑えて来ちゃって大変

はい、1万円

これからはまっとうに生きようと思います。

[家族]シリーズはこちら(少し下げてね)

練塀について考える。その2

練塀について考える。その1
の続きです

私が谷中にもありますよね

はい、築地塀(ついじべい)ですね

の会話から始まったので、ここに戻ってきます。

築地塀と練塀、結局どこからどこまでが築地塀でどこからどこまでが練塀なのか
はっきりしたことは分からないんですよ
本途帳には練塀、と書いてはあるんですが
一般的には築地塀なのかなとは思います。

甲良家が築地塀を改良して、練塀、とネーミングしたのでしょうか

可能性はありますが、分からない事ばかりで

(ここからは帰ってからネットだけではありますが色々調べた事を組み合わせて考察していきます)

確かに言葉の定義がどちらも曖昧ですが
東京の谷中の観音寺築地塀

報土寺築地塀

いずれも、築地塀というより、練塀に近い気がする。

土塀の大きな分類として
骨組みがあるものは「塗塀(ぬりべい)」
土台や柱が骨組みとなり、柱と柱の間を小舞(こまい)を結んでそこに土を塗って仕上げるものです。

骨組みがないものが、築地塀か練塀
工法も出来上がりの見た目も全く違います

純粋な築地塀、という言い方をすると
土だけで作り、瓦は使わない
まず木で枠を作ります。
その中に土を入れ、固めるために上から棒でどんどん突く

また土を入れ、突く。
版築(はんちく)と呼びます
横に筋模様が入った土塀が出来上がる

無茶苦茶期間がかかるので、発想を変え
煉瓦を積み上げるように強度のある瓦等を敷き詰めて土でつなぎ
その上に瓦を敷き詰めてまた瓦を敷き詰める
ミルフィーユ状態

おそらくこのタイプの純粋なものは、熱田神宮の信長塀

ただ、真っ直ぐな、この為の瓦を思いっきり作っておく必要がある

あいのこ、と言いますか、良いとこ取りと言いますか
外から見えない中側は割れた瓦とかも混ぜつつある程度強度を保ちつつ
疲れるまでは突いて、外側は瓦を差し込んでミルフィーユ

あくまで、この発想は私が勝手に言っているのですが。

副住職さんとの話に戻りますね

結局、このタイプの塀って何のために作ったんでしょう

そうですね。
やはり天下の増上寺。将軍家の菩提寺ですから、守る必要がある
それは、外敵からであり、火災から

ですね
ただ、私はもうひとつ理由がある気がする
先程、石垣でいうと野面積みの方が強度があるとおっしゃいましたよね

江戸城の石垣を全部見て回ると、時代と場所によって使い分けられている
本当に防御が必要な場所は打込接(うちこみはぎ)だけど
お客様をお迎えする場所には縦横真っ直ぐな切込接(きりこみはぎ)が使われている
そして、石に防御上全く意味のない筋が入っていたりして、化粧が施されている

きれい。かっこいい
練塀って実にきれいでかっこいい
惚れ惚れする
時代的に享和2年って平和で100年以上たっている
実用より、ひょっとして、美しさの方が重要だったのかも

ですよねですよね
惚れ惚れしますよね
いつまででも見てられますよね。分かってもらえます。

(ここでもう一度調べたあとの話に戻って)
結局、あいのこで何を重視したかというと、美しさなんじゃないだろうか
おそらく強度的には問題ないって100年くらいを経過して分かってきて
じゃあ、周りだけきれい、って事でどう?みたいな
築地塀って言うか練塀って言うかはお任せしますわ

(副住職さん)
きれいという意味では、この間知石(けんちいし)美しいと思いません
私はこの石に美しさを感じる
帰りにぜひ見て欲しいものがあります。
大門の横のビルの前に間知石がいくつか置いてあるんです。
これが実に美しい。

今度ですね一部調査で断面が見れるかも知れないんです。
もし良かったら、住所書いて行っていただけたら
はっきりしたとき、ご案内をお送りしますので
お日にちが会いましたらぜひ

分かりました。書いていきます。

帰りに、教えていただいたビルの前を確認しました。

う つ く し いっ

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

練塀について考える。その1

(2022/11/6[日]の事です)

増上寺三解脱門特別公開
の続きです。

今は文化財ウィーク
増上寺へ向かうちょっと手前に、文化財ウィークののぼりが立っているお寺がありました。
三解脱門へ早く向かいたかったので、チラ見しただけでしたが
帰りはそこに寄ってみましょう

廣度院(こうどいん)
廣度院というお寺、増上寺の子院です
三解脱門のすぐ向かい

練塀(ねりべい)というのがあります。

国の登録有形文化財になっているそうです。
番傘をさしながら、練塀バックに写真も撮れますよ

ここでこのあと、ワクワクな時間が展開されます

中に入るといろんな練塀に関わる展示がされていて
副住職さん(おそらく西城さんと言われる女性の方)が解説してくれる

今年の3月から4月にかけて地中に埋まっちゃっていた部分なのかを港区教育委員会が発掘調査
出てきたのがこちら
塀に混ぜ込んである瓦

間知石(けんちいし)と言って、基礎となる石

ざっと写真とかも見て、はいはい谷中にも有ったなあ

前のグループさんへの解説が一通り終えた段階で、副住職さんの元へ向かいます。

谷中にもありますよね

築地塀(ついじべい)ですね

そういうと築地塀って書いてあった気がしますが
練塀とは違うんですか

ここから長く楽しい時間が始まりました。

何度か書いていますが
私がウォーキングするひとつの大きな目的がこれ
あるテーマについて、好きで好きでたまらないって人が
熱っぽく語るのを聞くのが大好き
本や資料を見てるだけじゃ絶対に味わえない時間
歩いて、たまたまそういう人に出会えないと無理
こちらも幸せになれる時間です。

江戸城建設の棟梁をやっていた甲良家(こうらけ)
そこに残されていた資料集
長い名前なので省略して「本途帳」と呼ぶことにします。
その本途帳の中に練塀というページがある

江戸城西丸・吹上の塀はおそらくこの図面
享和2(1802)年に三解脱門が大改修されているんですが
その時、周辺の塀も大きく作り替え
それを甲良家が関わったっぽい

となると、図面と同じ作り方でこの辺りにドドドっと
練塀が作られたのではないか

それって、この練塀も享和2年のものって言ってます?

副住職さん、ニコニコっと笑って
なら良いなあって夢が広がるんですよ

220年ものってことになるので、
その間に全面作り替えって十分ありますから

確かに夢が広がる
将軍でいうと、第11代家斉のころ
文化文正時代のちょっとだけ前です。

工学院大学の先生たちが書いていただいたのがこの復原図

興味深いのが断面
横側は外から見ると瓦の筋が入っているだけですが
本途帳の図面を見ると、長い瓦と短い瓦が組み合わさっている
そして、長い瓦にかかって中央から瓦がアーチ状に
これが何のためにこうなっているのか

副住職さんは、水をはける目的なんじゃないかと推察する

これは、分かる気がする
ここから私も一気に会話が盛り上っていきました

うん、分かる分かる
お城の石垣なんかは、外から崩れる事はない
長い間で中に貯まっちゃった水が外に石垣を押し出して崩れる
それを防ぐために中側の水はけを良くするための石の組み方が問題

基本的に上にも屋根があり、瓦が乗っかっているので、
それほど水が染み込むのかなとは思うが
220年持たせるためには重要な事なのかも
上の瓦同様に中にも瓦が何層かビッシリ敷き詰められていて
下には水は落とさんぞ、と言うことかも

中にポツポツ書かれているのは瓦で
土の中に瓦が混ぜ込んであります。
おそらく強度を増すため
どうもリサイクルだったと思われます。
瓦を捨てるのは勿体ないので。

それも分かります。
享和2年というのと一致しますね
瓦って江戸時代初期の頃ってあまり使われていない
そもそも瓦屋根って禁止されていますので。
度々起こる大火の消化活動のためには、家を壊すという方法で類焼を防ぎますが
その時に瓦があると危ない

ところが8代将軍吉宗の時にこの方針が転換される
やっぱり瓦屋根は火事に強いと分かってくるので逆に瓦屋根が推奨されるようになっていく

博物館で江戸の街並みがジオラマで作られていると
吉宗より前の時代かあとの時代かすぐに分かります
享和2年だと瓦はかなり使われている時期なので
リサイクルに回すというのは納得です。

このあとも、結局何のためにこういう構造の塀を作ったのか、とか
築地塀と練塀ってどうちがうのかとか色んな話で盛り上りますが
長くなりますので一旦区切りますね
続きは次回

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)